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エストアの闇

 ラトベニア王国最大の港町エストアは、ここ数年の間に発展した比較的新しい町である。

 港には世界各地から船で大量の物資が運ばれ、商人を始めとした大勢の旅人が訪れていた。

 人が集まれば町の建物は次々と増築されて、港はどんどん拡大されていく。

 だが、あまりにも急速かつ無計画に増え続けた建物は、あっという間に古くからあった石造りの分厚い市壁の内側を一杯にしてしまった。それでも商魂たくましい商人たちは、エストアに店を持つことを望み、町は市壁の外側へと溢れ出てしまった。

 市壁は増築されていく建物の中へと呑み込まれてしまい、町を守るという役割をすっかり果たせなくなってしまったのである。

 その結果問題となったのが、無防備となった市壁外の街区での海賊による略奪行為だった。


 海運が活発なエストアの周辺には、もともと海賊による略奪行為が多発していた。

 エストアの町の歴史は、海賊との戦いの歴史でもある。

 実際町を歩いてみれば古くからある石造りの建物、町を囲む市壁には、風雨による侵食だけでなく矢や投石によって崩れた箇所が幾つも散見できる。

 町が発展するに従って海賊団の数も増加の一途を辿り、今では何隻もの海賊船で艦隊を組む海賊団もあるほどで、大小複数の海賊団がエストアや近隣の集落を荒らし回っていた。

 勢力を増した海賊団は、エストアを出入りする交易船を狙うばかりか、沿岸部の漁村や小さな港町にも上陸し、略奪暴行を働く凶悪ぶり。ラトベニア王国も海賊の跳梁跋扈を良しとせず、幾度となく討伐軍を送り出したが毎回逃げられてしまい、芳しい成果を上げることはできなかった。ついにはエストアの町の盗賊ギルドの息が掛かった交易船をも襲いはじめた。しかも、積荷を全て略奪した後で船に火を放ち、乗組員は皆殺しである。

 当然、盗賊ギルドも報復に動く。

 港に面した酒場で、裏通りで、下町で、身元不明の死体が見つからない日が珍しくなくなった。

 エストアの盗賊ギルドと海賊団の激しい対立は日に日に激しさを増していたのである。



 ◇◆◇◆◇



 風に乗って飛んできた波しぶきが、容赦なくジークの全身を濡らしていく。

 頬を伝ってきた水はとても塩辛く、舐めれば喉の渇きを癒やすどころか増すばかりだ。

 海に面した港町エストアへ到着してからひと月。

 その間ジークは、毎日のように町から少し離れた海岸にある岸壁へと通っていた。

 高さおよそ五メートルの切り立った岸壁は、潮が引くと砂地が現れる。

 その岸壁の頂上に生えた木にロープを括り付けて、ジークは壁を昇り降りする訓練を行っていた。

 王族だったジークには、ロープ一本だけで崖を登攀するといった訓練は初めての経験。『見えざる八蛇の手(インビジブル・エイト)』を使えば、岸壁くらい簡単に登れると主張するジークに対し、ゼロは魔術の使用を許さなかった。


「魔術を使えない状況も想定するのが訓練だ。マスターからは報酬も貰っているからな。その分、きちんと鍛えてやる」

「お、お手柔らかに頼むよ」


 ジークとしてはゼロの持つ戦闘技術、潜伏や潜入、追跡といった技術を教えてもらえるものだと期待していたのだが――甘かった。

 ゼロがまず何より重視したのは体力。

 ジークも王宮に務める教師の下で、武術を身に付け身体を鍛えていたつもりだったのだが、ゼロに言わせると、全然鍛え方が足りないという。

 ジークが教わってきた武術は基本的に護身術。

 曲者から襲撃を受けた際、味方が駆けつけるまで命を守る事を最優先とした戦い方。

 道なき道を駆け抜け山野に潜伏し、長時間の戦闘を行うことなど想定していない。

 最高指揮官となるべき王族がそんな境地に陥った時には、国が滅亡するときだけだろうから当然だ。


 そんなわけでゼロはまず体力を付けさせるために、ジークに武装したままで長距離を走る事と岸壁を登る訓練を課した。

 岸壁の登攀はロープがあるからといって簡単ではなかった。

 強い潮風が吹き付ける岸壁は常に湿っていて、油断すると足を滑らせて下に落ちる。

 岸壁の下は砂地で固い地面よりマシとはいえ、高所から落ちたなら怪我は免れないだろう。

 ロープを握る手も何度も皮が剥けていて、それに加えて潮風も浴びてヒリヒリと痛む。


 実を言うと訓練中、ゼロは常にジークの傍にいるわけではなかったので、サボろうと思えばいつでもサボる事はできた。

 しかしジークはコツコツと言われた訓練をこなしていた。

 一つの魔術を極めるために十年も費やせるジークだから、地味できつい反復訓練をあまり苦にする性格ではなかったのである。




 日付が変わる頃合いまで営業する酒場が、ようやく最後の酔客を追い出すことに成功した頃合いに、ゼロはエストアに借りた宿の部屋へと戻ってくる。

 エストアに来てからゼロは、自身とジークに対して追っ手が掛けられていないか、常に情報を集め続けていた。

 ゼロは王都の暗殺者ギルドを裏切った身。

 そのギルドは潰されたが、大抵の暗殺者ギルドには上位組織が在る。その上位組織が裏切り者の存在に気がついて、追っ手を差し向けているかもしれない。

 ジークに関しては言わずと知れた王宮からの追っ手だ。

 幸い、このひと月の間、二人の周囲に追っ手と思われる人影が現れた様子は見られなかった。


 外から宿を見上げると、鎧戸が閉められた二階の窓の一つから明かりが漏れていた。

 そこがジークとゼロの借りている部屋である。

 宿のある通りに面した全ての建物で明かりが漏れているのは、二人が借りた部屋と宿の入り口だけだった。

 ゼロはふっと小さく息を漏らすと、古めかしくも頑丈そうな宿の扉を軽く叩く。すると扉の奥で人の気配がして、軋む音を立てて扉が開いた。


「ん……」


 疲れと眠気、そして迷惑そうな表情を隠そうともせず、扉の奥から顔を出した宿の主人が顎をしゃくってゼロに中へ入るように促した。

 小さく頭を下げてゼロが中へ入ると、主人は扉を閉めて固く閂をかけた。


「油はまだいるかね?」

「いや……今日はもういらないと思う」

「そうかい。じゃあ私は寝させてもらうよ」


 大きくあくびをしつつ主人は肩越しに手を振って奥の部屋へと戻っていく。

 最初は毎晩深夜に帰ってくるゼロに一言二言嫌味をこぼしていた宿の主人だったが、ひと月も長期滞在した上に、金払いもきちんとしている客だと理解すれば、こうして夜遅くまで待ってくれるようになった。


 ゼロは二階へと続く階段を上がると、自分たちの部屋へと向かう。

 その際、気配を消して足音一つ立てずに歩いてしまうのは、もう暗殺者の職業病といえるかも知れない。

 ただ、古めかしい扉が示すように、年季が感じられるこの宿。階段も廊下も、使われている木材は古く、人が歩けば軋む音を立てるものだ。それなのにゼロが歩くと物音一つ立たないのは、彼女の持つ高い技術がなせるものだった。

 部屋の前に立った所で扉を叩くが、部屋の中から反応が無い。

 ゼロは小さく苦笑を浮かべると、小さな針金を取り出して部屋の錠前に差し込んだ。

 わずか数秒でカチリという音がして錠が外れる。

 部屋の戸を開けて中を覗き見れば、ジークは机の上に小さな明かりを置いて一心不乱に作業をしていた。

 錠前外しの練習をしているようだった。

 ジークの前には幾つもの錠前が置かれている。その傍らには結び目の作られたロープも置かれていたので、結び方の練習もしていたらしい。

 崖の登攀や武器を持っての長時間行動の訓練を始めたばかりの頃は、部屋に戻るやいなやそのままベッドに倒れこんでいた。

 それがひと月も経つ頃には、こうして部屋に戻ってきた後も、深夜まで課題に取り組めるくらいにはなっている。

 確実に体力が付いて来ているのだろう。

 ゼロが部屋へ戻ってきたことに気付かず、カチャカチャと集中して錠前をいじるジークに感心しつつ、ゼロはジークの覚えの早さに少し悔しさを感じた。

 ゼロは口元にいたずらっぽい笑みを浮かべて足音を忍ばせると、ジークの背後に立つ。

 そして人差し指でジークの右頬を突いた。


「んっ!?」

「集中しているのは良いことだが、部屋の中へ誰かが来た事に気付け無いのは油断しすぎだぞ? マスター」

「あ、何だ……、おかえりゼロ」


 バツが悪そうな顔でポリポリと頭を掻いたジークは、錠前を机の上に放り出した。 


「どうも一つのことに目が行っちゃうと、他のことに気が回らなくなるんだよね」

「まあ、習いたては誰しもそういうものだ」


 ゼロはそう言って微笑むと、自分のベッドの上に荷物を放り出した。

 上着を脱ぎ捨てて荷物の上に放り出すと、ラフな薄着になる。

 途端、ジークの目線がゼロの形良い胸元へと注がれた。

 ジークベルト十五歳。

 思春期真っ盛りなのだ。

 目を逸らそうとしつつも、チラチラとゼロの魅力的な肢体に目が行ってしまうのは仕方がないことだろう。


「ん? マスター、どうかしたのか? 顔が赤いぞ?」

「い、いや、気のせいじゃないか? それか、きっと明かりのせいじゃないかな?」

「そうか、それならいい」


 ゼロは深く追求する事もなくジークへ頷くと、無駄な肉が一切ついていない足を組んでベッドに座る。やましい気持ちを抱いたことを気づかれなかったことにジークはホッと胸を撫で下ろした。


「ところで、エストアに来てもうひと月になる。この町に来た時に仕事を探すと言っていたが、今のところ特に何か仕事を見つけて働く様子もない」


 ジークはゼロの課した訓練を終えると宿の部屋に籠もってばかりいるようになっていた。

 王宮から持ち出したジークの財産は、今泊まっているランクの宿程度であれば数年泊まり続けても余裕がある。だからといって、いつまでもこの宿に籠もり続けているわけにはいかない。


「この町へ来たのにもマスターの事だ、何か理由があるのだろう?」


 ジークは立ち上がると、部屋の窓の格子戸を薄く開けてを見た。

 メインストリートとまでは言えないが、そこそこ大きな通りに建っている宿なので、窓から港が僅かに見える。

 もっとも深夜という時間のせいか、夜空と海はほとんど同化していてわかりにくい。よく見ると星空の切れているラインが海と空の境界だろう分かる程度だ。


「僕の目的は変わらない。ユイリア……ええっと、僕の妹の事なんだけど、彼女が将来玉座へと就く事と王政を、王宮の外から手助けすることだ。そのためにまずはこの町へやって来たんだ」

「王政の手助け……」

「エストアは今もなお発展し続けている町だ。つまり振興の勢力が生まれやすい環境が整っているんだよ」


 ラトベニア王国は建国以来、長い間戦争状態にあった。だが、ジークの父ハルバートが王となってから二十年余り、平和な時代を謳歌している。そのため、通商が活発になり、重要な貿易の拠点である港町エストアは短期間の間に大きく発展したのである。

 ただ、あまりにも短期間のうちに発展を遂げたため、(ひず)みが至る所で生じてしまった。それが目に見える形で現れたのが市壁の問題でと、エストアの裏社会全体を統括していた盗賊ギルドを凌ぐ勢いを海賊団の出現だった。

 裏社会に二つの勢力が君臨して抗争する一方で、本来であれば悪い意味なりに浮浪児や未就労者の受け皿だったギルドがその役割を果たせず、港や市壁外の新市街には浮浪児の姿をいくらでも見ることができるようになっていた。


「この町の盗賊ギルドについては、調べてくれた?」

「ああ。この町にも幾つか盗賊ギルドは存在していたが、最も影響力の大きなギルドは『偽りの灯火団』と言うらしい」

「『偽りの灯火団』」

「偶然にも私たちにはそのギルドと縁がある」

「縁?」

「ギルドマスターの名前はランティーニと言うのだそうだ」

「へえ、あの人が。なるほどね、堅気じゃないだろうとは思ったけどさ」


 レオナルドは、彼と娘のリディアを助けた時、刺客は商売で対立する組織が送り込んできた刺客ではないかと言っていた。


「対立する組織か」


 十中八九、海賊団のことだろう。


「私たちはランティーニに与して刺客を撃退してしまった。縛り上げた奴らが生きてエストアに戻って仲間たちへ報告したなら、報復の対象とされているかもしれない」

「でもこの町へ僕たちが来てもうひと月経つけど、刺客なんて送られた様子は無いよね」

「優先順位の差ではないか? ランティーニの暗殺に失敗しているからな。当然ギルドマスターを狙われた『偽りの灯火団』も報復を考えるだろうから」

「なるほど」

「ただ、最も影響力が大きいとは言ったものの、『偽りの灯火団』の規模は王都のギルドに比べれば小さい。せいぜい十分の一程度、二百名前後の規模だ。エストアの全てを取り仕切るとまではいかないようだ」

「海賊団は複数って言うから、手が回らないのも当然だね」

「それにしても、調べれば調べるほど海賊団の連中には怒りを覚える。数に任せて略奪暴行を働くような奴は死ねばいい」


 ゼロは、嫌悪感も露わに吐き捨てるように言った。


「へえ……」

「何?」

「いや、『殺し』なんていう仕事を生業にしていた割には、海賊の略奪暴行という行為に対して嫌悪感を持っているようだったから」

「暗殺者を差し向けられた人間は、そうされるだけの理由がある。大体において、目標側にも非があるものだ。だから私は仕事としての殺しに抵抗を感じない。だが、海賊は略奪をした後に皆殺しにするか、奴隷商に売り飛ばす。殺し屋の私にだってプライドがある。目標以外の無関係な人間は殺さない。だが奴らがやっているのはただの強盗だ」

「僕だって非道な奴らに関わりたくないというか、そんな奴らは許せそうにないけど……って、あれ? じゃあ僕が殺されても仕方がないって理由は何だったの?」

「無能な王族という時点で殺されるには充分な理由じゃないか?」

「………………」

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