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プロローグ~ミソッカスと呼ばれる王子~

 ディアス大陸にあるラトベニア王国。大陸にある国々の中でも、特に長い歴史と広大な国土を持つ国だ。

 安定した気候、豊富な漁場、そして数多の鉱山から取れる良質な鉱物。

 近隣諸国は常にラトベニアの顔色を伺い、訪れる旅人たちは、大陸一とまで言われる王都の繁栄ぶりと、この世にあるもので揃わないものは無いとまで言われる市の規模に度肝を抜かれた。


 そのラトベニア王国を統べる一族に、ジークベルト・ラ・ラニという名の男の子がいる。家族からは親愛を込めて『ジーク』と呼ばれている、ラトベニア王国の第一王子だ。


 そのジークが五歳になったある日、彼は自らの将来を決める人物と出会いを果たす。その人物とは――。


「ジークよ、今日からそなたの妹となるユイリアだ」


 ある日、国王である父ハルバートに連れられて入った部屋の中で、母ミリアネアに抱かれた彼女と出会った。


「ほら、ユイリア? あなたのお兄さんよ?」


 真っ白で柔らかなお包みで、健やかな寝息を立てて眠っているユイリア。

 ひと目見て。

 ジークの全身に鳥肌が立っていた。


「どうしたのだ? ジーク、もっと近くによってそなたの妹の顔を見ると良い」


 部屋の入口に一歩足を踏み入れた所で、それ以上中へ入ろうとしないジークを見て、ハルバートが訝しげに息子を見る。

 しかしジークは、それ以上一歩も前へ足を踏み出すことができなかった。

 目に見えない何か壁のようなものに圧される感覚。そのプレッシャーは妹と紹介されたユイリアの内面から放たれているものだと、ジークはすぐに悟った。


「僕……僕……入りたくない!」

「あ、こら、ジーク」


 ハルバートが声を掛けるが、ジークは脱兎の勢いで部屋を飛び出し走って行ってしまった。


「お待ち下さい、殿下」


 その後を慌てて侍女たちが追っていく。


「どうしたというのだ、ジークは?」

「きっと、妹ができたことに戸惑っているのでしょう。直に慣れると思いますわ」


 ジークと侍女たちが出ていった部屋の入り口を見たまま呟いた夫へ、ミリアネアは微笑みを浮かべてユイリアの顔を覗き込んでいる。


「だって、こんなに可愛いらしいのですもの」

「ふむ……そうだな。この子には亡くなった両親の分まで幸せになってもらいたいものだが……」

「きっと……幸せになりますわよ」




「まあ、なんて可愛らしいこと。まるで天使のようですわ」

「将来、国一番の美姫に成長されること間違いございませぬ」

「おめでとうございます、陛下」


 まだ赤ん坊のユイリアを褒め称える大人たち。

 この子が本当に美姫に育つかどうか、生後まだ半年に満たない赤ん坊の顔からわかるはずもない。しかし、すやすやと眠っているユイリアの顔を覗き見ては、誰もが口々にこの子は必ずや美姫になるに違いないと褒めそやす。

 その様子を少し離れた場所からジークは見ていた。

 ユイリアと初めて対面した日から二週間、家臣へのお披露目を迎えたこの日になっても、相変わらずジークはユイリアに近づけなかった。


「ハハハ、どうやらジークベルト殿下は、初めてご対面される妹姫様に戸惑われていらっしゃるようですな」

「無理もございません。聡明な殿下とはいえ、妹姫殿下のご誕生という初めてのご経験に、戸惑いを覚えても不思議ではございませんよ」


 そんな幼い第一王子の様子を、お披露目の席へ招かれた貴族たちは微笑ましそうに語る。

 しかし、ジークが戸惑っていたことは、自分に妹ができたことではなかった。

 妹ができた事自体、ジークは嬉しく思っている。それなのに、いざユイリアの姿を見ると、どうしても得体の知れない強烈な圧迫感を覚えるのだ。


(何で?

 どうして?

 どうして、みんなわからないの?)


 周囲の大人たちは誰一人気づいていない。ただ一人、ジークだけがユイリアから何か強烈な力を感じ取っている。その事を言い出せず、ジークはただ、ユイリアを取り囲む人々の輪から外れて佇んでいるだけだった。


 後年、思い返してみると、あの時ユイリアから感じ取った圧迫感が何だったのかわかる。あれは傑出した才能を持つ者だけが放つオーラのような者。本物の王者だけが身にまとうことを許されたオーラだった。

 そしてそのユイリアが持つオーラを最初に感じ取れた人物が、兄であるジークだったのは何のイタズラなのか。


 ジークは、五歳にして絶対の敗北感と強烈な挫折を味わうことになった。ユイリアの持つ傑出した才能の前には、自分が今からどれだけ努力をした所で決して届かないことを本能で思い知らされてしまったのである。

 自分とは違う世界を見ることが許された存在。


 悔しさ、嫉妬、憎悪――昏い感情をわずか生後半年にも満たない突然できた妹へ抱いた。しかし、それ以上に湧き上がってきたのはユイリアへのどうしようもなく抑えられない程の憧憬。

 そしてジークは自分の将来について重要な決断をする。


 一つは、おぼろげにも将来自分が父親の跡を継いで王位に即位するだろうと思っていたが、それはきっとユイリアに譲るべき場所なのだと。

 そしてもう一つ。兄は妹を大切に守るものらしい。なら、今はまだか弱い赤ん坊である妹を守るために、兄として全力を尽くすことを。


 たった五歳にしてジークは強く決意を固めたのである。



 ◇◆◇◆◇



 元王宮魔術師筆頭ヨハン・ル・ハンネマン。かつては大陸でも五本の指に入るとして、近隣諸国にまで名を馳せた大魔術師。しかし、そう呼ばれていたのは二十年も前のこと。国への多大な功績から、王宮魔術師筆頭の地位を退いてからも国王相談役という名誉職を授かり、王宮の敷地の片隅に小さな庵をもらって、書物を読みふける悠々自適な日々を送っていた。

 二十年という歳月は、王宮の中の人々が何度も入れ替わってもおかしくない時間である。

 やがてハンネマンの存在は、一部の者を除いた王宮の者たちから、忘れ去られてしまった。齢九十を超えたハンネマン自身、静かに書物を紐解く日々が続けばよく、自然と王宮に顔を出す日は少なくなり、ここ十年は散歩の時以外に庵から外へと出る事はなくなってしまっていた。

 そんなある日の事。

 王宮が姫の誕生を祝う空気に包まれている中で、ただ一人いつもと変わらず静かな庵で読書に耽っていたハンネマンのもとへ一人の来客があった。


「わしに魔術を教わりたい、じゃと?」

 

 訪れたのはジークベルト・ラ・ラニ。この年、五歳になるこの国の王子。

 すでに世俗からは離れてしまったハンネマンとはいえ、ジークベルトは君主の息子である。

 無下に扱うわけにも行かず、部屋の中へ通すと自ら蜂蜜を落としたミルクと甘い焼き菓子を出してやる。

孤独を好んだ老魔術師は王宮が付けようとした世話係すらも断っていて、週に一度の食糧や生活に必要な物資のみを受け取って、家事のほとんどを自分でこなしていた。


「わしに魔術を教わりたいとは、どういうことでございますかな、殿下? 殿下には遠の昔に引退したわしに習わずとも、魔術の先生がおられるでしょう? なのになぜわざわざわしのもとへ?」


 椅子に座ったハンネマンは、焼き菓子にも手を付けずどこか落ち着き無く部屋の中を見回している幼い王子へ話をするよう促した。

 するとジークは膝の上でギュッと拳を握って俯くと、きっと顔を上げ、しっかりとハンネマンへ目を合わせて口を開いた。


「…………王宮中の人に聞いたんだ。この国で一番の魔術師は誰なのかって。色んな人を教えてもらったんだけど、一番多かったのは宮廷魔術師長のストレイルだった」


 ジークの答えにハンネマンは頷く。

 アードベルト・ル・ストレイルはハンネマンの元部下で、現在の王宮魔術師筆頭の地位にある魔術師だ。宮中の者に限らず、市中の者たちに国一番の魔術師は誰かと聞いたとき、十中八九は彼の名前を挙げるだろう。


「うむ。確かにストレイルは超一流の魔術師ですな」


 ただし、宮廷魔術師長という役職は暇ではない。国中の魔術師を統括している大臣に等しい役職だ。

 例え、第一王子の願いとはいえど、魔術を教授するだけの時間を取ることは難しいだろう。


「では、殿下はそのストレイル宮廷魔術師長に紹介されて、わしのもとへやってきたのですかな?」


 多忙を極めるからといって、第一王子の願いを無下にするわけにもいかず、弱ったストレイルが老魔術師のことを紹介したのだろうか? 

 そう推察したハンネマンだったが、ジークはフルフルと首を横に振って否定した。


「違うよ。だって……お年寄りの人たちに聞いたら、みんなこう言うんだ。本当のこの国一番の、いや世界でも一番を争うことのできる魔術師がいる。その人の名はヨハン・ル・ハンネマンっていうお爺さんだって。で、どこにいるの? って聞いたらここを教えてもらったんだ」

「……お年寄りからですと?」

「うん。みんな揃ってそう言うんだ。若い人はみんなストレイルや他の人の名前を挙げて一番だって言うのに、お年寄りの人たちはみんなハンネマン先生の名前しか言わない。これって、本当に一番凄い魔術師だってことじゃないかなって思ったんだ」


 そのジークの言葉にハンネマンは瞠目する。

 確かにハンネマンが現役だったのは二十年も昔。二十年という月日で大分人が入れ替わり、ハンネマンの事を知るものは一部の者たち。つまりにじゅうねン以上も昔から王宮に仕える古株の者たちしかいなかった。

 この幼い王子はある程度以上年齢を重ねた者たち――つまり古くから王宮に仕えている者たちは全員ハンネマンこそが一番の魔術師であると、統一した見解を持っていることに気がついてみせたのだ。


(なんという……五歳にして、そこまでお考えになられるのか!)


 この国の次代の王となるべき人物が、人並み以上に聡明であることは悪いことではない。国に明るい未来が約束されているようなものなのだから。

 だが、まだわからないことがある。


「なるほど。殿下がこちらへいらした理由はわかりました。ですが、殿下には魔術の手ほどきをしてくださる教師がいらっしゃるでしょう?」


 ハンネマンのわからなかったことがこれである。

 ラトベニア王国の第一王子ともなれば、その教育係として各分野で一流と呼ばれる者たちが選ばれているはず。

 魔術に関しても王宮魔術師の中から選抜された優秀な魔術師が、王子の教育係として魔術を教えてくれるはずなのだ。

 

「うん、いる」

「ではなぜ、その者から魔術を教わりにならないのです?」


 そう問われてジークはうつむいた。頭を小さく左右に振って、床のアチラコチラを見ている。


(何か迷っていらっしゃるのか?)


 五歳という年齢だ。まだ語彙も少なく、うまく考えを伝えられる言葉を持たないのかも知れない。

 ハンネマンは椅子へ深く腰掛けると、幼い王子が口を開くのを気長に待つことにする。幸い、老魔術師にはたっぷりと時間があった。

 ややあって、考えがまとまったのかジークが小さな声で話し始めた。


「信じてもらえないかもしれないけど、先生じゃ……先生じゃダメなんだ。父上も母上も、それに先生も……誰もユイの凄さに気づいていない。でもいつか、僕が気がついたように、みんなだってユイの凄さに気がつく。その時、みんながユイの凄さを知って怖がるかもしれない。いじめようとする人もいるかもしれない。だから僕は、ユイリアを守れるだけの力をつけなくちゃならないんだ」

「ユイ? ユイというのは、先ごろお披露目されたと聞くユイリア姫様のことですかな?」

 

 ハンネマンの問いに幼い王子は頷いた。


「それにしても、凄いとはいったいどのような?」

「僕は……僕は初めてユイを見た時、とても凄い息苦しさを感じたんだ。怖い? ううん、違う……何ていうか……ドキドキした。手と足が震えていた」

「それは妹姫様が生まれたことで、お喜びになられていただけなのでは?」

「違うんだよ。嬉しかったのは本当だけど、嬉しいって感情じゃない。こうなんていうか、見てるだけで力が湧き上がってくるっていうか……その場で飛び跳ねて喜びたいっていうか……」

「……ふむ、高揚感という奴でしょうかな?」

「こう……なに?」

「非常に興奮した状態のことですよ、殿下。ですが、やはりそれは妹姫様のお生まれに興奮されただけではないかと」

「違う! 絶対に違う!」


 ハンネマンの推測に、しかし幼い王子は激しく首を振って否定した。


「ユイから感じられた凄さは、僕が興奮していたからじゃない! アレは父上から時々感じるものと一緒なんだよ!」

「陛下と?」

「父上が謁見の間で沢山の人に会ってる時、なんていうか近づいちゃいけない気持ちになる。あれをもの凄く強くした感じをユイから感じ取れた」

「殿下、それは……」

「謁見の間では、大人の人たちは父上の前で膝をつく。僕も母上や勉強を教えてくれる先生から、人前では父上の前で膝を付いて頭を伏せなさいって習った。それは父上が国王でこの国で一番偉い人だから、そうしなくちゃいけないって。謁見の間にいる時の父上を見たら、何となくそうしなくちゃいけないって僕も思う。でもユイは違うんだよ。ユイは謁見の間にいる父上以上に、僕は、僕自身にユイの前で膝を付いて頭を下げたいって思った。誰かに言われたんじゃなくて、僕自身が……そうしなくちゃいけないって思ったんだ」

「ふむ……わしはまだ、姫様にお目通りしてはおりませぬ。ゆえに殿下が姫様のどこに凄さを感じたのか、それはまだ良く理解できませぬ。ですがそのことと、殿下が強くならなければならないことにどういった繋がりが?」

「……僕は将来、父上の跡を継いでこの国の王様になるんだって教えてもらった。でも、違った。僕なんかじゃない。僕なんかよりもユイのほうがきっと王様になるべき人物だと思う」

「殿下、殿下はまだ五つですぞ? それにわしの見たところ、殿下は十分に聡明な方のようにお見受けできます。それに姫様はまだ赤子。お二方とも、ご自身の評価を定めるには早すぎるでしょう」

「ふふ、ハンネマンならきっと、ユイを見ればきっとわかるよ……。僕が言ってることが正しいって……」


 その時に浮かべたジークの表情は、妹に対する隠しきれない強い憧憬と嫉妬。それは六歳になる子どもが、まだ一つにも満たない幼子へ見せる感情ではない。ハンネマンはそんな感情を見せた幼い王子にも驚かされたが、それ以上に次の言葉に驚愕せざるを得なかった。


「わかりませんな。それでどうして殿下の先生役にある者にではなく、わしに教えを請おうというのか」

「僕が教えてほしいのは、先生が教えてくれるような火を出したりする破壊の魔術じゃない。僕が教えてほしいのは、命を守る事ができる魔術。僕やユイを守ることの出来る魔術なんだ」

「殿下と姫様を守る……?」

「僕もユイも王族だ。そんな僕たちにとって、必要以上に破壊の力なんて必要ないんだって思う。だって僕たちにそんな力が向けられる時って、多分何もかも終わってるときだから。僕たちに必要な力はそんなものじゃない」

(この幼子は……この王子は……)

「実際に僕たちへ届きうる刃って、それは毒、もしくは隠し持たれた刃。そうじゃないのか?」

「それはつまり……」


 齢五歳にしてこの王子は、暗殺というものをすでに警戒しているのだ。

 果たして王族に生まれたからといって、わずか五歳の幼子が、自身の命を狙われることがあるなど考えられるものなのだろうか?


「僕に必要な力はその隠し持たれた刃を跳ね返す力なんだ。僕はその力が欲しい……」


 まっすぐにハンネマンを見る幼い王子の目に、老魔術師は一瞬呼吸すらも忘れそうになった。

 その目に宿る知性の光。

 ハンネマンにも家族がいる。

 子どもを育て、孫を育て、ひ孫、そして玄孫だっている。

 親の欲目かも知れないが、どの子も利発な子どもたちで、今も国の重要な部署で働いている。その子どもたちだって、五歳の時にこんな目をしてはいなかった。

 老魔術師はほうっと一つ息を吐いた。すると僅かだが自身の肩に力が入っていたことに気づいた。

 かつて大陸でも五本の指に入るとまで言われたハンネマンが、わずか五歳の子どもに気圧されていた。

 その事に気が付き、ハンネマンはシワ深い顔を綻ばせた。


「いいでしょう、殿下。宮廷魔術師の任を退いたとはいえ、わしはこの国の家臣の一人。殿下に請われれば断るわけにも参りますまい」

「じゃあ!」

「ですが、殿下が教わりたいのは普通の魔術ではないとのこと。つまりは殿下ご自身とユイリア姫様の身を守るため、切り札となる魔術を教わりたいとおっしゃるのですな?」

「うん」

「ならば、一つだけそういった魔術に心当たりがございます」


 ハンネマンの言葉に幼い王子は目を輝かせる。

 その目を見てハンネマンはより決意を固めた。

 これから教えようと思いついた魔術はハンネマン自身が編み出し、そして結局使いこなすことのできなかった魔術。そしてその後、誰にも伝えることのなかったまさに秘伝中の秘伝とも言える魔術だった。

 

「まだ何一つ魔術を知らぬ殿下であれば、わしにも会得できなかったこの魔術を会得することができるやもしれませぬ。しかし、この魔術の習得はとてつもない時間と才能を費やすでしょう。もしかすると他の魔術を覚えることも一切できぬやもしれませぬ。それでもよろしいか?」

「その魔術は間違いなく切り札にできるんだね?」

「わし以外は、この魔術の存在を知りません。必ずや殿下にとって役に立つでしょう」

「それがいい。例え他の魔術が使えなくなったとしても、僕はその魔術を覚えたい」

「この魔術はとにかく時間が掛かります。そしておそらくは成長するにつれて習得が困難なものになる魔術かと思います。この身がこの魔術を会得できなかったのも、この術を開発したのが齢五十を超えてしまっていたことも原因でした」

「わかったよ、すぐにでも教えて欲しい……いえ、お教え願えますか?」


 教えを請う身として、言葉遣いを正してみせた幼い王子に。

 

「教えねばならないことは山ほどあります。殿下はこれより我が弟子となります。そしてこの老いぼれの最後の弟子として、殿下にはわしの編み出した秘奥中の秘奥とも言うべき魔術を捧げましょうぞ」

 

 その言葉に、幼い王子はここへ来て初めて顔を綻ばせ、深く老魔術師へ頭を下げたのだった。



◇◆◇◆◇



 平穏な時が流れ――ジークベルト八歳、ユイリアは三歳になった。

 ラトベニア王国王宮、中庭に面した一階の明るい部屋をジークは勉強部屋としてあてがわれている。

 部屋の中は黒板にぎっしりと隙間なく詰まった書物、星空を刻んだ天球儀、ラトベニア王国の版図を描いた地図に世界地図など、これだけでも売り払えば一財産築ける程の品物が取り揃えられている。それに加えて国外、国内の有力者から贈り物として届けられた数々の高価な魔術道具(マジックアイテム)の品も転がっていた。

 その部屋でジークは魔術の教師であるクイルドと向かい合って座ると、机の上に置かれた黒い布に描かれた五芒星の魔法陣と水晶玉へ向き合っていた。

 この魔方陣と水晶玉は魔力を増幅し、魔術の発動を手助けしてくれる効果を持っている。

 ジークは教師から教わったとおりに水晶玉へ両手をかざし、力ある言葉を唱えた


「光を灯せ! 『明かり(ライティング)』!」


 成功すれば水晶玉が明るく光を放つはずなのだが、水晶玉は何の変化も起こらない。


「やれやれ……失敗ですね、殿下」


 ため息を吐いた教師は、口調こそ丁寧だが隠しきれない嘲りの色の混じった声音で告げた。本来教師程度の身分であれば、ラトベニア王国の第一王子に対してこのような口の利き方は決して許されないはず。

 それなのに教師がこんな口の利き方をして見咎められないのは、ジークベルト王子が八歳にしてミソッカスな王子だという評価が定まりつつあったからだ。


「いいですか、王子。もう一度おさらいしましょう」


 教科書を右手に持ち、コツコツと足音を立てて王子の座る席の周囲を回りながら、教師は何度も説明してきた魔術についての初歩的な講義を行う。


「魔術とは魔力と呼ばれるエネルギーを代償に世界へ働きかけ、様々な現象を起こしてみせる技の事です。生きとし生けるもの全てのものは魔力を持っていますが、その量は個人個人や種族によって変わってきます。この魔力の容量の事を何というか覚えていらっしゃいますか?」

「えっと、魔力容量(キャパシティ)?」

「そうです」


 ジークの答えに教師は頷くと、黒板に向かいチョークを手にした。


魔力容量(キャパシティ)は魔術を使う際に非常に重要な要素となっていて、魔力容量(キャパシティ)の大小が生涯覚えられる魔術の数を決定します」

「うん」

「例えばここに魔力容量(キャパシティ)が百の人物がいます。この人物は魔力容量(キャパシティ)を十必要とする魔術を十個覚えると、もうそれ以上の魔術を習得することができません。また同じ人物が九十の魔力容量(キャパシティ)を必要とする魔術を一つ覚えた場合、残りは十の魔力容量(キャパシティ)しかありませんので、魔力容量(キャパシティ)を二十必要とする魔術は覚えることができなくなります」

「一度習得してしまうと、もう別の魔術に魔力容量(キャパシティ)を使うことはできないんだよね?」

「はい、そのため魔術を習得する際には、その術が本当に自分にとって必要なものなのか、十分に注意して習得しなくてはなりません」


 大きな威力、効果を持った魔術はその分必要な魔力量が多いため、魔力容量(キャパシティ)の容量を大きく削ってしまう。逆に小さな威力、効果を持った魔術であれば必要な魔力量も少ないため、魔力容量(キャパシティ)が許す限り多種多様な魔術を習得できる。

 多種多様な魔術を扱えるが一発の威力には欠けた魔術師となるか、応用力は無いが、嵌まれば一発で形勢を変えられる程の威力を持った魔術師となるか。


「王子の場合はあまり多種多様な魔術は必要ありません。必要であれば、私のような王宮魔術師など周辺の者たちが代わりに使えるでしょうから。また、使い勝手の悪い魔術一つを習得しても、これも王子にとって意味がないでしょう。広く、浅く使える魔術を幾つか習得するのがよろしかろうと思います。その事を踏まえた上で、最初に覚えていただきたい魔術がこの『明かり(ライティング)』なのですが……」


 その名が示すとおり明かりを灯す魔術である。魔術が使えるものであれば、まず大抵の者が扱える術。必要な魔力容量(キャパシティ)も数字に表せば一程度と少ない簡単な術だ。

 王宮内は、夜になっても王宮魔術師たちが『明かり(ライティング)』を使って照らすため明るい場所が多いのだが、覚えておいても損はない便利な魔術である。

 教師の説明を聞き終えたジークは再び魔法陣と水晶玉へと手をかざす。


「『明かり(ライティング)』」


 ジークと教師の視線が水晶玉へと注がれるが、やはり変化は見られなかった。

 教師は盛大なため息を吐いた。


「休憩にしましょうか?」


 頭痛がするといった表情を見せた教師がそう言った時、小鳥のさえずりのような可愛らしい声が聞こえてきた。


「にしゃまにしゃま、あしょんで!」


 まるで休憩を見計らったかのようなタイミングで、部屋へ飛び込んできたのはジークの妹となったユイリアである。


「ユイ、兄さま(・・・)だ。それから遊んで(・・・)だ」

「んーと、にしゃまあしょんで?」


 まだ「にいさま」「あそんで」をまともに言えない三歳のユイリア。

 綺麗な蜂蜜色の金髪をポニーテールにまとめ、極上の宝石のような碧眼、整った鼻梁、透き通るような白磁の肌。今はまだ幼さゆえに愛らしさが先に立つが、将来はどれほどの美姫となるのかと噂されていた。

 ユイリアはちょこんとジークの机に両手を掛けると、頭だけを覗かせて兄の顔を見上げる。


「あしょんであしょんで!」


 足をバタつかせ全身で遊んでほしいとねだる幼い姫の愛らしい姿に、ジークだけでなく教師の顔も思わず緩んでしまうが、教師はコホンと咳払いをするとユイリアの視線の高さに合わせてしゃがみこんだ。


「姫様、申し訳ございません。ジークベルト殿下はお勉強中なのです」

「おべきょう……?」

 

 小首を傾げたユイリアはジークに振り返った。


「おべきょう……いちゅ終わるの?」

「ごめんね、ユイ。まだもうちょっと掛かりそうなんだ」


 その途端、ユイリアが悲しげに顔を歪ませたので、ジークはふわふわなユイリアの髪を優しく撫でてやる。


「しぇんしぇー、じゃあ、終わるまでここにいてもいい?」

「構いませんよ」


 ユイリアのお願いを教師は快諾する。

 実を言えば、ユイリアがこうやってジークの勉強部屋へ入ってくるのは初めてではない。魔術の授業だけではなく、言葉や歴史、算数といった授業中であっても兄が大好きなユイリアはこうしてやってきては、部屋の中で一緒に過ごしていた。

 そして実を言えば、教師たちもユイリアが勉強部屋へ訪れる事を楽しみにしていた。

 なぜならユイリアは――。


「ら、ら、らちんぐ? らちんぐ! らちんぐ! ら・ち・んぐ!」

「ライティングだよ、ユイ」

「らいちんぐ!」

「ライティング」

「らいちんぐ! らいちんぐ! らいてぃぐ! 『明かり(ライティング)』!」


 ユイリアの小さな指先に、パッと輝く光球が生まれた。

 魔術の効果を増幅させる魔法陣と水晶玉を使っても、一向に明かりを灯せない兄を差し置いて、数回試行してみただけで、増幅道具も無しに魔術を習得、発動させてみせたのだ。


「おお! 素晴らしい! お見事ですよ、姫様。三歳で魔術を覚えるなんて、姫様は本当に天才ですね!」


 教師もニコニコとユイリアを褒めちぎっている。

 その様子をジークは複雑な感情で眺めていた。

 三歳のユイリアは、まだ勉強を始めてすらいない。それなのに実はもう、ある程度の文字を読むことはできるし、数字の計算もできるようになっていた。

 ただ、ジークの勉強時間にお邪魔していただけで、どんどんと知識を吸収していくのである。

 三歳児ゆえに集中力が続かないのか、時折授業を聞くのに飽きて、書架から適当な図鑑などを取り出して眺めていることもあるが、それだって文字が読めるからこそである。

 教師たちにとっても物覚えの悪い生徒より、グングンと知識を吸収してしまう生徒の方が可愛い。そしてまた、ユイリアがとびきり可愛らしい容姿をしていることも、教師たちに受けが良い理由の一つである。教師によっては、ジークそっちのけでユイリアを相手にする者もいるぐらいだ。

 ジークが初めてユイリアと対面した時に直感したとおり、やはり彼女は傑出した才能を持っていた。


「見て見て、にしゃま!」


 嬉しそうに顔を綻ばせて指先に灯った光の球を見せてくるユイリアへ、ジークは正直嫉妬を覚えてしまうことも多い。


(例え自分がハンネマンに魔術を教えてもらっていなくても、きっとユイのように容易く魔術を覚えるなんて事できなかっただろうな……)


「さすがは王族ですね。魔力容量(キャパシティ)の大きさは平民はもちろん、よほどの貴族でも王族にはかないませんからね。姫様が大きくなられたら、魔術師としても後世に名を残すやもしれませんね」


 教師はそう言って感嘆の呟きをこぼすと、それに引き換えといった目でジークを見た。


「ジークベルト殿下も王族ですのに、どうして『明かり(ライティング)』すらお使えにならないのでしょうか。真面目に取り組まれていないのか、それとも魔力が皆無に等しい『才無し』なのか……。いずれにせよ、陛下にご報告申し上げねばならないかもしれませんね」


 教師のきつい言葉にジークは肩を落としてみせた。

 こうして王宮内でユイリア姫の傑出した聡明さと、ジークベルト王子のミソッカスぶりが囁かれ始めるようになった。そしてその囁きは、人の口から口へと伝えられて、やがて国中に広まっていった。

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