第35話 贄
悪魔は、笹が気絶したのを見て掴んでいた手を離し、こちらに歩いてくる。
私は縛られているので、イモムシのようにウネウネするのがやっとで、とても逃げきれない。
悪魔は、私の髪を掴むと品定めするかのように顔を覗き込んでくる。
奴の口は頬まで裂け、黄ばんだ歯の先は尖って不均一に並び、目は視線が定まらず狂気を湛えている。
何が面白いのか、不快な笑みを浮かべ鋭く尖った爪を私に見せつけてくる。
「目玉をくり抜くか? それとも皮を剥ぐか? そうだ焼いたコテを当てるか?」
喋った、なまじコッチの言葉習っちゃってるので意味が解っちゃうのが嫌だ。
私は、奴の目を睨みつけて、
「お前は何者だ、なんでこんな事するんだ」
と、虚勢を張る。そうでもしないと泣きそうだったし、それをコイツに見られるのは更に嫌だったから。
「クッククッ、我が名はジョーカー。久しいな小娘、頑張っても無駄だお前が弱いのは知っている。クックックッ、怖かろう」
意外と流暢に喋りやがるな、このハゲ。
すると奴は、チャカチャカと私の顔の前で動かしていた爪を引くと、ブスリとイキナリ私の肩に突き刺した。
「イタタタタッ、イタイイタイイタイ! 痛いよぅ、痛いってば、止めて」
私が痛がってお願いするのを見て、奴は更にニンマリと笑うのだ。
悔しいけれど、私に出来る反撃手段なんて無い、奴が爪をこねるたびに悲鳴を上げる事しか出来ない。
私には逃げるすべが無いし、ひたすらに苦痛に耐えるしか無かった。
1時間それともまだ5分くらい? 痛みで気が遠くなるが、それを引き戻すのも痛みだ。
その時、轟音と共に重たい木の扉が叩き壊され、室内に倒れこんでくる。
私の視界は涙でにじみ、よく見えてなかったけど、きっとタキさんの魔法だって思った。
目を瞬いて涙を払うと、タキさんと共に、騎士が2人駆け込んでくるのが見えた。
ジョーカーは私の頭を鷲掴みにして掲げると、何か呪文を唱え始める。
ギチギチと頭を締め付けられる。
パチパチと頭の中に火花が走り、これまで生きてきた記憶が映像になって流れていく、これが走馬灯なのか?
助けて助けて誰か、助けて…お兄ちゃん。
ジョーカーは振りかぶると騎士たちを牽制するように、軽々と私を投げつける。
それを滑りこむように、かろうじてタキさんが受け止める。
頭を抑えつつジョーカーの方を見ると、私達とジョーカーのあいだの空気がレンズのように歪む。
そして、その歪みの隙間から人の手がニョッキリと出てくる。
騎士たちがジョーカーに詰め寄ると、その手は一気に身体を生やして騎士の一人の顔面を打ち据える。
さらにもう一人に向かって組み付くと、立ったまま関節を極めて投げ飛ばした。
その屈強な男には、見覚えがあった。
それは佐渡亮介、うちの愚兄であった。
脳筋で、無駄に剣道と柔術を極めんとする格闘家でシスコン野郎だ。
何をトチ狂ったか、騎士に関節技を極めて締め上げている。
その間に、無防備になった入り口からジョーカーは逃走する。
「お兄ちゃん、やめて! その人は味方、やーめーろー」
駄目だ、仕方ない。
「トウ!」
タキさんに拘束を解いてもらった私は、助走を付けて飛び込むと、兄の顔面に飛び膝蹴りを叩き込んだ。
「ゴッパッ」
兄は変な音を立ててカクンと墜ちた。
兄は騎士に手足を拘束されて、担架で連れて行かれる。
「兄はどうなっちゃうの?」
「大丈夫、ちゃんと正気に戻して差し上げますよ。それよりコトネさん肩の傷」
「あ、痛い痛い。へへっ思い出しちゃったよ」
「すいません、もっと早く見つけられれば」
「ううん、ありがとう。また助けてもらっちゃったね」
そして私よりひどい目にあっていた、笹も担架で運ばれていく。
「彼は2度目ですか、酷い運命だ」
「2度目ってどういう?」
私が聞くと、
「彼は、最初に発見された時も今回のように拷問されていたんです。およそ2週間も」
酷い、こんな拷問を2週間も!?
私には耐えられないだろう、そう思うと背筋に寒いものが走った。