拓務大臣
◇拓務大臣
拓務大臣は拓務省の長。
明治時代に海外の植民地である台湾総督府を管理する目的で拓殖務省が設置されていたが、わずか1年で廃止された。その後、内務省が管轄していたが、日露戦争以降日本は樺太や関東州、朝鮮併合などで海外領土が増えたことにより、朝鮮総督府、台湾総督府、南洋庁・樺太庁を統括する組織として1929年に新設された。
しかし、省設置後に始まった満州事変以降に獲得した占領地は軍部が統治していて拓務省が関与できなかったこと、朝鮮総督府には直接の監督権がないなど、当初から問題点が指摘されていた。1942年に大東亜共栄圏を管理する大東亜省が設置されることになると、拓務省は、大東亜省・内務省・外務省などに分割されることになった。
歴代拓務大臣一覧
22代21人
初代 田中義一 田中内閣 1929(23日)内閣総理大臣・外務大臣兼任
2代 松田源治 濱口内閣 1929-1931(652日)
3代 原脩次郎 第2次若槻内閣 1931(150日)
4代 若槻禮次郎 第2次若槻内閣 1931(95日)内閣総理大臣兼任
5代 秦豊助 犬養内閣 1931-1932(166日)
6代 永井柳太郎 齋藤内閣 1932-1934(774日)
7代 岡田啓介 岡田内閣 1934(110日)内閣総理大臣兼任
8代 兒玉秀雄 岡田内閣 1934-1936(136日)
9代 永田秀次郎 廣田内閣 1936-1937(331日)
10代 結城豊太郎 林内閣 1937(123日)大蔵大臣兼任
11代 大谷尊由 第1次近衛内閣 1937-1938(357日)
12代 宇垣一成 第1次近衛内閣 1938(128日)外務大臣兼任
13代 近衛文麿 第1次近衛内閣 1938(30日)内閣総理大臣・外務大臣兼任
14代 八田嘉明 第1次近衛内閣 1938-1939(161日)商工大臣一時兼任
15代 小磯國昭 平沼内閣 1939(238日)
16代 金光庸夫 阿部内閣 1939-1940(140日)
17代 小磯國昭 米内内閣 1940(189日)
18代 松岡洋右 第2次近衛内閣 1940(69日)外務大臣兼任
19代 秋田清 第2次近衛内閣 1940-1941(294日)
20代 豊田貞次郎 第3次近衛内閣 1941(93日)外務大臣兼任
21代 東郷茂徳 東條内閣 1941(46日)外務大臣兼任
22代 井野碩哉 東條内閣 1941-1942(335日)
在職日数ランキング
第1位 永井柳太郎 774日 昭和
第2位 松田源治 652日 昭和
第3位 小磯國昭 427日(2回)昭和
第4位 大谷尊由 357日 昭和
第5位 井野碩哉 335日 昭和
第6位 永田秀次郎 331日 昭和
第7位 秋田清 294日 昭和
第8位 秦豊助 166日 昭和
第9位 八田嘉明 161日 昭和
第10位 原脩次郎 150日 昭和
第11位 金光庸夫 140日 昭和
第12位 兒玉秀雄 136日 昭和
第13位 宇垣一成 128日 昭和
第14位 結城豊太郎 123日 昭和
第15位 岡田啓介 110日 昭和
第16位 若槻禮次郎 95日 昭和
第17位 豊田貞次郎 93日 昭和
第18位 松岡洋右 69日 昭和
第19位 東郷茂徳 46日 昭和
第20位 近衛文麿 30日 昭和
第21位 田中義一 23日 昭和
就任回数
2回
在職日数が少なく再就任するケースが小磯国昭のたった1回しかないこと、兼任が多いことから拓務大臣の職はかなり軽く見られていたと思われますね。
◇参考
・ウィキペディア『拓務省』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%93%E5%8B%99%E7%9C%81




