運輸通信大臣
◇運輸通信大臣
運輸通信大臣は運輸通信省の長。
運輸通信省は、第二次世界大戦中東條内閣の時1943年11月1日に、戦時中の海陸輸送体制を総合的に所管する組織として、当時委員であった肥田琢司と南条徳男が先頭に立ち逓信省と鉄道省を統合して設置されました。また、逓信省と鉄道省の他に、内務省から港湾建設部門が、商工省からは倉庫関係部門が、文部省から中央気象台が分離統合されています。
旧鉄道省が所管していた国有鉄道の運営、民営鉄道の監督などは鉄道総局が担当し、旧逓信省が所管していた海運行政は海運総局が担当していた。旧逓信省の逓信事業(郵便・貯金・保険・電信・電話)は外局として設置された通信院が担当している。
構想として将来は大東亜共栄圏全域の運輸通信行政を統括する構想も有していたが、現実に誕生した新省は、80万人の職員を抱えた超巨大官庁と化してしまい、行政上パンクすることが起きてしまった。
そのため、1945年5月19日、巨大となっていた組織の効率化を図るため、通信院を内閣所轄の逓信院として分離させたことにより、運輸通信省は運輸省に改組されることになった。
歴代運輸通信大臣一覧
初代 八田嘉明 東條内閣 1943-1944(111日)
2代 五島慶太 東條内閣 1944(155日)
3代 前田米蔵 小磯内閣 1944-1945(260日)
4代 豊田貞次郎 鈴木内閣 1945(3日)軍需大臣兼任
5代 小日山直登 鈴木内閣 1945(43日)
就任回数の多い大臣
全員1回の採用
在職日数ランキング
第1位 前田米蔵 260日 昭和
第2位 五島慶太 155日 昭和
第3位 八田嘉明 111日 昭和
第4位 小日山直登 43日 昭和
第5位 豊田貞次郎 3日 昭和
運輸通信省の存在が約1年半未満であることに加えてその短期間に内閣が3つ組閣されたことで1人であたりの閣僚の在任期間が極めて短くなっている。また、1つの内閣で同じ運輸通信大臣が在任していたのは小磯内閣のみとなっており、東條内閣では新たに新設されるものの初代の矢田大臣が途中で辞任しているし、鈴木内閣では発足当初は豊田軍需大臣が兼務する形であったことからきわめて重要視されていない閣僚ポストであったと言える。しかしながら、上の説明の通り運輸通信省は巨大な行政機関であったため重要であったともいえる。大臣にリーダーシップが求められてはいなかったのかなあと私個人としては感じてしまった。
なお、前の組織である逓信省と鉄道省の解説は次回以降にします。
◇参考
・ウィキペディア『運輸通信省 (日本)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8B%E8%BC%B8%E9%80%9A%E4%BF%A1%E7%9C%81_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)