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歴代内閣考察  作者: 騎士星水波
昭和時代戦前
48/58

第42代 鈴木貫太郎内閣

第42代 鈴木貫太郎内閣

 在任期間1945年4月7日~1945年8月17日(133日)


 国務大臣

内閣総理大臣 42 鈴木貫太郎(前枢密院議長)退役海軍大将

外務大臣   69 鈴木貫太郎 兼任

      70 東郷茂徳(元外務大臣)貴族院議員無所属倶楽部

内務大臣  65 安倍源基 内務省官僚

大蔵大臣  54 広瀬豊作 大蔵省官僚

陸軍大臣  54 阿南惟幾 陸軍大将 阿南が8月15日に敗戦の責任を取って自決したため、総辞職の8月17日まで陸相欠員。

海軍大臣  50 米内光政(前海軍大臣)再任 海軍大将

司法大臣  57 松阪広政(前司法大臣)再任 司法省官僚

文部大臣  68 太田耕造(元内閣書記官長)貴族院議員無所属倶楽部

農商大臣  ④ 石黒忠篤(元農林大臣)貴族院議員無所属倶楽部

軍需大臣   ④ 豊田貞次郎(元外務大臣)予備役海軍大将

運輸通信大臣 ④ 豊田貞次郎 兼任

       ⑤ 小日山直登 貴族院議員無所属 5月19日廃止

運輸大臣   ① 小日山直登 5月19日設置

大東亜大臣  ③ 鈴木貫太郎 兼任退役海軍大将

       ④ 東郷茂徳 兼任 貴族院議員無所属倶楽部

厚生大臣   ⑫ 岡田忠彦(前衆議院議長)衆議院議員大日本政治会

国務大臣     桜井兵五郎 衆議院議員大日本政治会

国務大臣     左近司政三(元商工大臣)貴族院議員同和会 退役海軍中将

国務大臣     下村宏 貴族院議員研究会 情報局総裁

国務大臣     安井藤治 予備役陸軍中将

内閣書記官長 52 迫水久常 貴族院議員無所属


 政務次官

外務政務次官   伊東二郎丸 貴族院議員研究会

内務政務次官   窪井義道 衆議院議員大日本政治会

大蔵政務次官   中村三之丞 衆議院議員大日本政治会

陸軍政務次官   小山邦太郎 衆議院議員大日本政治会

海軍政務次官   綾部健太郎 衆議院議員大日本政治会

司法政務次官   浜野徹太郎 衆議院議員大日本政治会

文部政務次官   橋本実斐 貴族院議員研究会

農商政務次官   上田孝吉 衆議院議員大日本政治会

軍需政務次官   野田武夫 衆議院議員大日本政治会

運輸通信政務次官 真鍋儀十 衆議院議員大日本政治会

運輸政務次官   真鍋儀十

大東亜政務次官  豊田収 衆議院議員大日本政治会

厚生政務次官   三善信房 衆議院議員大日本政治会


参与官

外務参与官   鶴惣市 衆議院議員大日本政治会

内務参与官   小泉純也 衆議院議員大日本政治会

大蔵参与官   西川貞一 衆議院: 大日本政治会

陸軍参与官   大岡忠綱 貴族院議員研究会

海軍参与官   神山嘉瑞 貴族院議員公正会

司法参与官   倉富鈞 貴族院議員公正会

文部参与官   伊藤五郎 衆議院議員大日本政治会

農商参与官   藤本捨助 衆議院議員大日本政治会

軍需参与官   三木武夫 衆議院議員大日本政治会

運輸通信参与官 羽田武嗣郎 衆議院議員大日本政治会

運輸参与官   羽田武嗣郎 5月19日以降

大東亜参与官  南雲正朔 衆議院議員大日本政治会

厚生参与官   斎藤正身 衆議院議員大日本政治会


 ◇参考

・ウィキペディア『鈴木貫太郎内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%B2%AB%E5%A4%AA%E9%83%8E%E5%86%85%E9%96%A3

・首相官邸HP『鈴木(貫)内閣』http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/42.html

・歴代内閣に関するデータベース『第43代・鈴木貫太郎内閣』http://www.geocities.co.jp/since7903/Syouwa-kyukenpou/43-Suzuki.htm


 主な出来事

1945年 4月 ・鈴木貫太郎内閣成立。

         ・戦艦大和が沖縄へ向かう途中、坊ノ岬沖海戦で撃沈される。

         ・米軍がブーヘンヴァルト強制収容所を解放。

         ・スペイン・チリが日本への宣戦布告ならびに国交断絶を表明。

         ・ルーズベルト米大統領急逝、ハリー・S・トルーマン副大統領が第33代大統領に昇格。

         ・スペインが日本と国交断絶。

         ・ソ連軍がウィーンを占領。

         ・英軍がベルゲン・ベルゼン強制収容所を解放。

         ・トルーマン米大統領が「日独の無条件降伏まで戦う」と声明。ゼーロウ高地の戦いが開始され、ドイツ首都ベルリンが戦場となる(ベルリンの戦い)。

         ・ソ連軍がベルリン東北郊外に迫り、市街に砲撃を開始。

         ・ソ連戦車隊がベルリン市街に突入(ベルリン市街戦、5月2日占領)。

         ・名古屋城の金鯱が疎開のため取外される。

         ・ドイツのエルベ川でソ連軍と米軍が合流(エルベの誓い)。

         ・サンフランシスコ会議開催、国際連合創設について議論。

         ・イタリア社会共和国政府崩壊、首相ベニート・ムッソリーニらは逃亡する。

         ・ムッソリーニらが愛人クラーラ・ペタッチとともに逮捕される。

         ・ムッソリーニら銃殺される。

         ・米軍がダッハウ強制収容所を解放。

         ・英空軍が窮乏中のオランダに食料を投下(マナ作戦)。

         ・独総統ヒトラーと妻エヴァ・ブラウンが自殺、遺言によりカール・デーニッツが大統領、ヨーゼフ・ゲッベルスが首相に就任。

         ・日本政府が官庁の休日全廃を決定。

      5月 ・ドイツでヨーゼフ・ゲッベルス首相夫妻が子どもたち6人を殺害後に自殺。

     ・ユーゴスラビア軍がトリエステに入る。

     ・イギリス軍がラングーン(現在のヤンゴン)を占領。

     ・日本で藝備銀行、呉銀行、備南銀行、三次銀行及び広島合同貯蓄銀行が合併し、(新)藝備銀行(現:広島銀行)設立。

         ・鎌倉文庫創設。

         ・ベルリン陥落。ソ連軍がドイツ国会議事堂に赤旗を掲げる(ライヒスタークの赤旗)。

     ・チェコスロバキアのプラハで対ナチ蜂起(プラハ蜂起)。

     ・デンマーク、ドイツ支配から独立。

     ・ドイツのデーニッツ大統領がUボートに戦闘停止を命令。

         ・ドイツ国防軍最高司令部作戦部長、アルフレート・ヨードルがフランスのランスで降伏文書に調印。

         ・ベルリンにおいて、ヴィルヘルム・カイテルドイツ国防軍最高司令部総長が参加し、降伏文書の批准式が行われる。

     ・ドイツ国防軍中央軍集団司令官フェルディナント・シェルナー元帥が部隊を見捨ててシュトルヒ機でオーストリアへ逃亡する。

     ・ソ連軍第1、第2、第4ウクライナ戦線がプラハに入る(プラハの戦い)。

     ・駐日ドイツ大使館で、ヒトラーの告別式が行われる。

         ・スロベニアでの戦闘が停止する。第二次世界大戦におけるヨーロッパ戦線が終結

         ・オーストリアでシェルナー元帥がアメリカ軍へ投降する(翌日アウクスブルクの捕虜収容所に送られる)

         ・ドイツでデーニッツ大統領らが戦犯として逮捕され、フレンスブルク政府が解体される。

     ・前親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーが自殺。

     ・デンマークが日本への宣戦布告を表明。

         ・石井菊次郎元外務大臣死去。

      6月 ・ドイツに中央政府が存在せず、統治権が連合国4カ国(米英仏ソ)に掌握された事が宣言される。(ベルリン宣言)

         ・ノルウェー国王ホーコン7世がノルウェーに帰国。

       ・ブラジルが日本への宣戦布告を表明。

         ・第87臨時議会召集。

         ・アメリカ軍が沖縄を占領。

         ・沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決(沖縄戦の組織的抵抗が終結。後にこの日が沖縄県の慰霊の日と定められる)。

         ・サンフランシスコ会議で国際連合憲章が調印される。

       ・ギリシャが日本への宣戦布告を表明。

      7月 ・南西太平洋方面(英語版)最高司令官マッカーサー元帥がフィリピンのマニラでフィリピンの戦闘終結を宣言する。

         ・ノルウェーが日本への宣戦布告を表明。

         ・アメリカ国内でドイツ人捕虜の殺害事件(真夜中の虐殺)が起こる。

         ・アメリカ、ニューメキシコ州アラモゴードの実験場で史上初の原子爆弾の爆発実験に成功(トリニティ実験)。

         ・ポツダム会談開始。アメリカ大統領トルーマン、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、ソ連首相ヨシフ・スターリンらが参加。

         ・アメリカ大統領トルーマンが原子爆弾使用を承認する。

         ・フランス・ヴィシー政権の元首だったフィリップ・ペタンが反逆罪で告発される。

         ・ポツダム宣言発表。連合国は日本に降伏を要求する。

         ・イギリスで第二次大戦後初となる総選挙が実施され、労働党が第一党となる。チャーチルは下野し、クレメント・アトリーが首相の座に就く。

         ・B-25爆撃機がニューヨークのエンパイアステートビルディングに衝突、14名の死者。

       ・日本はポツダム宣言を黙殺する声明を出す。

      8月 ・ポツダム会談終了。

         ・日本陸軍の病院船「橘丸」が米軍に拿捕、同船が国際法に違反する形で兵員・兵器を輸送していたことが発覚し陸軍史上最大の千五百名の捕虜を出す。(橘丸事件)

         ・午前8時15分米軍が広島市へ原子爆弾投下。(8月6日)

         ・日本海軍が初の国産ジェット機「橘花」の試験飛行を実施。

         ・ソ連が日ソ中立条約を破棄、日本に宣戦布告。

         ・ソ連軍が満州へ侵攻して対日参戦開始。

         ・ポツダム宣言の受諾の可否について最高戦争指導会議が開かれる。(8月9日)

         ・午前11時02分、米軍が長崎市へ原子爆弾投下。(8月9日)

         ・午前0時03分、ポツダム宣言の受諾の可否について御前会議が開催される。(8月10日)

         ・未明、御前会議で「国体の護持」を条件に日本のポツダム宣言の受諾を決定、連合国側へ打電。(8月10日)

         ・午後8時すぎ、その旨を同盟通信社のモールス信号と日本放送協会の海外向け放送が伝える。(8月10日)

       ・モンゴル人民共和国が日本への宣戦布告を表明。

         ・ソ連軍が日ソ国境を越えて南樺太へ侵攻。樺太の戦い。

         ・連合国側が、国体護持について明瞭には触れず、降伏後の日本統治について回答(「バーンズ回答」)。

       ・満州国鶏寧県麻生区(現中華人民共和国黒龍江省鶏西市麻山区)において、日本の哈達河開拓団が避難中にソ連軍と満州国軍反乱兵によって攻撃されて集団自決した麻山事件が発生。

         ・バーンズ回答を巡って最高戦争指導会議・閣議が紛糾。

       ・小山克事件。(日本人避難者の大量強姦・自決事件)

         ・午前11時、天皇が御前会議でポツダム宣言受諾の意思を表明。(以下8月14日)

       ・午後9時、ラジオで「15日正午より重大発表あり」という旨の放送。

       ・午後11時、ポツダム宣言受諾を連合国側に通知。

       ・午後11時20分、天皇が玉音放送を録音。

       ・終戦直後は8月14日が日本政府にとっての終戦の日であった。

       ・葛根廟事件。

       ・マッカーサー米太平洋陸軍司令官が連合国軍最高司令官に就任。

       ・大本営が攻勢作戦の停止を発令(自衛反撃は継続)。

       ・米軍が大阪砲兵工廠、光海軍工廠、土崎港(秋田市)の製油所などを爆撃。

       ・中ソ友好同盟条約締結。

         ・陸軍一部がクーデター未遂(宮城事件)。

       ・日本標準時正午に、昭和天皇の肉声で読み上げられた終戦詔書が、ラジオで放送される(玉音放送)。日本国民にとって敗戦の日となる(終戦の日)(8月15日)

         ・阿南惟幾陸軍大臣、敗戦の責任を取り自決(8月15日)。

         ・スターリンがソ連軍の北海道占領を米トルーマン大統領に要求。トルーマンは18日に拒否回答。

       ・ベトミン、総蜂起を発動。

       ・タイが対米英宣戦布告の無効を宣言。

         ・鈴木貫太郎内閣総辞職。


 ◇参考

・ウィキペディア『1945年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1945%E5%B9%B4


 概要

 さて、今回紹介するのは鈴木貫太郎内閣です。この内閣は日本憲政史においてかなり重要な内閣になります。さて、何が重要なのか。この内閣の在職期間を見て思い当たることがありませんか? 1945年4月から8月です。この時期が何であったのか。そうです。1945年8月。8月15日。日本の敗戦の日です。この内閣は戦争を終結に導いた内閣です。日本が敗戦に終わってしまった太平洋戦争。陸軍は負けを認めず徹底抗戦で本土決戦を望んでいました。しかし、それを静止しても鈴木総理は戦争を終結に導きました。この内閣がいかに重要か、そして鈴木総理がいかに聖断を持ったのか。これについて考察していきます。

 1945年4月。内閣が発足しました。この時期すでに沖縄戦が本格化していました。そしてこの月の最後4月30日に同盟国ドイツにおいて総統ヒトラーが愛人エヴァと共に自殺。翌5月1日にナチスドイツの新首相となったゲッベルスが家族と共に自殺したため正式に連合国に降伏し欧州戦線は終結します。これによって第二次世界大戦を枢軸国として戦っている国は日本のみとなります。

 1945年6月。23日に沖縄戦の指揮官であった牛島満中将が自決。沖縄戦は日本の負けによって終結しいよいよ日本の敗戦は不可避な状況へと追い込まれます。

 1945年8月。日本にとって運命の月がやってきました。8月6日。8時15分。世界史上初めて原子爆弾が使われ広島に落とされました。落とされた原子爆弾は『リトルボーイ』でした。この一発の原子爆弾で亡くなった人は当時の広島市の人口が推定35万人でしたが9万人から16万人が原爆の投下した直後から4か月以内に死亡したと言われています。また、それ以後も放射能の被ばくによる影響で今も苦しんでいる人もいます。いかに、原爆が恐ろしいものかわかります。8月8日。ソ連が参戦します。ヤルタ会談の密約で参戦が決定していました。日本がいくらソ連に和平交渉を頼んでも受け入れてくれないわけです。ソ連は8月9日に北海道へと侵略。日本が降伏した8月15日以降も進行を進めて中国においては避難している民間日本人を虐殺したり、千島列島を奪ったりしています。この8月15日以降の戦闘による千島列島ならびに北方領土の実効支配が現在の北方領土問題につながっています。8月9日。11時2分。長崎に史上2発目の原子爆弾が落とされます。原子爆弾の名前は『ファットマン』です。当時の長崎市の人口24万人のうち7万人から8万人が死去しました。この長崎に落とされた原爆が現在地球市場最後に実戦において用いられた核兵器です。

 長崎に原爆を落とされた後の御前会議において戦争継続か降伏か揉めましたが鈴木総理が昭和天皇に聖断を仰ぎ、国体護持を条件としてポツダム宣言を受諾することで意見を統一します。この国体護持とは万世一系の天皇制を維持することを連合国が認めてくれるのであればその他の要求はすべて受け入れて降伏するという意味です。8月14日の御前会議においてポツダム宣言受諾を決定。しかし、陸軍内ではそのことに反対しいまだに戦争継続本土決戦をしようとする連中もおりクーデターを考えていました。これが宮城事件です。しかし、クーデターは失敗。8月15日正午に無事に玉音放送が流れます。玉音放送は昭和天皇みずからが国民のラジオで降伏を発表したものです。天皇というのは現人神あらひとがみであるため神として国民は敬っているためその姿も声も見たり聞いたりすることができなかった存在でありますが、ここに初めて国民の前に声を聴かせることになります。

 有名なのは下の一文ですね。

 難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス

 玉音放送が流れ日本は正式にポツダム宣言を受諾。太平洋戦争は日本の敗北で終結。そして、第二次世界大戦もこれをもって終戦となります。

 この敗戦の責任を取り戦争を始めた陸軍の阿南陸軍大臣は8月15日に自決します。これは、日本憲政史上最初の現職閣僚の自殺です。阿南大臣の最後はかなり有名です。阿南大臣は陸軍大臣として鈴木総理の掲げる終戦にことあるごとに対立していました。しかし、本人は鈴木総理と協力して終戦しようとしていました。(ただ、この話には疑惑もあり阿南が継戦派か終戦派かは今でも歴史家の間で議論になります。)阿南陸軍大臣が自決の直前に鈴木総理に話をしたときに鈴木総理が「阿南君は暇乞いとまごいに来たんだね」という話もあります。最も激しく対立した東郷外務大臣にもお世話になりましたと挨拶をしています。

 8月15日に戦争敗北の責任を取り鈴木内閣は総辞職。8月17日に後継首相が決まり正式に内閣総辞職し鈴木内閣は133日という短命政権となりましたが、その中身はかなり濃く日本史上最も難題に取り組んだ内閣として幕を閉じました。

 

 今回は、このあたりで。次回は、戦後編に入りますので1回恒例の大臣紹介に入ります。ただ、戦後編は東久邇・幣原・第1次吉田の3内閣だけとなります。それ以降の内閣についてはまとめてしまいます。なろうの規約のため申し訳ありません。


 ◇参考

・ウィキディア『本土決戦』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E6%B1%BA%E6%88%A6

・ウィキペディア『広島市への原子爆弾投下』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

・ウィキペディア『長崎市への原子爆弾投下』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B8%82%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B

・ウィキペディア『ソ連対日参戦』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%8F%82%E6%88%A6

・ウィキペディア『宮城事件』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

・ウィキペディア『玉音放送』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E9%9F%B3%E6%94%BE%E9%80%81#.E3.82.A8.E3.83.94.E3.82.BD.E3.83.BC.E3.83.89

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