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歴代内閣考察  作者: 騎士星水波
昭和時代戦前
47/58

第41代 小磯国昭内閣

第41代 小磯国昭内閣

 在任期間1944年7月22日~1945年4月7日(260日)


 国務大臣

内閣総理大臣 41 小磯國昭(元拓務大臣)予備役陸軍大将、のち現役復帰

外務大臣   68 重光葵(前外務大臣)再任 外務省官僚

内務大臣   64 大達茂雄(初代東京都長官)内務省官僚

大蔵大臣   52 石渡荘太郎(前大蔵大臣)再任 貴族院議員研究会

       53 津島寿一 大蔵省官僚

陸軍大臣   53 杉山元(元陸軍大臣)元帥陸軍大将

海軍大臣   49 米内光政(元内閣総理大臣)海軍大将

司法大臣   56 松阪廣政 司法省官僚

文部大臣   66 二宮治重 退役陸軍中将

       67 児玉秀雄(元拓務大臣)貴族院議員研究会

厚生大臣   ⑩ 廣瀬久忠(元厚生大臣)貴族院議員研究会

       ⑪ 相川勝六 厚生省官僚

大東亜大臣  ② 重光葵 兼任

農商大臣   ③ 島田俊雄(元農林大臣)衆議院議員翼賛政治会

軍需大臣   ② 藤原銀次郎(前国務大臣)民間王子製紙社長

       ③ 吉田茂 内務省官僚(内閣総理大臣の吉田茂とは同姓同名の別人)

運輸通信大臣 ③ 前田米蔵(元鉄道大臣)衆議院議員翼賛政治会

国務大臣     町田忠治(元商工大臣)衆議院議員翼賛政治会

国務大臣     児玉秀雄 文相に横滑り

         廣瀬久忠 厚相から横滑り

         石渡荘太郎 蔵相から横滑り

国務大臣     緒方竹虎 民間元朝日新聞社副社長

国務大臣     小林躋造 貴族院議員・退役海軍大将・翼賛政治会総裁

内閣書記官長 48 三浦一雄 農商省官僚

       49 田中武雄 拓務省官僚

       50 廣瀬久忠 兼任

       51 石渡荘太郎


 政務次官

外務政務次官   松田正之

内務政務次官   武知勇記

大蔵政務次官   小笠原三九郎

陸軍政務次官   大島陸太郎

海軍政務次官   岸田正記

司法政務次官   中井一夫

文部政務次官   今井健彦

厚生政務次官   中井川浩

大東亜政務次官  篠原陸朗

農商政務次官   小山倉之助

軍需政務次官   松村光三

運輸通信政務次官 前田房之助


 参与官

外務参与官   森下国雄

内務参与官   佐藤洋之助

大蔵参与官   田村秀吉

陸軍参与官   依光好秋

海軍参与官   中野敏雄

司法参与官   徳川宗敬

文部参与官   三島通陽

厚生参与官   馬場元治

大東亜参与官  中西敏憲

農商参与官   長野高一

軍需参与官   中村梅吉

運輸通信参与官 南条徳男


 ◇参考

・ウィキぺディア『小磯内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%A3%AF%E5%86%85%E9%96%A3

・首相官邸HP『小磯内閣』http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/41.html

・歴代内閣に関するデータベース『第42代・小磯国昭内閣』http://www.geocities.jp/since7903/Syouwa-kyukenpou/42-Koiso.htm


 主な出来事

1944年 7月 ・日本で小磯内閣成立。

         ・米ニューハンプシャー州において開かれていた連合国金融通貨会議においてブレトン・ウッズ協定が締結される。国際通貨基金・世界銀行が設立。

       ・ルブリンにおいてポーランド国民解放委員会(ルブリン政府)が結成される。

      8月 ・独ソ戦: ワルシャワ蜂起

         ・帝国銀行が十五銀行を吸収合併

         ・トルコ共和国がドイツと断交

         ・大本営政府連絡会議を最高戦争指導会議と改称する

         ・グアムで日本軍全滅

         ・枢密院議長に鈴木貫太郎を任命

         ・連合軍、イタリアのフィレンツェ占領

         ・ドラグーン作戦

         ・ユンカース Ju 287が初飛行する。

         ・在支米空軍約80機が九州・中国地方に来襲。落下傘降下の米兵が逮捕される。

         ・沖縄からの疎開船対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃により沈没(学童七百人を含む千五百人が死亡)

         ・ルーマニア王国でクーデター(ルーマニア革命)。国王ミハイ1世が政権を掌握し、連合国と休戦して枢軸国から離脱

         ・HOYA(当時の社名:東洋光学硝子製造所)設立

         ・パリ市民が反独武装蜂起

         ・連合軍によるパリの解放

         ・ルーマニア王国がドイツに宣戦布告

         ・ブルガリア王国が枢軸国から離脱

         ・台湾で徴兵制実施

         ・ソ連軍がルーマニアを占領

      9月 ・フィンランドがドイツと断交。

         ・連合国軍がブリュッセルに入る

         ・ソ連がブルガリアに宣戦布告

         ・第85回臨時議会召集。

         ・ベルギー政府が本国に復帰。

         ・ドイツがV2ロケットによるロンドン攻撃を開始

         ・シャルル・ド・ゴールによるフランス臨時政府成立

       ・ブルガリアで祖国戦線によるクーデター。

         ・ブルガリアがドイツに宣戦布告

         ・フィンランドとソ連が休戦

     10月 ・ワルシャワ蜂起がドイツ軍に鎮圧される

         ・イギリスのチャーチルとソ連のスターリンがモスクワで会談。

         ・ダンバートン・オークス会議で連合国が国際連合を提案

         ・米国機動部隊、沖縄本島を空襲する。

         ・連合国軍がアテネに入城

         ・米軍が台湾を空爆、台湾沖航空戦

         ・ドイツのロンメル将軍が自殺

         ・ハンガリー王国でドイツ軍と矢十字党によるクーデター(パンツァーファウスト作戦)。摂政ホルティ・ミクローシュが退位しドイツに亡命。

         ・ソ連軍がベオグラードを占領

         ・ドイツのアーヘンが陥落

         ・レイテ島の戦い。フィリピンの戦い (1944-1945年)が始まる。

     11月 ・新聞朝刊2ページに削減される。

         ・アメリカ大統領選挙でフランクリン・ルーズベルトが4選される。

         ・ソビエト連邦指導者スターリンが革命記念日の演説で日本を侵略国と名指しで批判。

         ・ゾルゲ事件: リヒャルト・ゾルゲ・尾崎秀実が処刑。

         ・松代大本営が着工。

         ・マリアナ群島のサイパン米軍基地からB-29が東京を初めて空襲した。

     12月 ・沢村栄治戦死。

         ・東海道沖で東南海地震発生。Mマグニチュード7.9、死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件。この地震によって、軍需工場に大被害が出たことにより、太平洋戦争での日本の敗北が早まったとも言われている。

         ・仏ソ相互援助条約調印

         ・名古屋市の三菱発動機第四工場に空襲。死者330人、負傷者356人。

         ・ナチス・ドイツ軍によるアルデンヌ攻勢が始まる。

         ・名古屋市の三菱航空機大江工場と周辺の守山町・鳴海町など3か所に空襲。死者334人、負傷者253人。

         ・名古屋市の三菱発動機第四工場に再び空襲。この時は、熱田区や瑞穂区なども空襲に遭う。負傷者3人。

         ・第86議会召集

         ・ハンガリーの独立戦線臨時政府がドイツに対して宣戦布告

         ・永井柳太郎元逓信大臣死去。

         ・一木喜徳郎元内務大臣死去。

1945年 1月 ・米『タイム』誌が風船爆弾のモンタナ州落下を報道。

         ・連合軍がニュルンベルクを空爆。

         ・トルコ議会が対日断交を決議。

       ・米艦載機500機が台湾・沖縄を空襲。

         ・リンガエン湾に侵入した米艦隊が艦砲射撃を開始。

         ・米軍がルソン島に上陸。

         ・ソ連軍がヴィスワ=オーデル攻勢を開始。

         ・三河地震。

         ・独軍がワルシャワより撤退。

       ・第4航空軍富永恭次司令官が独断で司令部をフィリピンから台湾に移す。

       ・アドルフ・ヒトラー総統が総統地下壕での退避生活を開始。

         ・ソ連軍がワルシャワを占領。

         ・最高戦争指導会議で本土決戦体制を決定。

         ・ソ連軍がオーデル川に到達。

         ・米国でフランクリン・ルーズベルトが大統領4期目を開始。

         ・ハンガリー臨時国民政府が連合国と休戦。ドイツ軍がアルデンヌ攻勢の中止を決定(バルジの戦い)

         ・ドイツでA4bロケットが発射される。

         ・ルソン島に上陸した米軍がマニラへの南進を開始。

         ・ソ連軍がアウシュヴィッツ強制収容所を解放。

         ・バルジの戦い終結。

         ・米艦載機130機がスマトラ島を空襲。

      2月 ・ヤルタ会談(ソ連)開催。アメリカ大統領ルーズベルト、イギリス首相チャーチル、ソ連指導者スターリンが対日本戦について協議する。

         ・エクアドルが枢軸国への宣戦布告を表明。

         ・ペルーが枢軸国への宣戦布告を表明。

         ・ソ連軍、ハンガリーのブダペスト占領(ブダペスト包囲戦終結)。

         ・イギリス軍、ドレスデン爆撃。

         ・パラグアイが枢軸国への宣戦布告を表明。

         ・ベネズエラが枢軸国への宣戦布告を表明。

         ・近衛文麿が昭和天皇に早期和平を提案(近衛上奏文)。

         ・アメリカ軍、硫黄島に上陸。

         ・ウルグアイが枢軸国への宣戦布告を表明。

         ・アメリカ軍、フィリピンのマニラを占領。

         ・トルコが枢軸国への宣戦布告ならびに国交断絶を正式に表明。

         ・エジプト・シリアが枢軸国への宣戦布告を表明。

         ・レバノンが枢軸国への宣戦布告を表明。

         ・イランが枢軸国への宣戦布告を表明。

      3月 ・サウジアラビアが枢軸国への宣戦布告を表明。

日本の大審院が、1942年に行われた翼賛選挙における鹿児島2区の選挙結果を無効とする判決を下す(鹿児島2区選挙無効事件)。

         ・ソ連と休戦後中立であったフィンランドが枢軸国への宣戦布告を表明。

         ・ドイツ軍がハンガリー西部で攻勢(春の目覚め作戦)。失敗(ソ連軍の勝利)におわる。

         ・アメリカ軍が東京を空襲(東京大空襲)。死者は約10万人。

         ・硫黄島守備隊司令官栗林忠道中将が東京に訣別電報を送る。

         ・アメリカ軍がベルリンを空襲。

         ・硫黄島で最後までアメリカ軍に抗戦していた栗林中将配下の部隊が全滅(硫黄島の戦い終結)。

         ・アメリカ軍が沖縄県慶良間諸島の座間味島に上陸(沖縄戦の開始)。

         ・最後のV2ロケットがロンドンを空襲。

         ・アルゼンチンが枢軸国への宣戦布告を表明。

         ・V1飛行爆弾による最後のロンドン空襲。

         ・ソ連軍がドイツ領オーストリアへの侵攻を開始する。

         ・福岡銀行設立。

      4月 ・米軍が沖縄本島に上陸。

         ・救援品輸送船「阿波丸」を米潜水艦が撃沈(阿波丸事件)。

         ・ソ連が日ソ中立条約の不延長を通告。

         ・大日本育英会が戦災者子弟への優先貸与を発表。

         ・戦艦大和が沖縄に向けて徳山沖を出航。

         ・小磯内閣総辞職


 ◇参考

・ウィキペディア『1944年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1944%E5%B9%B4

・ウィキペディア『1945年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1945%E5%B9%B4


 概要

 さて、今回紹介するのは小磯国昭内閣です。小磯国昭って誰? と思う人が多いかもしれません。一応、この考察を読んでくださった方は平沼内閣、米内内閣の国務大臣の中にこっそり拓務大臣を務めていたことを見たのかもしれません。しかし、彼は基本的に中央政界で活躍するということはありません。内閣総理大臣に就任する前まで朝鮮総督を務めていました。朝鮮総督というのは日本の植民地であった朝鮮の総監のことです。また、陸軍出身の小磯ですが、総理就任の時点で小磯は予備役であり戦争について戦況の詳しいことが知らされる立場にはなかったとされています。彼は就任の時点で立場的に弱くこの内閣が弱いということはわかっていたものでした。のちに昭和天皇もこのことについて言及しているようです。

 では、どうしてそんな彼が総理になったのか。その理由についてまずは語ります。サイパン島の陥落や東條総理の独裁的な政治の行い方に反発していた人たちがいました。とりわけ重臣と言われた内閣総理大臣経験者は東條を何としても総理から引きづりおろそうと倒閣運動をしました。その結果、東條は総理を辞任します。しかし、重臣グループは東條を辞めさせることまでは考えていましたが、後任の総理のことは考えていませんでした。この時、元老であった西園寺公望はすでに1940年に死んでいるため重臣会議に参加することができる元内閣総理大臣、枢密院議長と内大臣によって後継総理は決められていました。この時、重臣の合議では陸軍を統率できる陸軍部内者という点でまず合意し、現役の陸軍大将を先任順に選考することになった。南方軍総司令官の寺内寿一と支那派遣軍総司令官の畑俊六と朝鮮総督の小磯國昭の3人が挙げられた。しかし、前の2人は元帥であったが、戦争の前線の指揮官であるということから動かすことができず結局消去法によって小磯になった。小磯が総理に就任した理由が消去法でもあることからほとんど期待されていなかったということが分かる。さらに、近衛文麿が小磯1人だと不安だということで米内に副首相格で連立政権として大命降下をすることを提案する。そのため、一応この内閣は小磯内閣であるが、大命降下は小磯、米内の2人にされているため2人とも実質的に総理であると言っても過言ではないのだ。ちなみにこの形式は第1次大隈内閣(隈板内閣)の時に大隈重信と板垣退助にされたのと同様であり憲政史上2例しかないものである。

 政治基盤の弱かった小磯内閣は大政翼賛会の政治部門である翼賛政治会の協力を得るために第2次近衛内閣以来廃止されていた政務次官と参与官を復活させ、翼賛政治会所属の議員にこれらの役職に就任させることに成功します。

 さて、小磯内閣の時に何が起きたかについて。

 まず、まだ太平洋戦争の最中です。そして、一番大きいのが小磯内閣の総辞職の要因となった沖縄戦の開始です。1945年3月より沖縄において日本軍と米軍による地上戦が始まります。これは民間人を巻き込んだ非常に最悪な戦いでした。それと沖縄戦争の前に起きていた前哨戦ともいうべき戦いで硫黄島の戦いがあります。最近は『硫黄島からの手紙』、『父親たちの星条旗』と映画が公開されたこともあり知名度がだいぶ上昇した戦いです。この戦いにおいて指揮を執った栗林忠道中将は日本軍でもかなり優秀の指揮官としてほめたたえられることもある人物です。東京の北区とほぼ同じ狭い面積の硫黄島をアメリカ軍の予想を超える1か月もの間守備し、さらにアメリカ軍を太平洋戦争の中で最も被害を与え戦いであります。栗林がかなり優秀な指揮官であったことがこの実績からもわかります。ちなみに最近安倍総理が米国議会の上下両院合同会議において新藤義孝前総務大臣(第2次安倍内閣)が栗林中将の孫であり、硫黄島で実際に戦った米兵と握手を交わすという感動的な場面をセッティングしたことでも最近話題になっていますね。

 この内閣の時にすでに戦争の終結について動き始めていました。近衛元総理による近衛上奏文でも知られるようにです。しかし、本格的な終戦は次の鈴木貫太郎内閣を待てなくてはなりません。さて、今回はこのあたりで。


 ◇参考

・ウィキペディア『重臣会議』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E8%87%A3%E4%BC%9A%E8%AD%B0

・ウィキペディア『硫黄島の戦い』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

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