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歴代内閣考察  作者: 騎士星水波
昭和時代戦前
43/58

第37代 米内光政内閣

 第37代 米内光政内閣

 在任期間1940年1月16日~1940年7月22日(189日)


 国務大臣

内閣総理大臣 37 米内光政(元海軍大臣)予備役海軍大将

外務大臣   61 有田八郎(前外務大臣)再任、昭和研究会

内務大臣   57 児玉秀雄(元内閣書記官長)貴族院議員研究会

大蔵大臣   47 桜内幸雄(元農林大臣)衆議院議員民政党

陸軍大臣   49 畑俊六(前陸軍大臣)再任、陸軍大将 帷幄上奏による単独辞任

海軍大臣   43 吉田善吾(前海軍大臣)再任、海軍中将

司法大臣   50 木村尚達 司法省官僚検事総長

文部大臣   60 松浦鎮次郎 文部省官僚、枢密院

農林大臣   ⑱ 島田俊雄(元農林大臣)衆議院議員政友会革新派

商工大臣   21 藤原銀次郎 貴族院議員研究会

逓信大臣   53 勝正憲 衆議院議員民政党

鉄道大臣   22 松野鶴平 衆議院議員政友会正統派

拓務大臣   ⑱ 小磯国昭(元拓務大臣)予備役陸軍大将

厚生大臣   ⑤ 吉田茂 昭和研究会

内閣書記官長 44 石渡荘太郎 大蔵省官僚


 政務次官

外務政務次官 小山谷蔵  衆議院議員民政党

内務政務次官 鶴見祐輔  衆議院議員民政党

大蔵政務次官 木村正義  衆議院議員政友会革新派

陸軍政務次官 三好英之  衆議院議員民政党

海軍政務次官 松山常次郎 衆議院議員政友会革新派

司法政務次官 星島二郎  衆議院議員政友会革新派

文部政務次官 舟橋清賢  貴族院議員研究会

農林政務次官 岡田喜久治 衆議院議員民政党

商工政務次官 加藤鐐五郎 衆議院議員政友会革新派

逓信政務次官 武知勇記  衆議院議員民政党

鉄道政務次官 宮澤裕   衆議院議員政友会革新派

拓務政務次官 松岡俊三  衆議院議員政友会正統派

厚生政務次官 一松定吉  衆議院議員民政党

 

 参与官

外務参与官 小高長三郎 衆議院議員政友会革新派

内務参与官 青山憲三  衆議院議員政友会革新派

大蔵参与官 松田正一  衆議院議員民政党

陸軍参与官 宮崎一   衆議院議員政友会革新派

海軍参与官 小山邦太郎 衆議院議員民政党

司法参与官 高木正得  貴族院議員研究会

文部参与官 仲井間宗一 衆議院議員民政党

農林参与官 松木弘   衆議院議員政友会正統派

商工参与官 喜多壮一郎 衆議院議員民政党

逓信参与官 藤生安太郎 衆議院議員政友会正統派

鉄道参与官 大島寅吉  衆議院議員民政党

拓務参与官 加藤成之  貴族院議員公正会

厚生参与官 飯村五郎  衆議院議員政友会革新派


 ◇参考

・ウィキペディア『米内内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%86%85%E5%86%85%E9%96%A3

・首相官邸HP『米内内閣』http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/37.html

・歴代内閣に関するデータベース『第38代・米内光政内閣』http://www.geocities.co.jp/since7903/Syouwa-kyukenpou/38-Yonai.htm


 主な出来事

1940年 1月 ・米内内閣成立

         ・浅間丸事件。房総沖で英国軍艦が浅間丸を臨検し、ドイツ船客21名を引致

         ・富山県上平村(現南砺市)にて泡雪崩が発生。8軒21人が死亡。

         ・西成線列車脱線火災事故

      2月 ・斎藤隆夫の反軍演説。

         ・日本、皇紀2600年(紀元2600年)祝典。阿部定を含む多数の囚人が恩赦を受ける。

         ・津田左右吉の『神代史の研究』など発禁となる。

         ・ノルウェー領海でイギリスとドイツが軍事衝突(アルトマルク号事件))

      3月 ・大日本航空が横浜-サイパン-パラオ間定期航空路を開始

         ・戦争政策批判により衆議院が民政党斎藤隆夫を除名処分

         ・ソビエト連邦・フィンランド講和条約がモスクワで調印(冬戦争終結)

         ・敵性語追放:内務省が芸能人の外国名・ふざけた芸名禁止を通達(ミスワカナ、           ディック・ミネ、バッキー白片、藤原釜足ら16名)

         ・汪兆銘、南京で親日政府樹立(南京政府)。

      4月 ・所得税法施行規則改正施行(勤労所得の源泉徴収開始)

         ・宗教団体法施行(二十八宗派)

         ・ヱスビー食品設立

         ・ドイツ軍がデンマーク王国・ノルウェー王国に侵攻(北欧侵攻)、デンマークが降          伏。

         ・日本ニュース映画社(後の日本映画社)設立(4新聞のニュース映画部門が統合)

          米穀強制出荷命令発動

      5月 ・ドイツ軍がオランダ王国・ベルギー王国・ルクセンブルク大公国・フランスに侵攻          開始(ナチス・ドイツのフランス侵攻、オランダの戦い)

         ・英チェンバレン内閣総辞職 - チャーチル挙国一致内閣成立

         ・英国がアイスランドに侵攻

         ・ペルーリマで日系移民経営の商店などに対して大規模な破壊掠奪(リマ排日暴動事          件)が発生する

         ・茨城県真壁郡下館町(現:筑西市)にて大火災が発生(稲荷町の大火)。死傷者           39名。

         ・オランダがドイツに降伏

         ・日本軍、重慶を大空襲(一〇一号作戦、~ 9月)。

         ・ベルギーがドイツに降伏

      6月 ・アメリカが戦時体制に移行。フランクリン・ルーズベルト大統領が国防力強化のた          め、科学者動員令を発令する

         ・木戸幸一が内大臣として宮城に復帰

         ・ドイツ空軍がパリを空襲

         ・ドイツ軍がダンケルクを占領したが、抱囲されていた英仏軍の大半は脱出に成功           (ダンケルクの戦い、ダイナモ作戦)

         ・ドイツ軍が対仏総攻撃を開始

         ・ノルウェー国王ホーコン7世が英国に亡命

         ・ノルウェー国王が英国より対独抗戦中止を命令

         ・イタリアが対英仏宣戦布告

       ・アメリカルーズベルト大統領がイタリアの対応について「背中から刺すようだ             (Stab in the Back)」と非難

       ・ノルウェーがドイツに降伏

         ・フランス政府がトゥールに移転

         ・フランス軍がパリから撤退

         ・ドイツ軍がパリに無血入城

         ・フランス政府がボルドーに移転

         ・隅田川で勝鬨橋開通

         ・イタリア軍がフランス領に侵攻

         ・ソ連軍がリトアニアに進駐開始

         ・フランスレノー内閣辞任、ペタン元帥が首相に就任

         ・フランス・ペタン首相がドイツ軍に休戦提議

         ・ソ連軍がラトビア・エストニアに進駐開始

         ・フランス・ド・ゴール将軍が自由フランスとしてロンドン放送で対独抗戦継続を呼          びかける

         ・筑摩書房創業

         ・日本がフランスに対漢援助禁止を警告

         ・独仏休戦協定締結

         ・近衛文麿が枢密院議長を辞任し新体制運動推進を決意表明

         ・伊仏休戦協定締結

         ・ソ連がルーマニア領に進駐

         ・徳川家達元貴族院議長(徳川宗家16代目当主)死去。

         ・鈴木喜三郎元内務大臣(立憲政友会最後の総裁)死去。

      7月 ・仏政府がヴィシーに移動

         ・英艦隊がアルジェリアのオラン港の仏艦隊を撃滅

         ・陸軍首脳部が米内内閣打倒のため陸相畑俊六に辞職を勧告

         ・ヴィシー仏政府が対英国交断絶

         ・独空軍による英本土空襲開始バトル・オブ・ブリテン

         ・仏ルブラン大統領辞職 - ヴィシー政権でペタン元帥が国家主席に選出(第三共和政          終了)

         ・満州国の新京に建国神廟が創建

         ・米内内閣総辞職(畑陸相の単独辞職)


 ◇参考

・ウィキペディア『1940年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1940%E5%B9%B4


 概要

 今回紹介するのは米内光政内閣です。この内閣は第二次世界大戦とりわけ日本の太平洋戦争において重要な歴史的な意味を持つ内閣でもあります。さて、それがどういうわけなのか見ていきましょう。

 まず、米内内閣での主な出来事で見た通りすでにヨーロッパにおいて第二次世界大戦が勃発しております。そのため、歴史的な出来事として各地でナチス・ドイツ軍とフランス・イギリスなどの各国が戦っております。一方の日本はヨーロッパ戦線には関わることなく中国との戦争が継続しております。これは、前内閣の阿部内閣同様に米内総理が日独伊三国同盟の締結には反対であったことが関わっております。しかし、戦争による国民生活への圧迫については同様に行っています。

 米内が欧州戦線に参戦しないこと、日独伊三国同盟を締結しないことに対して組閣当初から陸軍は反発していい顔をしていませんでした。そもそも米内内閣発足の時に陸軍は大臣を送りたくはなかったのですが、昭和天皇からの命によりいやいやながら輩出していました。畑陸軍大臣には昭和天皇は米内総理をよろしくと言っていたとの話もあります。しかし、陸軍は発足から半年でついに倒閣に動きます。畑陸軍大臣を帷幄上奏によって単独で辞任させます。陸軍三長官会議(陸軍大臣・参謀総長・教育総監)で後任の陸軍大臣を輩出しないことを決定し、米内内閣は軍部大臣現役武官制によってあえなく総辞職に追い込まれます。

 さて、最初に行っていた重要な歴史を持つ内閣とはどういうことか。それは、米内総理が親英米派の人間であったことから欧米からは歓迎されていたこと、そして、昭和天皇が戦後米内内閣が続いていれば太平洋戦争も起こらなかったのに……と言ったとの話が残っているぐらい歴史に影響を与えたのです。

 米内総理についてはCIAとの関係などがネットなどを見るとありますし、右系の人から見たら好きではない人が多いのかもしれません。総理としては有能とは言えませんし。それでも、彼が優秀な海軍の人だったことは間違いありません。米内総理は戦後の極東軍事裁判においてこの時大臣を辞めて内閣を倒した畑陸軍大臣を法廷でかばい続けた逸話もあります。

 今回は、このあたりで終わりです。

  

 ◇参考

・ウィキペディア『陸軍三長官』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E4%B8%89%E9%95%B7%E5%AE%98

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