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歴代内閣考察  作者: 騎士星水波
昭和時代戦前
42/58

第36代 阿部信行内閣

 第36代 阿部信行内閣

 在任1939年8月30日~1940年1月16日(140日)


 国務大臣

内閣総理大臣 36 阿部信行 予備役陸軍大将

外務大臣   59 阿部信行 兼任、予備役陸軍大将

       60 野村吉三郎 予備役海軍大将

内務大臣   56 小原直(元司法大臣)貴族院議員同和会

大蔵大臣   46 青木一男貴族院議員

陸軍大臣   48 畑俊六 陸軍大将

海軍大臣   42 吉田善吾 海軍中将

司法大臣   49 宮城長五郎 司法省官僚

文部大臣   59 河原田稼吉(元内務大臣)貴族院議員昭和研究会

農林大臣   ⑯ 伍堂卓雄 貴族院議員昭和研究会予備役海軍造兵中将

       ⑰ 酒井忠正 貴族院議員研究会

商工大臣   ⑲ 伍堂卓雄 兼任 貴族院議員昭和研究会、予備役海軍造兵中将

       ⑳ 伍堂卓雄 専任

逓信大臣   52 永井柳太郎(元逓信大臣)衆議院議員立憲民政党

鉄道大臣   ⑳ 永井柳太郎 兼任 衆議院議員立憲民政党

       21 永田秀次郎(元拓務大臣)貴族院議員同和会

拓務大臣   ⑰ 金光庸夫 衆議院議員政友会

厚生大臣   ③ 小原直 兼任、貴族院議員同和会 

       ④ 秋田清衆(元衆議院議長)議院議員第一議員倶楽部

内閣書記官長 43 遠藤柳作 貴族院議員昭和研究会 


 政務次官

外務政務次官 清水留三郎

       多田満長

内務政務次官 漢那憲和

       加藤鯛一

大蔵政務次官 松村光三

       清瀬規矩雄

陸軍政務次官 西村茂生

       宮沢胤勇

海軍政務次官 松田竹千代

   西岡竹次郎

司法政務次官 倉元要一

   森田福市

文部政務次官 小柳牧衛

   作田高太郎

農林政務次官 松村謙三

   村上国吉

商工政務次官 今井健彦

   横川重次

逓信政務次官 平川松太郎

   田中萬逸

鉄道政務次官 工藤十三雄

   原惣兵衛

拓務政務次官 寺田市正

   津雲国利

厚生政務次官 津崎尚武

       三浦虎雄


 参与官

外務参与官 箸本太吉

    依光好秋

内務参与官 中井一夫

    福井甚三

大蔵参与官 矢野庄太郎

    豊田豊吉

陸軍参与官 中井川浩

      小山田義孝

海軍参与官 中原謹司

    真鍋儀十

司法参与官 浜野徹太郎

    真鍋勝

文部参与官 野中徹也

    伊豆富人

農林参与官 林譲治

    小笠原三九郎

商工参与官 沢田利吉

    小山倉之助

逓信参与官 上田孝吉

    東条貞

鉄道参与官 坂東幸太郎

拓務参与官 江藤源九郎

    笠井重治

厚生参与官 綾部健太郎

    永山忠則


 ◇参考

ウィキペディア『阿部内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%86%85%E9%96%A3

首相官邸HP『阿部内閣』http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/36.html

歴代内閣の関するデータベース『第37代・阿部信行内閣』http://www.geocities.co.jp/since7903/Syouwa-kyukenpou/37-Abe.htm


 主な出来事 今回より第二次大戦関係の話も含めます。

1939年 8月 ・阿部内閣成立

      9月 ・第二次世界大戦勃発

         ・ナチス・ドイツとスロバキアのポーランド侵攻。アドルフ・ヒトラーがT4作戦を発           令

         ・イタリアが中立を表明

         ・イギリス・フランス・オーストラリアがドイツに宣戦布告

         ・大本営が関東軍にノモンハン事件の作戦中止を指令

         ・日本、第二次世界大戦への不介入を表明

         ・大協石油(現・コスモ石油)設立

         ・米国が中立を表明

         ・南アフリカがドイツに宣戦布告

         ・カナダがドイツに宣戦布告

         ・大日本航空がニューヨーク・横浜間の飛行に成功

     ・大和自動車交通設立

         ・「賃金統制令」、「価格等統制令」(九・一八停止令)公布

         ・厚生省が「結婚十訓」を発表。「産めよ殖やせよ国のため」の標語を掲げる

     10月 ・日本国内の石油が統制品となり、配給制となる

         ・物価統制令・地代家賃統制令施行

     11月 ・米穀強制買上げ制公布実施

         ・日本音楽著作権協会の前身・大日本音楽著作権協会が創立

         ・イギリス、自国が参加している海軍軍縮条約の無期限停止を国際連盟に通告

         ・日本郵船の客船「照国丸」が英国ハーウィッチ沖にて触雷により沈没(犠牲者な           し)

         ・ソ連赤軍がフィンランドに侵攻、冬戦争勃発

     12月 ・白米禁止令実施(七分づき以上を禁止)

         ・エストニアの首都タリンでバルト三国外相会談

         ・ラプラタ沖海戦

         ・国際連盟がフィンランド侵略を理由にソ連を除名

         ・ウルグアイから国外退去を通告されたドイツのポケット戦艦『アトミラル・グラー          フ・シュペー』がモンテビデオ港外で自沈

         ・映画『風と共に去りぬ』が封切りされる。

         ・第75議会召集

         ・木炭の配給実施

1940年 1月 ・津田左右吉が早稲田大学教授を辞任

         ・ソビエト連邦がフィンランドの各都市を空襲

         ・阿部内閣総辞職


 ◇参考

・ウィキペディア『1939年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1939%E5%B9%B4#.E3.81.A7.E3.81.8D.E3.81.94.E3.81.A8

・ウィキペディア『1940年』


 概要

 さて、今回考察するのは阿部信行内閣です。今の総理大臣の安倍晋三は安倍あべで、この阿部あべ信行もあべです。あべ総理は2人いたんですね。

 さて、この阿部内閣の発足についてです。当初、平沼前総理が辞任した後後継総理には近衛が陸軍軍人の荒木貞夫元陸軍大臣を推していましたが、その案がつぶれると廣田弘毅元総理を推します。しかし、廣田に総理をやる気はなく結局は、池田成彬元大蔵大臣と宇垣一成元陸軍大臣が候補となります。宇垣は前にも総理候補になるものの陸軍の反対で組閣流産しているので、総理を決める元老西園寺は池田総理で行こうと考えます。しかし、陸軍が反対し、陸軍は勝田主計元大蔵大臣を推していたが、妥協案として阿部信行陸軍大将でもいいとします。最初阿部案には反対がありましたが、結局池田案を日和みな近衛が出すに出せず阿部内閣総理大臣で決定することになります。

 阿部総理が就任するとまず、マスコミがアベという言葉を聞いてついに日本に社会主義政権ができたのかと驚いたという逸話が残っています。安部磯雄という社会大衆党委員長がいました。時勢的に彼が有名であったので多くのマスコミが彼が総理に就任したと勘違いしたのです。

 阿部が有名でなかった理由として彼が事務方だったことが考えられます。彼は陸軍の大将ですが、油井一戦争経験がなく、戦わぬ将軍のあだ名がありました。しかし、陸軍大学校で主席合格の優秀な成績を持っていることからわかるように、軍務局長、陸軍次官の職を無難にこなし、事務屋として力量を発揮しました。また陸軍次官の時、宇垣一成陸軍大臣が病気入院し、その代理として陸軍大臣を代行した経験もあります。まさに事務方です。統制派と皇道派の対立では両派のどちらにも属していないということがさらに総理になる理由の大きなところにもなっています。

 さて、阿部内閣の任務は日中戦争の終結にありました。これで陸軍の支持を失いましたが、日独伊三国同盟の締結を棚上げにしても終結させようとしました。国内の経済情勢を立て直すために、国家総動員法に基づいた価格等統制令や、地代家賃統制令、賃金臨時措置令、会社給与臨時措置令などを公布。さらに外務省通商局、商工省貿易局、大蔵省関税局などの反対を押し切って「貿易省」を新設して、外務省から経済外交を取り上げる行政改革に手をつけ、9月26日には閣議決定にまでこぎつけたが、外務省キャリアのほぼ全員が辞表を出すという激しい抵抗にあって失敗。しかもこの年は凶作と流通統制の影響でコメの流通が滞りがちとなり、コメの出回りを促進しようと、米価を引き上げたのが裏目に出て、物価の高騰、物資不足を招く事態となりました。経済統制によって国民は物価が高騰し、生活が苦しくなる中阿部内閣に関する支持も下がっていきます。

 こうした国民からの不人気の政策を実施していった阿部内閣は元々陸軍が妥協案として提示した内閣であったため政権の基盤が強くはありませんでした。陸軍はこうした状況から組閣4か月で倒閣に動き、国会も内閣不信任決議を提出、可決します。阿部は衆議院を解散しようとしますが、畑俊六陸軍大臣、吉田善吾海軍大臣が解散に反対したことで、断念。内閣総辞職をし140日の短命内閣に終わります。

 今回はこのあたりで。次回は戦前最後の新英米内閣と言われ昭和天皇からしてこの内閣が続いていれば太平洋戦争はなかったと言わせた米内光政内閣です。


 ◇参考

・ウィキペディア『池田成彬』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E6%88%90%E5%BD%AC

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