第34代 第一次近衛文麿内閣
第34代 第一次近衛文麿内閣
在任1937年6月4日~1939年1月5日(581日)
国務大臣
内閣総理大臣 34 近衛文麿 貴族院議員
外務大臣 54 広田弘毅(元内閣総理大臣)貴族院議員
55 宇垣一成(元陸軍大臣)予備役陸軍大将
56 近衛文麿 兼任
57 有田八郎 官僚
内務大臣 53 馬場鍈一(元大蔵大臣)貴族院議員研究会
54 末次信正 予備役海軍大将
大蔵大臣 43 賀屋興宣 官僚
44 池田成彬(第14代日本銀行総裁)内閣参議。財閥
陸軍大臣 45 杉山元(前陸軍大臣)再任 陸軍大将
46 板垣征四郎 陸軍中将
海軍大臣 40 米内光政(前海軍大臣) 再任 海軍大将
司法大臣 47 塩野季彦(前司法大臣)再任 官僚
文部大臣 55 安井英二 官僚
56 木戸幸一 貴族院議員火曜会
57 荒木貞夫(元陸軍大臣)予備役陸軍大将
農林大臣 ⑭ 有馬頼寧 貴族院議員研究会
商工大臣 ⑯ 吉野信次 官僚
⑰ 池田成彬 兼任
逓信大臣 49 永井柳太郎(元拓務大臣)衆議院議員民政党
鉄道大臣 ⑱ 中島知久平 衆議院議員政友会
拓務大臣 ⑪ 大谷尊由 貴族院研究会
⑫ 宇垣一成 兼任
⑬ 近衛文麿 兼任
⑭ 八田嘉明 貴族院議員研究会
厚生大臣 ① 木戸幸一 貴族院議員火曜会 兼任 1938年1月新設
内閣書記官長 40 風見章 衆議院議員
政務次官
外務政務次官 松本忠雄 衆議院議員民政党
内務政務次官 勝田永吉 衆議院議員民政党
大蔵政務次官 太田正孝 衆議院議員政友会
陸軍政務次官 加藤久米四郎 衆議院議員政友会
海軍政務次官 一宮房治郎 衆議院議員民政党
司法政務次官 久山知之 衆議院議員政友会
文部政務次官 内ヶ崎作三郎 衆議院議員民政党
農林政務次官 高橋守平 衆議院議員民政党
商工政務次官 木暮武太夫 衆議院議員政友会
逓信政務次官 田島勝太郎 衆議院議員民政党
鉄道政務次官 田尻生五 衆議院議員政友会
拓務政務次官 八角三郎 衆議院議員政友会
厚生政務次官 工藤鉄男 衆議院議員民政党
参与官
外務参与官 船田中 衆議院議員政友会
春名成章 衆議院議員旧昭和会
内務参与官 木村正義 衆議院議員政友会
大蔵参与官 中村三之丞 衆議院議員民政党
陸軍参与官 比佐昌平 衆議院議員民政党
海軍参与官 岸田正記 衆議院議員旧昭和会
司法参与官 藤田若水 衆議院議員民政党
文部参与官 赤木桁平 衆議院議員民政党
農林参与官 助川啓四郎 衆議院議員政友会
商工参与官 佐藤謙之輔 衆議院議員民政党
逓信参与官 犬養健 衆議院議員政友会
鉄道参与官 金井正夫 衆議院議員旧昭和会
拓務参与官 伊礼肇 衆議院議員国民同盟
厚生参与官 山本芳治 衆議院議員政友会
◇参考
ウィキペディア『第1次近衛内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E6%AC%A1%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%86%85%E9%96%A3
首相官邸HP『第1次近衛内閣』http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/34.html
歴代内閣に関するデータベース『第35代・第一次近衛文麿内閣』http://www.geocities.jp/since7903/Syouwa-kyukenpou/35-Konoe-vol1.htm
主な出来事
1937年 6月 ・第一次近衛内閣成立
・普天堡の戦い
7月 ・特急「鷗」号が東京・神戸間運転開始
・米国の著名な女性飛行家アメリア・イアハートが西太平洋を飛行中に連絡を絶っ た。当時この地域は日本が管轄していたので日本海軍も捜索に参加したが手かがり は掴めなかった。(アメリア・イアハート行方不明事件)
・東京浅草に国際劇場開場(松竹少女歌劇団「國際東京おどり」公演)
・盧溝橋事件。これが発端となり日本国と中華民国間に、日中戦争(支那事変)が勃 発。
・日本政府、華北へ出兵することを発表。盧溝橋事件現地協定成立。
・大紅門事件。日本兵が中国軍に爆殺される。
・第71特別議会召集
・廊坊事件。中国軍と日本軍が衝突。
・広安門事件。中国軍と日本軍が衝突。
・日本軍、華北で総攻撃を開始。
・通州事件。華北各地の日本軍留守部隊や日本人居留民が虐殺される。日本の対中感 情は悪化。
・日本軍が天津を爆撃
・玉造船所設立(後の三井造船)
8月 ・豊田正子「綴方教室」発刊
・上海で大山海軍中尉と斎藤水兵が狙撃される(大山事件)
・陸軍が上海派遣軍の編成を命令
・上海で海軍陸戦隊と中国軍が交戦開始(第二次上海事変)
・上海派遣を閣議決定
・軍機保護法改正公布
・二・二六事件に関する裁判において北一輝らに死刑を宣告。8月19日に執行。
・日本政府が国民政府の断固膺懲を声明し全面戦争開始
・日本海軍機が南京に対して初の渡洋爆撃
・中華民国が対日抗戦総動員令を発令
・マーガレット・サンガー来日
・満洲映画協会設立
・国民精神総動員実施要項決定
・トヨタ自動車工業設立
・中国軍用機が呉淞港外仮泊中の米国汽船フーバー号を日本運送船と誤認して爆撃 (フーバー号事件)
9月 ・日本軍が上海に入城
・日本政府が北支事変を支那事変と改称
・第72臨時議会召集
・帝国海軍は全中国沿岸の封鎖を宣言
・劇団文学座結成
・東宝映画設立
・後楽園球場開場
・国民政府が日本軍の行為を国際連盟に提訴
・訓令式ローマ字発布(内閣訓令第3号)
・経済団体連盟設立
・中央線で車内放送開始
・日本婦人団体連盟設立(市川房枝ら)
・国際連盟総会で日本軍による中国の都市空爆に対する非難決議を満場一致で採択
・陸軍士官学校が座間に移転
10月 ・日本通運設立
・寿屋(現・サントリー)からサントリーウィスキー12年(今のサントリー角瓶)が 発売される。
・京阪神で省線電車開通
・国際連盟、諮問委員会で日本の軍事行動を九カ国条約・不戦条約違反とする決議採 択(翌日、総会でも決議)。
・パリ万国博覧会で日本館が設計賞を受賞
・第1回関東ハンドボール選手権大会開催(初の正式試合)
11月 ・ドイツを仲介とした日中間の和平交渉始まる(トラウトマン工作)。
・ブリュッセルで九カ国条約会議開催、日本を非難する宣言採択。
・日独伊防共協定成立(イタリアが日独防共協定に加入)
・東京帝室博物館完成
・仙山トンネル開通により仙山線全通
・日本軍、上海を占領。
・第1回フェンシング選手権大会開催
・第1回プロ野球オールスター戦開催(阪神甲子園球場)
・日本、大本営設置。
12月 ・日本軍が南京城を陥落、以降、中国の首都であった南京を占領する。いわゆる問題 となっている南京事件。
・観光地向け準急列車を多数廃止。
・日本で人民戦線の結成を企てたとして労農派の学者・知識人が一斉検挙。(人民戦 線事件)
・第73議会召集。
1938年 1月 ・新潟県十日町で積雪により映画館の屋根が落下
・福音商会電機製作所創業
・女優岡田嘉子が杉本良吉と共に樺太国境を越えてソ連に亡命
・日本聖公会がイギリス聖公会を離脱。名出保太郎博士を総裁に決定
・厚生省設置。
・近衛文麿首相、「国民政府を対手とせず」の声明(第一次近衛声明)。トラウトマ ン工作打ち切り
・シアトルで郵船日枝丸爆破未遂事件
・荒井賢太郎元農商務大臣死去。
2月 ・山川均・大内兵衛・美濃部亮吉ら労農派教授グループ約30人が検挙(第二次人民戦 線事件)
・石川達三著南京従軍記『生きてゐる兵隊』の掲載誌『中央公論』3月号が発禁処分。 石川と編輯者(編集者)雨宮庸蔵・発行人牧野武夫を検挙
3月 ・立正佼成会創立
・笠松隕石(岐阜県羽島郡笠松町の民家に隕石が落下)
・富田幸次郎第32代衆議院議長死去。
4月 ・国家総動員法公布
・有限会社法公布
・大阪市営地下鉄御堂筋線の難波駅 - 天王寺駅間が開業
5月 ・国家総動員法施行
・日本軍、徐州占領(徐州会戦)
・岡山県苫田郡西加茂村大字行重で大規模な殺人事件が起こる(のちに津山30人殺し などと呼ばれる)
・嘉納治五郎死去。
6月 ・日本軍の進撃阻止のため、中国国民党が黄河の堤防を爆破、氾濫により数十万の住 民が水死(黄河決壊事件)
・エノケン一座が日劇に初出演
・不二家設立
7月 ・阪神大水害
・張鼓峰事件勃発
・ソ連より亡命したリュシコフが東京山王ホテルで記者会見
8月 ・小学館初代社長の相賀武夫が死去
・ヒトラー・ユーゲント来日
・第1回学生グライダー競技大会開幕(霧ヶ峰滑空場)
9月 ・富山県氷見町で大火。
・従軍作家陸軍部隊出発(久米正雄・丹羽文雄・岸田国士・林芙美子ら)
・従軍作家海軍部隊出発(菊池寛・佐藤春夫・吉屋信子ら)
・従軍作家詩曲部隊出発(西條八十・古関裕而ら)
10月 ・陸軍が作戦要務令を制定
・東京女子大学チャペル講堂完成献堂式
・全日本学生ワンダーフォーゲル連盟結成
・米国の女子野球団が来日
・日本軍、広東占領
・日本軍、武漢三鎮占領
・東京日日新聞社屋にプラネタリウム開館(東日天文館)
・元田肇元鉄道大臣死去。
11月 ・近衛首相による「東亜新秩序」声明(第二次近衛声明)
・東京帝室博物館開館
・岩波新書発刊(斎藤茂吉「万葉秀歌」他)
・大日本航空設立(日本航空輸送と国際航空が合併)
12月 ・愛三工業設立
・日本軍、重慶爆撃開始
・創元選書発刊(柳田国男「昔話と文学」他)(創元社)
・マキタ設立
・中島飛行機開発の一式戦闘機、初飛行。
・近衛首相が日支国交調整のため善隣友好・共同防共・経済提携の近衛三原則を声明 (第三次近衛声明)
・第74議会召集
・黒部川第三発電所建設用の志合谷作業員宿泊所で泡雪崩
・高田早苗元文部大臣死去。
1939年 1月 ・第1次近衛内閣総辞職
◇参考
ウィキペディア『1937年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1937%E5%B9%B4
ウィキペディア『1938年』
ウィキペディア『1939年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1939%E5%B9%B4
概要
さて、今回は第1次近衛文麿内閣について考察していきます。まず、最初に個人的な感想になりますが、前回から言っていますが私個人としては歴代最悪の総理大臣は誰かと言われたら鳩山由紀夫や菅直人以上にこの近衛文麿を最悪の総理として認定します。ちなみに二番目は村山富市ですかね。
さて、そんな私の評価はどうでもいいとしてさっそく近衛内閣の悪かったと所を見ていくとしましょう。
何と言っても問題というか論外なのは1937年1月16に発表した第一次近衛声明です。この声明はかなり有名で「国民政府を対手とせず」という言葉はかなり知られ渡っています。これがどういったものなのか見ていきます。
「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず、帝国と真に提携するに足る新興支那政権の成立発展を期待し、これと両国国交を調整して再生支那の建設に協力せんとす」
これが近衛声明の本文となります。そもそもこれはどういったものかというと、1937年7月7日に中国北京郊外の盧溝橋において日本軍と中国軍が衝突した盧溝橋事件を発端とした戦争である日中戦争(当初は北支事変のちに中国全土に戦闘が広がったため支那事変)を終結させるためにドイツに仲介を頼んでオスカー・トラウトマン駐華ドイツ大使らによるトラウトマン和平工作が行われていました。しかし、和平の内容が中国側が納得いかない過酷なものであり蒋介石ら国民党政府は認めませんでした。これに対して和平の機会をやったのにという気持であった近衛総理は上記の言葉により国民党政府との和平交渉を以後しないと宣言したのでした。これにより、日本と中国との関係は悪化しました。これが、日中戦争の長期化並びに拡大化の要因の一個でもあります。また、この当時近衛内閣で外務大臣だった廣田弘毅は戦後の極東軍事裁判においてA級戦犯として絞首刑になった理由の一つが日中戦争を拡大させたことで近衛内閣の外務大臣としての業績がかなり影響を与えます。
ちなみに第1次近衛内閣において3回近衛声明は出されています。第二次近衛声明は第1次の10か月後の1937年11月3日に発表されます。これは、和平交渉がうまくいかなかったことを受けて、まあ、そりゃあ近衛総理自ら和平を断ち切ったようなものですから当たり前なんですが、ぜんかいの発言を以下のように修正しました。
「国民政府といえども新秩序の建設に来たり参ずるにおいては、あえてこれを拒否するものに非ず」
これは、いわゆる東亜新秩序と言われるものでもあります。反共主義によるもの(抗日容共な国民党政府の否定、大日本帝国・満州国・中華民国3カ国の連帯による共同防共の達成)と、汎アジア主義によるものを含んでいます。まあ、ようやくすれば日本中心の東アジアを作ろうといったものでしょうか。日本は東亜新秩序を作るために戦争をしているんです。だから、中国さんもこの仲間に張ってくださいと近衛総理は言います。しかし、中国は反日で一致しており和平に乗ることはありませんでした。
そして、三度目の近衛声明が1938年11月に発表されます。この第三次近衛声明のことを別名近衛三原則といいます。こっちの名前の方が有名だと思います。さて、これの内容を見ていきます。
三原則とは、善隣友好、共同防共、経済提携の3つを差します。これで和平の道ができたように思われますが、中国国民党は拒否し、結局は失敗になります。
近衛内閣の他の政策に国家総動員法の制定があります。これは今後の日本社会に大きな影響を与え国家によって経済統制が行われることになります。
さてさて、今回は第1次近衛内閣について見ていきました。私が近衛内閣について評価しない点は日中戦争を終わらせる機会が数回あったのにそれを近衛総理が自らことごとく壊していったことにあります。歴史にもしもがありませんので、近衛総理としては当時最善の策を行ったとしても自らの首を絞めるようなことをことごとく行っている点は評価しません。太平洋戦争が二方面戦争となってしまったのでここで終わらせることができれば勝てるとはいかないもののもっといい戦いができたのではないかと思えてしまいます。
さて、長々と今回はなりました。次回は平沼騏一郎内閣です。
◇参考
・ウィキペディア『近衛声明』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%A3%B0%E6%98%8E
・http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/1931-40/1938_dai1_konoeseimei.html
・ウィキペディア『トラウトマン和平工作』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3%E5%92%8C%E5%B9%B3%E5%B7%A5%E4%BD%9C
・ウィキペディア『日中戦争』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89
・ウィキペディア『支那事変』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%82%A3%E4%BA%8B%E5%A4%89
・ウィキペディア『盧溝橋事件』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A7%E6%BA%9D%E6%A9%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
・ウィキペディア『東亜新秩序』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%96%B0%E7%A7%A9%E5%BA%8F




