第32代 廣田弘毅内閣
歴代内閣考察、2017年最初の更新になります。
第32代 廣田弘毅内閣
在任1936年3月9日~1937年2月2日(331日)
国務大臣
内閣総理大臣 32 広田弘毅 官僚外務省
外務大臣 50 広田弘毅(前外務大臣)再任、内閣総理大臣による兼任
51 有田八郎 官僚外務省
内務大臣 51 潮恵之輔 貴族院研究会
大蔵大臣 41 馬場鍈一(元法制局長官)貴族院研究会
陸軍大臣 42 寺内寿一 陸軍
海軍大臣 38 永野修身 海軍
司法大臣 45 林頼三郎 官僚司法省
文部大臣 52 潮恵之輔 兼任
53 平生釟三郎 貴族院無会派
農林大臣 ⑫ 島田俊雄 衆議院政友会
商工大臣 ⑬ 川崎卓吉(前文部大臣)貴族院同和会 在任中に死去
⑭ 小川郷太郎 衆議院民政党
逓信大臣 46 頼母木桂吉 衆議院民政党
鉄道大臣 ⑯ 前田米蔵(元法制局長官)衆議院政友会
拓務大臣 ⑨ 永田秀次郎 貴族院同和会
内閣書記官長 38 藤沼庄平 貴族院研究会
政務官
外務政務次官 猪野毛利栄 衆議院政友会
内務政務次官 鍋島直縄 貴族院研究会
大蔵政務次官 中島弥団次 衆議院民政党
陸軍政務次官 立見豊丸 貴族院研究会
海軍政務次官 欠員
司法政務次官 野田俊作 衆議院政友会
文部政務次官 山本厚三 衆議院民政党
農林政務次官 田辺七六 衆議院政友会
山崎猛 衆議院政友会
商工政務次官 池田秀雄 衆議院民政党
逓信政務次官 前田房之助 衆議院民政党
鉄道政務次官 田子一民 衆議院政友会
拓務政務次官 稲田昌植 貴族院公正会
参与官
外務参与官 松山常次郎 衆議院政友会
内務参与官 肝付兼英 貴族院公正会
大蔵参与官 丹下茂十郎 衆議院政友会
海軍参与官 永田善三郎 衆議院民政党
司法参与官 秋月種英 貴族院研究会
文部参与官 作田高太郎 衆議院民政党
武知勇記 衆議院民政党
農林参与官 小林絹治 衆議院政友会
商工参与官 寺島権蔵 衆議院民政党
逓信参与官 多田満長 衆議院民政党
鉄道参与官 星島二郎 衆議院政友会
拓務参与官 林路一 衆議院昭和会
◇参考
ウィキペディア『廣田内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%A3%E7%94%B0%E5%86%85%E9%96%A3
首相官邸HP『広田内閣』http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/32.html
歴代内閣に関するデータベース『第33代・広田弘毅内閣』http://www.geocities.jp/since7903/Syouwa-kyukenpou/33-Hirota.htm
主な出来事
1936年 3月 ・広田弘毅内閣成立
・中谷宇吉郎が世界で初めて人工雪の製作に成功。
・牧野信一が小田原で自殺。
・三重県四日市市で国産振興四日市大博覧会が開幕。
・内田康哉元外務大臣死去。
・川崎卓吉商工大臣、現職のまま死去。
4月 ・日本・ブラジル間に国際電話開通
5月 ・第69特別議会召集
・立憲民政党斎藤隆夫の粛軍演説
・国産振興四日市大博覧会が閉幕。
・阿部定事件
6月 ・国民歌謡放送開始
・東京音楽学校に邦楽科設置
7月 ・日本プロ野球・巨人が一軍公式戦で初勝利。
・初の国立公園記念切手発行(「富士箱根」)
・コム・アカデミー事件。講座派学者と左翼系人物を一斉検挙。
・東京市の戒厳令解除
・上野動物園クロヒョウ脱走事件
・国際オリンピック委員会で第12回夏季オリンピック開催地を東京に決定
8月 ・警視庁の赤バイが白バイになる
・ベルリン五輪から河西三省が「前畑ガンバレ」の実況
・成都事件。四川省成都で日本人新聞記者2名が殺害される)
・日本、関東軍防疫部編成(1941年に731部隊と改編)。
9月 ・第1回全日本グライダー大会開催
・北海事件。広東省北海で日本人商人が殺害される
・大阪市立美術館開館
・漢口邦人巡査射殺事件
・関門鉄道トンネル起工
・上海日本人水兵狙撃事件
10月 ・初のカラーニュース映画公開
11月 ・書道博物館開館
・関釜連絡船で金剛丸就航
・東京・永田町に国会議事堂落成
・秋田県去沢町にある鉱山ダムが豪雨のため決壊し下流の村落を濁流が襲った。(中 沢ダム決壊事故)
・方面委員(民生委員の旧制度)が法制度化(方面委員令、勅令第398号)
・尾去沢鉱山沈殿池決壊事故(秋田県鹿角市、死者362名)
・時事新報廃刊。同紙は12月25日に東京日日新聞(現・毎日新聞)に合同。
・日独防共協定締結
・綏遠事件。関東軍が内蒙古軍を指揮して綏遠省に侵攻するが、中国軍に敗退。
12月 ・洲埼球場(現在の江東区)で東京巨人軍対大阪タイガースの優勝決定戦が開催。東 京巨人軍投手、沢村栄治は、この年、日本史上初のノーヒットノーランを達成。
・陸軍戦車学校開校
・常磐線日暮里駅・松戸駅間の電化完成。上野駅・松戸間に電車運転開始
・神戸銀行設立
・西安事件
・柴犬が天然記念物に指定
・コニカ(当時の社名:小西六写真工業)設立
・第70議会召集
・後楽園球場の運営母体である後楽園スタヂアム設立
・ワシントン海軍軍縮条約失効
1937年 1月 ・山本有三『路傍の石』連載開始(朝日新聞)
・名古屋城の金鯱の尾のうろこ110枚のうち58枚が剥ぎ取られているのを発見。同月27 日に犯人を逮捕。
・衆議院で浜田国松代議士と寺内陸相が割腹問答
・廣田内閣総辞職を決定(衆議院解散を主張する寺内陸相と政党出身閣僚との閣内不 統一)
・日米綿業協定調印
・宇垣一成に組閣命令(陸軍の反対により29日辞退)組閣流産。
・陸軍三長官会議が陸軍の入閣拒否を決議
・林銑十郎に組閣命令(陸相後任で組閣難航)
・ケソン比大統領来日
・寺内陸相が後任に中村孝太郎を推薦
2月 ・白白教事件
・松竹発足
・正式に廣田内閣総辞職
◇参考
ウィキペディア『1936年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1936%E5%B9%B4
ウィキペディア『1937年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1937%E5%B9%B4
概要
今回は廣田弘毅内閣についてやっていきたいと思います。さて、みなさんは今回の内閣総理大臣である廣田弘毅について知っているでしょうか。この人について知っている人が少ないかもしれませんが実はちょっと重要人物なんですよ。何せ、戦後極東国際軍事裁判通称東京裁判の際にA級戦犯として絞首刑を命じられた7人の1人がこの廣田です。しかも、廣田以外の6人については東条英機首相、板垣征四郎など全員軍人なのです。文官においてただ一人絞首刑になった人なのです。文官唯一ということはこの人は相当戦争に関係するひどいことをしたのではないかと思う人が出てきたかもしれません。しかし、彼についての評価は分かれるところです。城山三郎氏の『落日燃ゆ』において廣田について肯定的な意見もあると思います。ちなみに私もこれで廣田については結構好印象を抱きました。しかし、その一方で廣田こそ東条英機以上の戦犯だと』主張する歴史学者がいるのも事実です。どうしてここまで印象が分かれてしまったのでしょうか。これから、廣田内閣時の出来事を追っていきたいと思います。ちなみに蛇足的ですが、廣田は内閣総辞職後に第1次近衛内閣においても外務大臣として入閣しています。
まず、最初に川崎卓吉商工大臣について。彼は当初内務大臣として入閣する予定でしたが、陸軍の圧力により商工大臣となります。廣田内閣の組閣後新任式当日の閣議に出ますが、病気で倒れそのまま組閣月の27日に死去します。
あと、閣僚で見ると寺内寿一陸軍大臣は、あの寺内正毅元内閣総理大臣の息子になります。しかも、この親子史上唯一の親子二代の及ぶ陸軍元帥でもあります。軍人としての地位はかなり高い人です。
さて、廣田内閣が行った政策についてみていきます。まず、一番大きいというか廣田が外務大臣以外の時に戦犯として追及されてしまった罪の一つとして軍部大臣現役武官制の復活があります。
これについては歴代内閣考察の第二次西園寺内閣の回で説明しているので端折ります。この制度はいちおう簡単に説明しておくと軍部大臣すなわち陸軍大臣と海軍大臣の2つの大臣については現職の大将・中将のみが就任できるというものでした。しかし、逆に言うとこれは陸軍・海軍が後継の大臣を出さないとなると内閣は崩壊することになります。この制度が第二次西園寺内閣を倒閣する原因となりました。そして、第一次山本権兵衛内閣の時にこの現役という文字を廃止し予備役まで拡大しました。ただ、実際に予備役から大臣を任命した例はありませんが。これを廣田内閣は陸軍の要請によって復び復活させてしまったのです。これがのちに米内内閣を崩壊させる原因になります。これが、軍部の暴走を招いたとして廣田は罪に問われたのです。
それから廣田内閣の政策ではありませんが、在任中の起こった事件として腹切り問答事件があります。これが原因で廣田内閣は総辞職することとなります。この事件はこういったものです。国会において寺内陸軍大臣と立憲政友会の浜田国松衆議院議員との間の論争です。あまり、詳しいことは書けないので詳しくは下記サイトから調べるか、またはネットで検索してください。というのも、私自身今回この事件について知ったので詳しいことが言えないのです。最近鎌倉時代ばっかり研究していたのが問題でしたね。
さて、この事件で寺内陸軍大臣は衆議院を解散することを廣田に進言しましたが、廣田は解散を拒み、寺内は辞職をしようとします。ここに、内閣の意思の不一致により総辞職することになりました。
今回は、ここまでです。次回は林銑十郎内閣です。
◇参考
ウィキペディア『川崎卓吉』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B4%8E%E5%8D%93%E5%90%89
『歴代内閣考察 第14代第二次西園寺内閣』http://ncode.syosetu.com/n4192cm/16/
ウィキペディア『腹切り問答』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%B9%E5%88%87%E3%82%8A%E5%95%8F%E7%AD%94




