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歴代内閣考察  作者: 騎士星水波
昭和時代戦前
36/58

第30代 斎藤実内閣

 第30代 斎藤実内閣

 在任1932年5月26日~1934年7月8日(774日)


 国務大臣

内閣総理大臣  30 斎藤実 海軍

外務大臣    46 斎藤実 兼任

        47 内田康哉 貴族院無会派

        48 広田弘毅 外務省

内務大臣    49 山本達雄 貴族院交友倶楽部

大蔵大臣    37 高橋是清(前大蔵大臣・元内閣総理大臣)再任 政友会

陸軍大臣    38 荒木貞夫(前陸軍大臣)再任 陸軍

        39 林銑十郎 陸軍

海軍大臣    35 岡田啓介 海軍

        36 大角岑生(元海軍大臣) 海軍

司法大臣    43 小山松吉 司法省

文部大臣    48 鳩山一郎(前文部大臣)再任 衆議院政友会

        49 斎藤実 兼任

農林大臣    ⑩ 後藤文夫 貴族院無会派

商工大臣    ⑩ 中島久万吉 財閥

        ⑪ 松本烝治 貴族院無会派

逓信大臣    42 南弘   貴族院交友倶楽部

鉄道大臣    ⑭ 三土忠造(前逓信大臣) 衆議院政友会

拓務大臣    ⑥ 永井柳太郎 衆議院民政党

内閣書記官長  33 柴田善三郎 内務省

        34 堀切善次郎 貴族院研究会 


 政務次官

外務政務次官 滝正雄   衆議院無所属

内務政務次官 斎藤隆夫  衆議院民政党

大蔵政務次官 切善兵衛  衆議院政友会

陸軍政務次官 土岐章   貴族院研究会

海軍政務次官 堀田正恒  貴族院研究会

司法政務次官 八並武治  衆議院民政党

文部政務次官 東郷実   衆議院政友会

農林政務次官 有馬頼寧  貴族院研究会

       織田信恒  貴族院研究会

商工政務次官 岩切重雄  衆議院民政党

逓信政務次官 志賀和多利 衆議院政友会

       牧野良三  衆議院政友会

鉄道政務次官 名川侃市  衆議院政友会

拓務政務次官 堤康次郎  衆議院民政党


 参与官

外務参与官 沢本与一   衆議院民政党

      西脇晋    衆議院民政党

      松本忠雄   衆議院民政党

内務参与官 勝田永吉   衆議院民政党

大蔵参与官 上塚司    衆議院政友会

陸軍参与官 石井三郎   衆議院無所属

海軍参与官 川島正次郎  衆議院政友会

司法参与官 岩本武助   衆議院政友会

文部参与官 石坂豊一   衆議院政友会

農林参与官 松村謙三   衆議院民政党

商工参与官 松村光三   衆議院政友会

逓信参与官 立花種忠   貴族院研究会

鉄道参与官 板谷順助   衆議院政友会

拓務参与官 木村小左衛門 衆議院民政党


 ◇参考

ウィキペディア『斎藤内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BD%8B%E8%97%A4%E5%86%85%E9%96%A3

首相官邸HP『齋藤内閣』http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/30.html

歴代内閣に関するデータベース『第31代・斎藤実内閣』http://www.geocities.co.jp/since7903/Syouwa-kyukenpou/31-Saitou.htm


 主な出来事

1932年 5月 ・齋藤内閣成立

         ・日本国家社会党結成(赤松克麿ら)

        ・新日本国民同盟結成(下中弥三郎ら)

      6月 ・廣野ゴルフ倶楽部開場

      7月 ・総武線御茶ノ水 - 両国間開通。中央線と連絡

         ・富士山頂に気象観測所を開設

         ・日支紛争の実状調査にあたるリットン調査団が来日

         ・堺利彦発狂、家庭内暴力のため、青山脳病院に入院

         ・宮崎銀行設立

         ・第10回ロサンゼルスオリンピック 開幕

      8月 ・ 株式会社東京宝塚劇場(現在の東宝)設立(小林一三)

         ・第63臨時議会召集

      9月 ・日満議定書調印

         ・撫順炭鉱襲撃事件

         ・江木翼元内閣書記官長死去。

     10月 ・東京市35区の成立(旧東京市15区に隣接する5郡82町村を合併)。人口が倍増し            497万人、世界第2位の都市となる

         ・リットン報告書が公表される。

         ・赤色ギャング事件(日本最初の銀行強盗事件)

         ・三重県志摩郡に深谷水道が完成

         ・タタ航空エア・インディアが創業。

         ・石川県小松町で大火

         ・唯物論研究会創立大会(戸坂潤・岡邦雄・三枝博音ら)

         ・熱海の共産党会議で一斉検挙(熱海事件)

     11月 ・東京地裁判事尾崎陞らを共産党シンパとして検挙(司法官赤化事件)

         ・「唯物論研究」創刊

     12月 ・日豊本線全通

         ・白木屋(現東急百貨店)で火災

         ・大日本国防婦人会発足

         ・第64通常議会召集

         ・国際電話会社設立

         ・日本学術振興会設立

         ・森恪前内閣書記官長死去。

1933年 1月 ・日本軍が山海関で支那軍と衝突

         ・ラジオの時報が手動から自動式になる

         ・日本軍が山海関を占領

         ・東京商科大学教授大塚金之助が検挙さる

         ・元京都帝国大学教授河上肇が検挙される

      2月 ・長野県で教員が思想問題で多数検挙される(長野県教員赤化事件)。

         ・パリ国立音楽院を首席で卒業した原智恵子が帰国後初のピアノ独奏会(日比谷公会          堂)

         ・城東線が電化(大阪-天王寺間)

         ・作家小林多喜二が治安維持法違反容疑で逮捕される。東京・築地署に留置され特別          高等警察の拷問により虐殺される。

         ・国際連盟が日本軍の満洲撤退勧告案を42対1で可決。松岡代表退場。

         ・山陰本線全通(京都-幡生間)

         ・バーナード・ショー来日

         ・服部之総、論文「明治維新の革命及び反革命」 (「日本資本主義発達史講座」)。

      3月 ・三陸地方大地震(M8.1、死者3021名、不明43名、負傷968名)

         ・東京市で初の市会議員選挙(投票率70.2%)

         ・日本政府が国際連盟脱退の詔書を発布

         ・齋藤首相、国際連盟脱退を伊勢神宮に報告

         ・文官分限令により東北帝国大学教授・松本彦七郎の休職を命じられる。同日、同大          学副手・山内清男依願解嘱。

      4月 ・満州国が非承認国に対して門戸閉鎖

         ・金鶴香水が「丹頂チック」を発売

         ・京都競馬場が全焼

         ・仏軽巡洋艦ジャンヌ・ダルクが横浜に入港

         ・皇道会結成(平野力三ら)

         ・小山松吉法相が司法官赤化事件引責で辞表提出、昭和天皇の沙汰で留任

         ・色刷になった小学国語読本が絵本代りに買われて品不足、授業の支障となる

         ・関東軍が長城線を越えて華北に進撃開始

         ・静岡県浜崎村に三井海洋生物学研究所が開設

         ・女流飛行家マリー・イルズがパリより羽田に着陸。

         ・関東軍に長城線への帰還命令

         ・鳩山一郎文相が滝川幸辰京大教授の罷免を小西重直総長に要求(滝川事件)

         ・関東軍が長城線へ撤退完了。

         ・陸軍少年航空兵制度始まる。

         ・天長節の日比谷公園で国際連盟脱退詔書奉戴式が挙行さる。学生2万人が参加。

      5月 ・弁護士法全部改正(昭和8年法律第53号)。女性にも弁護士の道が開かれる。

         ・大阪市営地下鉄御堂筋線の梅田(仮) - 心斎橋間が開通。日本初の公営地下鉄。

         ・日本が中国国民党との間で塘沽協定を結ぶ(満州事変の終結)。

      6月 ・聖路加国際病院開院式

         ・大阪で兵士1名と巡査1名が掴み合いの喧嘩。軍部 - 内務省間の抗争に発展(ゴース          トップ事件)。

         ・阪神本線岩屋 - 神戸(現・神戸三宮)間が地下線により開業。

         ・丹那トンネル貫通。着工より15年2箇月

         ・夕刊大阪新聞社から「日本工業新聞」(現在の産経新聞)創刊。

         ・NHK大阪放送局、NHK名古屋放送局第2ラジオが放送開始。

      7月 ・松山城放火事件。

         ・神兵隊事件。

         ・山形市で気温40.8度を記録。(2007年8月16日に岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で           40.9度を記録し、日本の公式記録を更新した。)

         ・滝川事件で、滝川幸辰、佐々木惣一、末川博等、6人の教授が免官される。

      8月 ・改正図書館令施行 (政府による図書館統制強化開始)

         ・第1回関東地方防空大演習実施

         ・桐生悠々の信濃毎日新聞記事「関東防空大演習を嗤ふ」が 問題化

         ・深川祭で神輿が永代橋渡御 (落橋事故以来126年ぶり)

         ・採用を開始した陸軍少年航空兵の倍率57倍 (定員170名に9731名が応募)

         ・五・一五事件被告に対する減刑嘆願書が7万通殺到

      9月 ・大阪放送局が学校放送を開始

         ・内田康哉外相辞任。後任に広田弘毅を任命。

         ・中央線東京・中野間で急行運転開始(朝夕のみ)。総武線も中野まで乗入れ

         ・伊勢丹が神田から新宿に出店

         ・第1回日本ヨット選手権大会開催(品川沖)

         ・東京赤羽に軍用犬養成所開所

         ・土屋喬雄が「改造」の論文で、服部之総の論文を批判。マニファクチュア論争勃           発。

     10月 ・滋賀銀行設立(百三十三銀行と八幡銀行が合併) 

         ・長野県営の上高地帝国ホテル開業

         ・築地小劇場創立十周年記念改築完成公演(坪内逍遙「ハムレット」)

         ・水原リンゴ事件。秋季リーグ早大対慶大戦で乱闘騒ぎ

     11月 ・東京・大阪間夜間定期郵便飛行開始

         ・神戸で第1回「みなとの祭」開催。

         ・蚕糸恐慌。生糸暴落し産繭・生糸の輸出統制開始

         ・丸善石油設立

         ・佐々木茂索、久米正雄、川口松太郎、里見弴ら作家15名が賭博で検挙さる

         ・府中競馬場開場

         ・昭和天皇の特命により、ゴーストップ事件終結。当事者2名に和解成立。

         ・芝浦スケート場開場

         ・野呂栄太郎が検挙される

         ・上原勇作元陸軍大臣死去する。

     12月 ・水原茂選手ら慶大生8人を含む35人が麻雀賭博で検挙(水原は4日野球部を除名、6日          より停学)

         ・長崎医科大学で学位売買が発覚。

         ・田辺五兵衛商店(後の田辺製薬)設立

         ・皇太子明仁親王誕生(サイレンにて通告)

       ・第65議会召集

         ・東京有楽町に日本劇場開場

       ・鹿児島県口永良部島が噴火。

         ・自動車製造株式会社(後の日産自動車)設立

         ・東京ステーションホテルが鉄道省直営となり東京鉄道ホテルに改称・開業

         ・山本権兵衛元内閣総理大臣死去する。

1934年 1月 ・東京宝塚劇場開場。

         ・京都駅で呉海兵団入団者の見送りによる大混乱。跨線橋の階段で77名が圧死(京都          駅跨線橋転倒事故)。

         ・時事新報が帝人事件をスクープ。

         ・日本共産党内部の裏切り・スパイ疑惑に関する査問事件を「赤色リンチ事件」とし          て公表。

         ・富士写真フイルム設立(大日本セルロイドの写真部門が分社独立)。

         ・シェストフ「悲劇の哲学」邦訳。「シェストフ的不安」が流行語になる。

         ・日本製鐵株式會社設立。

         ・兵庫県但馬地方で三十年来の大雪。

      2月 ・日比谷映画劇場開場

         ・愛知県蒲郡市に蒲郡ホテル完成(初の国際観光ホテル)

         ・三枝博音「日本に於ける哲学的観念論の発達史」

         ・山田盛太郎「日本資本主義分析」

         ・伊東巳代治元内閣書記官長死去。

      3月 ・満州国にて帝政実施。執政溥儀が皇帝となる。

         ・鳩山一郎文部大臣が綱紀問題で辞任。

         ・時事新報社社長・武藤山治、神奈川県大船町(現:鎌倉市)の別邸近くで狙撃され          る(翌10日死去)。

         ・友鶴事件。長崎県志々伎岬沖で水雷艇友鶴が荒天下の演習中に転覆。艦長以下100名          死亡。

         ・初の国立公園指定(瀬戸内海・雲仙・霧島)

         ・函館市で大火。

       ・東日本で暴風雨。

         ・日活が多摩川撮影所を買収、現代劇部の東京移転を開始

         ・原脩次郎元鉄道大臣死去。

         ・中橋徳五郎元内務大臣死去。

      4月 ・山口貯水池(狭山湖)完工式

         ・海軍航海学校開校(横須賀市)

         ・明治生命館完成

         ・帝人事件

         ・忠犬ハチ公銅像除幕式

      5月 ・東北地方を中心に冷害と不漁が相次ぎ、その年の同地方は深刻な凶作となって飢饉          が発生した。

         ・東郷平八郎元帥死去。東郷神社建設の声が全国で起こる。

         ・片岡直温元大蔵大臣死去。

      6月 ・輸出組合法改正施行(ダンピング取締・政府統制強化)

       ・南都銀行設立。

         ・東郷平八郎元帥国葬(日比谷公園)

         ・日比谷公会堂で藤原歌劇団第1回公演(「ラ・ボエーム」)

         ・南京で蔵本書記生失踪事件

         ・東京・台北間に無線電話開通

         ・築地本願寺完成

      7月 ・齋藤内閣が帝人事件により総辞職。


 ◇参考

ウィキペディア『1932年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1932%E5%B9%B4

ウィキペディア『1933年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1933%E5%B9%B4

ウィキペディア『1934年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1934%E5%B9%B4


 概要

 今回は、斎藤実内閣について見ていきます。

 斎藤内閣の特徴としてはまず、政党内閣ではないことです。加藤高明内閣以降先代の犬養毅内閣までつねに政党が内閣を構成していましたが、五・一五事件の発生により犬養首相は暗殺、政党への不満が高まっていたこともあり、後継首相の選定にあたっていたただ1人の元老である西園寺公望元首相は本来であれば民政党総裁に大命降下をするところを海軍穏健派であり斎藤に大命降下をするように天皇に助言し、結果として斎藤が第30代内閣総理大臣に就任します。斎藤内閣からはいわゆる挙国一致内閣と言われ、民政党と政友会という対立している二大政党を始め産業界・軍部など多くの団体の支持のもとで成り立ちました。

 さて、この内閣で起きた大きな事件としてまずとりあげるのは満州国の承認です。

 前内閣である犬養内閣の時に起こった満州事変について時の犬養首相は満州国を承認しなかったために海軍将校によって暗殺されます(五・一五事件)。そのあとを引き継いだ斎藤内閣にとってまずは満州事変の終息をすることが優先課題です。そこで満州国を承認する日本国(大日本帝国)と満州国との間で1932年9月に日満議定書が締結されます。この議定書によって日本は満州国を承認することになります。また、1933年には当事国の中国と塘沽たんくー協定を結んで停戦します。

 ついで、この満州事変に関連した出来事として国際連盟脱退の話です。

 満州事変について国際連盟からイギリス人の第2代リットン伯爵ヴィクター・ブルワー=リットン率いる調査団通称リットン調査団が国際連盟日支紛争調査委員会より選出され調査を行います。この調査で日本側は自身が悪くないと主張し、いろいろと裏から口出しをしましたが、リットンはそれをまったく介さず結果として日本側への配慮がある回答書を出しましたが、全体としては日本にとって認めたくないような内容が多く日本としては誠に遺憾でした。

 主なものとして、

 が極めて微弱であり日本人が保護されていない、といった中華民国と満洲国の実情を述べた後、下記のように論じている。


・柳条湖事件及びその後の日本軍の活動は、自衛的行為とは言い難い。

・満洲国は、地元住民の自発的な意志による独立とは言い難く、その存在自体が日本軍に支えられている。

  ・満洲に日本が持つ条約上の権益、居住権、商権は尊重されるべきである。国際社会や日本は支那政府の近代化に貢献できるのであり、居留民の安全を目的とした治外法権はその成果により見直せばよい。一方が武力を、他方が「不買運動」という経済的武力や挑発を行使している限り、平和は訪れない。

 などなどです。(ウィキペディア抜粋)


 このリットン調査団による対日勧告が1933年2月の国連の特別総会で採決されることになりました。結果、賛成42、反対1(日本)、棄権1(シャム現在のタイ)、投票不参加1(チリ)で可決されます。この結果に不満を抱いた日本側は全権松岡洋右らが退席し後日国際連盟脱退を通告します。これにより1920年代初めから日本は国際連盟の常任理事国として活動しましたが、完全に国際社会で孤立していくことになるのです。


 最後に帝人事件について。

 この内閣の総辞職の原因となる事件です。どういった事件であるというと、1934年1月に時事新報(武藤山治社長)が、繊維会社の帝人と財界人グループ「番町会」や鳩山一郎とのあいだの贈収賄疑惑を報じたことから帝人事件の調査が開始され、帝人社長、帝人の株式を担保していた台湾銀行の頭取、番町会の永野護、大蔵省の次官・銀行局長ら16人が起訴されました。この事件で野党政友会の久原房之助らによる倒閣運動がなされます。まず、中島久万吉商工相がいわゆる足利尊氏論の論文を批判され辞任に追い込まれます。これはどういったものかというと、戦前においては天皇陛下を敬うのが当たり前でありそれ以前の歴史においても勤皇の人にはとりわけ尊敬され、逆に天皇に逆らった者に対しては不利な評価がなされていました。その中でも足利尊氏は後醍醐天皇を裏切った逆臣として扱われていたため、その足利尊氏を賛否したこの論文を野党側の言葉尻による攻撃で辞任へと追い込まれたのでした。

 そして、帝人事件の方もその後、司法省の裁判官の石田和外らは4月、被告ら全員に無罪判決を言い渡したが、このことで政権批判の世論が収まることはなく、責任を取る形で齊藤内閣は7月8日に内閣総辞職した。

 さて、今回はこのあたりで。次回は岡田啓介内閣です。


 ◇参考

ウィキペディア『挙国一致内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%99%E5%9B%BD%E4%B8%80%E8%87%B4%E5%86%85%E9%96%A3

ウィキペディア『日満議定書』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%BA%80%E8%AD%B0%E5%AE%9A%E6%9B%B8

ウィキペディア『満州国』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E%E5%9B%BD

ウィキペディア『リットン調査団』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%9B%A3

ウィキペディア『松岡洋右』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E6%B4%8B%E5%8F%B3#.E3.82.B8.E3.83.A5.E3.83.8D.E3.83.BC.E3.83.96.E7.B7.8F.E4.BC.9A.E6.B4.BE.E9.81.A3.E3.83.BB.E9.80.A3.E7.9B.9F.E8.84.B1.E9.80.80

ウィキペディア『塘沽協定』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%98%E6%B2%BD%E5%8D%94%E5%AE%9A

ウィキペディア『中島久万吉』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E4%B9%85%E4%B8%87%E5%90%89

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