第26代 田中義一内閣
最後に内閣総辞職に関する話を追加しました。
第26代 田中義一内閣
在任1927年4月20日~1929年7月2日(805日)
国務大臣
内閣総理大臣 26 田中義一 立憲政友会総裁・貴族院無会派
外務大臣 41 田中義一 (兼任)
内務大臣 41 鈴木喜三郎(元司法大臣) 貴族院研究会
42 田中義一 (兼任)
43 望月圭介 立憲政友会・衆議院議員
大蔵大臣 32 高橋是清(元内閣総理大臣)立憲政友会前総裁・衆議院議員
33 三土忠造(元内閣書記官長) 立憲政友会・衆議院議員
陸軍大臣 34 白川義則
海軍大臣 30 岡田啓介
司法大臣 38 原嘉道 民間・弁護士
文部大臣 41 三土忠造
42 水野錬太郎(元内務大臣) 貴族院交友倶楽部
43 勝田主計(元大蔵大臣) 貴族院研究会
農林大臣 ⑥ 山本悌二郎 立憲政友会・衆議院議員
商工大臣 ⑥ 中橋徳五郎(元文部大臣) 立憲政友会・衆議院議員
逓信大臣 37 望月圭介
38 久原房之助 立憲政友会・衆議院議員
鉄道大臣 ⑨ 小川平吉(元司法大臣) 立憲政友会・衆議院議員
拓務大臣 ① 田中義一(兼任)1929年6月10日、拓務省設置
内閣書記官長 29 鳩山一郎 立憲政友会・衆議院議員
政務次官
外務政務次官 森恪
内務政務次官 武藤金吉
秋田清
大蔵政務次官 大口喜六
陸軍政務次官 竹内友治郎
海軍政務次官 内田信也
司法政務次官 浜田国松
文部政務次官 山崎達之輔
農林政務次官 東武
商工政務次官 吉植庄一郎
逓信政務次官 秋田清
広岡宇一郎
鉄道政務次官 上埜安太郎
参与官
外務参与官 植原悦二郎
内務参与官 加藤久米四郎
大蔵参与官 山口義一
陸軍参与官 高草美代蔵
八田宗吉
海軍参与官 松本君平
司法参与官 黒住成章
磯部尚
文部参与官 安藤正純
農林参与官 砂田重政
商工参与官 牧野良三
逓信参与官 向井倭雄
鉄道参与官 志賀和多利
◇参考
ウィキペディア『田中義一内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%BE%A9%E4%B8%80%E5%86%85%E9%96%A3
首相官邸HP『田中(義)内閣』http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/26.html
歴代内閣に関するデータベース『第27代・田中義一内閣』http://www.geocities.jp/since7903/Syouwa-kyukenpou/27-Tanaka.htm
主な出来事
1927年 4月 ・田中義一内閣発足。
・東京女子高等師範教授保井コノに理学博士号(初の女博士)
・全国で銀行取付け激化し十五銀行などが休業
・日本ラグビー蹴球協会結成
・金沢市で大火(748戸焼失)
・金銭債務支払延期緊急勅令により3週間のモラトリアム実施・銀行は一斉休業
5月 ・ ジュネーブ国際経済会議開催(52カ国)
・第53臨時議会召集(金融恐慌対策)
・日銀総裁に井上準之助が就任
・日本ポリドール蓄音器設立(日本国内でのレコード製造開始)
・映画芸術科学アカデミー発足。
・長野県木曽福島町で大火(600戸焼失)
・武藤金吉内務政務次官が人口増加問題につき「産児制限は怪しからん事だ/みんなイ モを食へ」と発言
・北伐軍に対する居留民の保護及び治安維持のため陸海軍を派遣(第一次山東出兵)
6月 ・立憲民政党結成(憲政会と政友本党が合同)
・政治結社台湾民党が治安維持法により禁止される
・万国郵便連合加盟50年記念切手(4種)発表
・東京電信局に自動電信交換機を設置
・日米英3か国がジュネーブ海軍軍縮会議を開催
・アムンゼン来日
・外務省・陸軍省・関東軍首脳が対支政策決定のため東方会議を開催
7月 ・岩波文庫創刊(漱石「こゝろ」他23点)
・芥川龍之介が睡眠薬を多量に飲んで自殺
・大日本排球協会(後の日本バレーボール協会)設立
8月 ・第1回全日本都市対抗野球大会(現在の都市対抗野球大会)開催。
・NHKが第13回全国中等学校優勝野球大会を放送(初のスポーツ実況中継)
・美保関事件。島根県美保ケ関沖で夜間演習中の駆逐艦「蕨」と巡洋艦「神通」が衝 突、蕨は沈没、119名死亡。
9月 ・宝塚少女歌劇レビュー初演(『モン・パリ』)
・秋収起義起こる
・日本ビクター設立
・日本橋の三越呉服店で日本初のファッションショーを開催(水谷八重子・東日出子 らがモデル)
・ 海軍の八丈島飛行場が完成し開場式挙行
・蒋介石が来日(長崎着、11月8日まで滞日)
10月 ・火災専用の電話番号が112番から119番に変更
・昭和銀行設立(破綻した諸銀行の業務継承)
11月 ・初の明治節
・来日中の蒋介石が田中首相と会談(国民政府による中国統一に協力要請)蒋介石が 離日(神戸発)
・全国水平社員北原泰作二等兵が軍隊内差別を天皇に直訴し逮捕(名古屋練兵場、軍 法会議で懲役1年の判決)
・「キンダーブック」創刊(フレーベル館)
12月 ・『労農』創刊(労農派)
・京都市中央卸売市場開設(日本初の中央卸売市場)
・金鶴香水(後のマンダム)設立
・多摩陵の造営工事が完成し奉告の御儀挙行
・第54議会召集
・上野・浅草間に日本最初の地下鉄が開通
・除夜の鐘(寛永寺)が初めて中継放送される。
1928年 1月 ・大相撲ラジオ実況放送開始
・岡部金治郎がマグネトロンの特許を取得
・フェルディナンド・ソシュール「言語学原論」邦訳
・大岡育造元衆議院議長・元文部大臣死去
2月 ・赤旗創刊
・第16回衆議院議員総選挙(最初の普通選挙)
・「久留米大学」の前身である「九州医学専門学校」が設置される。
3月 ・日本共産党に対する一斉検挙(三・一五事件)
・台北帝国大学設置
・キリンレモンの販売が開始。
4月 ・治安警察法により労働農民党・日本労働組合評議会・全日本無産青年同盟に解散命 令
・第55特別議会召集
5月 ・青森県内の銀行合併により八戸銀行設立。
・済南事件。日本軍が山東省済南で国民政府軍と衝突
・台中不敬事件おこる。
・第1回全日本学生陸上競技大会(明治神宮競技場)
・野口英世黄熱病により死去
6月 ・張作霖爆殺事件(満洲某重大事件)
・ 緊急勅令で治安維持法改正公布施行(死刑・無期刑を追加)
7月 ・全府県警察部に特別高等警察設置
・中華民国国民政府が日華通商条約の廃棄を通告
8月 ・パリ不戦条約調印(日本を含む15か国が署名)。日本では「人民の名に於て」の 字句が政治問題化。
9月 ・
10月 ・ 陪審法施行
・京都平安神宮に日本最大の鳥居が完成
・小樽新聞が北海道置戸で珍獣が捕獲されたと報道(エゾナキウサギの発見)
・日本航空輸送設立
・赤十字国際規約の採択により、赤十字社が正式に設立。
・早稲田大学演劇博物館開館
11月 ・ラジオ体操放送開始
・昭和天皇の即位の礼挙行
・大嘗祭挙行
・同志社大学で火災。天皇が京都滞在中であったため、総長が引責辞任
・佐伯俊平(服部之総)、論文「唯物弁証法と唯物史観」(「マルクス主義講 座」)。三木清の三木哲学と、福本和夫の福本イズムを厳しく批判した。
12月 ・カトリック神田教会聖堂献堂
・第56議会召集
1929年 1月 ・
2月 ・合名会社江崎商店が株式会社江崎(後の江崎グリコ)に組織変更
・東京市で説教強盗妻木松吉が逮捕される
・青森県車力村の小作争議が激化し警官隊と衝突
3月 ・小原國芳が東京府南多摩郡町田町に学校法人玉川学園を設立する。
・山本宣治殺害事件。
・茨城県新治郡石岡町(現・石岡市)で石岡大火が発生。
・先代の首相官邸(現首相公邸)が竣工。
4月 ・小田急江ノ島線、相模大野駅 - 片瀬江ノ島駅間開通。
・折口信夫「古代研究」第I巻 国文学篇。
・初のターミナルデパート、阪急百貨店が開店。
・共産党員一斉検挙(四・一六事件)
・後藤新平元内務大臣死去
5月 ・ 東京市で午砲「ドン」が廃止。サイレンとなる。
6月 ・隅田川に厩橋完成
・北海道駒ヶ岳が爆発。北海道駒ヶ岳が噴火
7月 ・張作霖爆殺事件責任者の処分発表。処分が軽すぎると天皇が首相田中義一を叱責。
・田中義一内閣総辞職。
◇参考
ウィキペディア『1927年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1927%E5%B9%B4
ウィキペディア『1928年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1928%E5%B9%B4
ウィキペディア『1929年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1929%E5%B9%B4
概要
今回紹介するのは田中義一内閣です。そして、時代はいよいよ昭和時代です。正確に言うと、前内閣の第1次若槻内閣の途中で昭和に入っていましたが、昭和天皇直々の大命降下による内閣はこの田中義一内閣が最初となります。
さて、この時期は憲政の常道により政党内閣の時代となっております。したがって田中義一内閣も政党内閣です。田中義一というと陸軍の人というイメージがあると思いますがまさにそうです。元陸軍でありますが、政界進出を考えており政友会の総裁の座をカネで買ったとも言われる人です。したがって、この内閣は立憲政友会内閣です。
ちなみに立憲政友会の歴代総裁は初代伊藤博文、2代西園寺公望、3代原敬、4代高橋是清に続く5代目総裁が田中義一となっています。
さて、そろそろこの内閣の時にあった出来事について見ていく前にこの内閣について言われていることは将来の総理が大勢入閣していることです。
海軍大臣に岡田啓介が、内閣書記官長に鳩山一郎が、元総理ですが大蔵大臣には高橋是清が入閣しています。それ以外に外務省の官僚人事で吉田茂を外務省の事務次官にしています。これまた豪華なメンバーですね。
さて、この内閣で語ることは2つです。
1つ目は、対外政策です。憲政会、並びに立憲民政党の内閣は幣原喜重郎外務大臣による幣原外交を基本としていました。これは国際協調の外交政策です。一方の田中内閣は田中総理自身が外務大臣を兼任し、実質は外務政務次官の森恪による積極外交を推進しました。この場合における積極外交というのは対中政策のことです。中国大陸に関して積極的に進出していく軍部と強調するのが田中内閣の方針でした。俗に言う東方会議もこの内閣で行われます。
東方会議は、1927年(昭和2年)6月27日から7月7日まで、南京事件や漢口事件のように日本の既得権益の維持と在留日本人の保護すら十分にできない幣原外交を是正するとともに政府の対華政策を確立することを目的に、田中義一兼摂外務大臣主催の形式のもとに外務大臣官邸で開かれた会議。7月7日の会議の最終日に、「対支政策要綱」が発表され、当該国に通知された。通知された国からは一つの抗議もなかった。
ウィキペディアより抜粋。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E4%BC%9A%E8%AD%B0_(1927%E5%B9%B4)
これに関係して3回にわたる山東出兵も行っています。中国の山東省は第一次大戦前は旧ドイツ領であり日本はここを占領して戦後の諸条約においてここでのドイツ権益の継承を認められますが、当の中国が反対しており日本はこの事態の打開のために『山東懸案解決に関する条約』を中国と結んで山東を中国に返還します。ただ、これに不満なのは軍部です。そのために山東に日本は再び侵攻して中国から奪い取ろうと企むのでした。詳しくはインターネットなどでその辺の話はたくさんあると思うので調べてみてください。私はそこまで詳しくないのであまり言えませんのであしからず。
2つ目。田中内閣は何かと社会主義者を弾圧しています。それは、1925年に成立した普通選挙法によって社会主義政党が衆議院議員に当選する可能性があるからです。現に1928年の初の普通選挙が実施された第16回衆議院議員総選挙において労働農民党(労農党)、日本労農党、社会民衆党、日本農民党のいわゆる無産政党(社会主義政党とは堂々と言えないため)らで8議席獲得します。
一方で、日本共産党に対しては1928年の三・一五事件、1929年の四・一六事件において治安維持法を理由に検挙を行い第2次共産党を壊滅状態に追い込むなど弾圧を加えるなど社会主義者に対して一定の成果を残しました。なお、共産党はこの後地下活動をし戦後になってようやく日の光を浴びることが許されるようになります。
他にもこの内閣では水野文相優諚問題という事件が起きいます。水野文部大臣が辞任した際に天皇に慰留されたので辞任を撤回したところ天皇の言葉を政治的に利用しているとして辞任に結局追い込まれた事件のことです。
追加です。
この内閣において張作霖爆殺事件(満州某重大事件)が発生します。犯人は陸軍なのですが、田中は陸軍出身であるために昭和天皇に責任者を厳しく罰しろということを言われているのに厳しく罰することができませんでした。これに昭和天皇は激怒して田中の話を聞きたくないと言い、田中は天皇からの信頼を失ったため泣く泣く内閣総辞職しました。
その数か月後、田中は狭心症で亡くなります。この天皇からの叱咤が原因ともされていて、これ以後昭和天皇は政治に極力関与しなくなったと言われています。
在任期間805日約2年ぐらいの内閣ですが、結構厚みのある内閣です。日本史選択の方もかなり重要な内閣なので覚えておきましょう。今回はこのあたりで。次回は浜口雄幸内閣です。
◇参考
ウィキペディア『田中義一内閣』
ウィキペディア『東方会議(1927年)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E4%BC%9A%E8%AD%B0_(1927%E5%B9%B4)
ウィキペディア『山東出兵』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9D%B1%E5%87%BA%E5%85%B5
ウィキペディア『山東懸案解決に関する条約』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9D%B1%E6%87%B8%E6%A1%88%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84
ウィキペディア『三・一五事件』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%83%BB%E4%B8%80%E4%BA%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ウィキペディア『四・一六事件』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E3%83%BB%E4%B8%80%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ウィキペディア『第16回衆議院議員総選挙』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC16%E5%9B%9E%E8%A1%86%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B7%8F%E9%81%B8%E6%8C%99




