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歴代内閣考察  作者: 騎士星水波
大正時代
29/58

第25代 第一次若槻礼次郎内閣

第25代 第1次若槻礼次郎内閣

 在任1926年1月30日~1927年4月20日(446日)


 国務大臣


内閣総理大臣  25 若槻禮次郎(前内務大臣)

外務大臣    40 幣原喜重郎(前外務大臣)再任

内務大臣 39 若槻禮次郎(兼任)

40 濱口雄幸

大蔵大臣 29 濱口雄幸(前大蔵大臣)再任

30 早速整爾

31 片岡直温

陸軍大臣 33 宇垣一成(前陸軍大臣)再任

海軍大臣 29 財部彪(前海軍大臣)再任

司法大臣    37 江木翼(前司法大臣)再任

文部大臣 40 岡田良平(前文部大臣)再任

農林大臣 ④ 早速整爾(前農林大臣)再任

      ⑤ 町田忠治

商工大臣    ④ 片岡直温(前商工大臣)再任

      ⑤ 藤沢幾之輔

逓信大臣    36 安達謙蔵

鉄道大臣 ⑦ 仙石貢(前鉄道大臣)再任

      ⑧ 井上匡四郎

内閣書記官長  28 塚本清治(前内閣書記官長)再任


 政務次官

外務政務次官矢吹省三

内務政務次官俵孫一

大蔵政務次官武内作平

陸軍政務次官水野直

海軍政務次官井上匡四郎

降旗元太郎

司法政務次官本田恒之

文部政務次官鈴置倉次郎

田中善立

農林政務次官小山松寿

商工政務次官柵瀬軍之佐

逓信政務次官 頼母木桂吉

鉄道政務次官 佐竹三吾


参与官

外務参与官永井柳太郎

内務参与官鈴木富士彌

大蔵参与官三木武吉

中野正剛

陸軍参与官溝口直亮

海軍参与官伊東二郎丸

司法参与官八並武治

文部参与官山道襄一

農林参与官高田耘平

商工参与官野村嘉六

逓信参与官川崎克

鉄道参与官古屋慶隆

 ◇参考

ウィキペディア『第1次若槻内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E6%AC%A1%E8%8B%A5%E6%A7%BB%E5%86%85%E9%96%A3

首相官邸HP『第1次若槻内閣』http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/25.html

歴代内閣に関するデータベース『第二十六代:第一次若槻礼次郎内閣(民政党内閣)』http://www.geocities.jp/since7903/Taisyou-naikaku/26-Wakatsuki-vol1.htm


 主な出来事

1926年 1月 ・第1次若槻内閣成立

         ・「幼年倶楽部」創刊(野間清治)

      2月 ・松島遊郭疑獄発覚

         ・東北帝国大学の八木秀次と宇田新太郎によって、八木・宇田アンテナが考案

         ・大木遠吉元司法大臣死去

      3月 ・労働農民党結成

      4月 ・星製薬(後のテーオーシー)設立

         ・朴烈・金子文子夫妻が大逆罪によって死刑判決(朴烈事件)

         ・「アサヒカメラ」創刊

         ・滝実業学校(愛知県江南市)開校

      5月 ・兵庫県宝塚市に「宝塚ホテル」誕生(阪神間初の郊外型ホテル)

         ・十勝岳が大噴火(死者144名)、絲屋銀行が破綻。

      6月 ・6・10万歳運動が起こる。

         ・日本アマチュア無線連盟(任意団体)結成。全世界に向けて設立宣言文を広報発            信。

         ・三木清「パスカルに於ける人間の研究」発表

      7月 ・治安警察法第17条の廃止、小作調停法・労働争議調停法の施行により労働者・農民          の団結権と争議権が制限付きながら認められる。

      8月 ・日本放送協会設立

         ・鬼熊事件

      9月 ・山陽本線特急列車脱線事故がおこる。

         ・新宿高野がフルーツパーラーを営業開始

         ・早速整爾元大蔵大臣死去

     10月 ・郵便年金開始

         ・新交響楽団(後のNHK交響楽団)結成

         ・明治神宮外苑竣功奉献式

     11月 ・レスメーカー女学院(後の杉野学園)設立

         ・日本海海戦の旗艦「三笠」保存記念式

         ・福岡連隊差別事件への抗議運動をしていた全国水平社幹部が一斉検挙

         ・豊田佐吉が現在のトヨタ自動車の母体である豊田自動織機製作所を設立

         ・日本ラグビーフットボール協会が設立。

     12月 ・改造社が『現代日本文学全集』を刊行(円本時代到来)

         ・阪急今津線が全通。西宮北口駅に平面交差が生じる

         ・第52議会召集

         ・大正天皇崩御。摂政裕仁親王が践祚する。昭和と改元(この日から年末まで昭和元          年)。

         ・浜松高等工業学校の高柳健次郎、電子式テレビ受像機(ブラウン管式)を開発。

         ・光文事件。

         ・高野山金堂火災(国宝など焼失)

         ・昭和天皇が西園寺公望に「元老として補弼せよ」と勅語を下す。

         ・東京市の市電・省線が終夜運転を行う。

1927年 1月 ・健康保険法施行。給付開始。

         ・法制局が法令に濁点を施す訓令を通達日本水平社結成

         ・日本ゼネラル・モータース設立

         ・前年12月に没した日本の大行天皇の追号が大正天皇と決まる

         ・春秋社「世界大思想全集」創刊

         ・及川奥郎が新しい小惑星を発見

         ・東京地方で気象台開設以来の寒波(ー8.6度 各所で水道管破裂)

         ・明治節(現文化の日)制定を可決(1927年は“明治60年)

         ・宮崎県小林町で大火(1200棟焼失)

      2月 ・大正天皇大喪。大赦137669名、減刑46138名。

         ・争議中の磐代炭坑労働組合員が右翼暴力団と衝突

         ・日本放送協会が初めてオペラを放送カヴァレリア・ルスティカーナ

         ・野田卯太郎元逓信大臣死去

      3月 ・新潮社「世界文学全集」刊行開始

       ・研究社「新英和中辞典」刊行

         ・北丹後地震

         ・火災保険会社が北丹後地震に対する保険不払を声明

         ・金華山沖で鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」が沈没(43名死亡)

         ・三菱信託株式会社(後の三菱信託銀行)設立

         ・片岡直温蔵相が「東京渡辺銀行が破綻」と失言(昭和金融恐慌の発端)

         ・東京渡辺銀行が、姉妹行である「あかぢ貯蓄銀行」ともども休業。京浜地方で銀行          取り付け騒ぎ。

         ・中井銀行休業(合併・買収など曲折を経て、現 みずほ銀行となっている)

         ・日本銀行が市中銀行に対して非常貸出しを実施

         ・村井銀行・中沢銀行・八十四銀行など諸銀行が休業(多くが合併・買収など曲折を          経て、現 みずほ銀行となっている)

         ・南京事件の善後策につき日英米の司令官が緊急会議

       ・空母「赤城」完成

         ・台湾銀行が鈴木商店に新規貸出し停止命令

         ・福島県磐城炭鉱で坑内火災(136名死亡)

       ・映画「椿姫」撮影中の岡田嘉子が竹内良一と駆落ちし失踪

         ・矢田上海総領事が南京事件につき蒋介石に抗議

         ・南京総領事館の荒木海軍大尉が自決

         ・村山貯水池(多摩湖)完成

      4月 ・兵役法公布(徴兵令廃止)

       ・小田急小田原線が営業開始

         ・鈴木商店破産

         ・漢口の日本租界で日本陸戦隊と支那人が衝突(漢口事件)

         ・海軍航空本部令公布

         ・花柳病予防法公布

         ・第六十五銀行休業(株式相場大暴落)

         ・日英米仏伊が武漢国民政府に南京事件に関する謝罪・責任者処罰を要求

         ・重巡妙高が横須賀で進水

         ・第1次若槻内閣総辞職(枢密院が台湾銀行救済緊急勅令案を否決)


 ◇参考

ウィキペディア『1926年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1926%E5%B9%B4

ウィキペディア『1927年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1927%E5%B9%B4


 概要

 さて、今回の内閣は第1次若槻礼次郎内閣です。

 この内閣で元号が大正から昭和に移ります。

 加藤高明前首相の死後後任首相は元老である西園寺公望が決めることとなりました。前首相の死去ということで政治的ミスがなかったと判断し中間内閣とするため同じく憲政会の若槻礼次郎を首相とすることになりました。こうして第1次若槻内閣は成立します。そのため、若槻は居ぬき内閣を発足させ閣僚をほとんど再任させます。

 さて、この内閣の時に二つの不祥事が起こっています。

一つは第1次若槻内閣与党の憲政会の長老・箕浦勝人が関係していた松島遊郭移転に関する疑獄事件であり、もう一つは朝鮮人・朴烈が軽い罪状で捕らえられた後、天皇に危害を加える意図があったことを自供して重大犯罪として起訴されたが、その特別裁判中、朴烈とその妻・金子文子が獄中で抱擁している怪写真がばらまかれ、政府と治安維持当局の能力が疑われたという、朴烈事件であります。

この事件は野党政友会にとって恰好の政府攻撃の口実となり、政争は激しく内りました。濱口内相、安達逓相などは解散総選挙に訴えるべきだと、若槻首相を説き、また、元老西園寺も解散による現状打開を内閣に期待していました。だが、若槻は金がないため総選挙を実施することをためらっていました。

 その時、葉山の御用邸で病気療養中の大正天皇が崩御された。

そこで、若槻は独断で、新しい昭和時代のはじめに苛烈な政争は慎むべきだと政友会・政友本党に呼びかけました。そして両党は、若槻内閣が「深甚なる考慮をする」(議会を乗り切った後は総辞職する)ことを条件に、これを受け入れました。

 その後、政友会は再び政争の戦端を開く。ときに昭和恐慌が突発し、記者会見中の片岡蔵相が、まだ破綻していない東京・渡辺銀行が「破綻した」と口を滑らせたために、渡辺銀行以下小銀行六行が破綻に追い込まれました。別名失言恐慌とも呼ばれている事件です。この恐慌は特殊銀行である台湾銀行にも及び、台湾銀行が大きな融資をしていた総合商社・鈴木商店が破産に追い込まれると、台銀も破綻寸前の運命を迎え、日銀も台銀には次々と融資の手を打ったが、ついに融資の限界に達しました。政友会はこれ幸いと政府に追及をしました。

若槻内閣は緊急勅令をもってこれを切り凌ごうとした。議会にこれを諮ろうとしたところが閉会中であり、進退窮まって枢密院の諮詢を受けたが、枢密院は政友会と通謀した伊東巳代治顧問官によって緊急勅令案を否決してしまった。……ちなみにこれと同じ内容の緊急勅令は次の田中内閣で成立しているので完全に若槻をつぶすために拒否っています。

 若槻内閣は、事ここに到って万策尽き、内閣総辞職。西園寺の奏薦、「憲政常道」によって、次は立憲政友会の田中義一内閣が登場することになります。

 この内閣でやはり押さえておくべきことは片岡直温蔵相による失言で恐慌となったことです。これは、高校日本史とりわけセンターものなので覚えておきましょう。

 今回はここまで。次の内閣は田中義一内閣ですが、その前に時代がこの内閣から昭和へとかわるため1回大正時代を振り返ってみましょう。明治の時にやりましたあれをします。なので、次回の更新はかなり時間がかかるのでご了承ください。

 ということで、ここまでとします。


 ◇参考

歴代内閣に関するデータベース『第二十六代:第一次若槻礼次郎内閣(民政党内閣)』http://www.geocities.jp/since7903/Taisyou-naikaku/26-Wakatsuki-vol1.htm 

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