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歴代内閣考察  作者: 騎士星水波
大正時代
24/58

第20代 高橋是清内閣

遅くなりました。そして、短いです。内容がない内閣ですから。

第20代 高橋是清内閣

 在任期間1921年11月13日~1922年6月12日(212日)


 国務大臣

内閣総理大臣 ⑳ 高橋是清

外務大臣   34 内田康哉(前外務大臣)再任

内務大臣  34 床次竹二郎(前内務大臣)再任

大蔵大臣  25 高橋是清(兼任)

陸軍大臣  28 山梨半造(前陸軍大臣)再任

海軍大臣  23 加藤友三郎(前海軍大臣)再任

司法大臣  28 大木遠吉(前司法大臣)再任

文部大臣  34 中橋徳五郎(前文部大臣)再任

農商務大臣  32 山本達雄(前農商務大臣)再任

逓信大臣  30 野田卯太郎(前逓信大臣)再任

鉄道大臣  ② 元田肇(前鉄道大臣)再任

内閣書記官長 22 三土忠造(前内閣書記官長)再任


 ※居ぬき内閣


 ◇参考

ウィキペディア『高橋内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%86%85%E9%96%A3

首相官邸HP『高橋内閣』http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/20.html

歴代内閣に関するデータベース『高橋内閣』http://www.geocities.jp/since7903/Taisyou-naikaku/20-Takahashi.htm


 主な出来事

1921年11月・高橋内閣発足

        ・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政に就任。

     12月・ワシントン会議で日本・米国・英国・フランスの四か国条約が調印される。日英同盟         が廃棄される。

        ・第45議会召集。

        ・林有造元逓信大臣死去。

1922年 1月・ 大隈重信元首相死去。大隈重信公国民葬(日比谷公園)

      2月・ワシントン会議: ワシントン海軍軍縮条約・九か国条約調印

        ・グリコ (菓子)発売

        ・江崎グリコ設立

        ・旬刊朝日創刊(4月2日に週刊朝日となる)

      3月・全国水平社創立、日本で初めての人権宣言である「水平社宣言」が宣言される。

      ・上野公園で平和記念東京博覧会開幕(~7月31日)

      ・マーガレット・サンガー来日

      ・日本庭球協会設立

        ・未成年者飲酒禁止法公布(施行4月1日)

      4月・サンデー毎日創刊

        ・帝国ホテル全焼。

        ・治安警察法改正公布(女子の集会参加禁止を撤廃)

        ・豊年製油設立(鈴木商店製油部が独立)

        ・日本農民組合創立(賀川豊彦ら)

      5月・刑事訴訟法(旧法)公布

      6月・武田薬品工業の子会社・和光純薬工業株式会社(当初の社名:武田化学薬品株式会社)         を設立。

        ・高橋内閣総辞職(閣内不統一)


 ◇参考

 ウィキペディア『1921年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1921%E5%B9%B4#11.E6.9C.88

 ウィキペディア『1922年』https://ja.wikipedia.org/wiki/1922%E5%B9%B4


 概要

 成立経緯

 原首相暗殺の衝撃は政友会に多大な影響を与えた。混乱する政友会領袖たちが頼ったのは元総裁にして元老・西園寺公望であった。しかし西園寺は総裁再任要請を拒否し、後継首班選定の元老会議に出席する。

 後継首班の選任に行う元老のうち、その筆頭として君臨してきた山縣有朋は死病の床にあり、准元老ともいうべき大隈重信も同様であった。かろうじて任に堪えうるのは薩派の松方正義、もと政友会総裁の西園寺公望の両者と、内大臣の職にある平田東助の三者会談となった。一時は松方は西園寺を推し、西園寺は拒否して海相加藤友三郎が擬されたが、結局政友会の長老格・高橋是清が奏薦され、政友会においても床次内相、元田鉄相、中橋文相が原の葬儀のために盛岡に出向いた隙に、総理総裁一致原則に照らし合わせて高橋総裁案を事実上決定した。西園寺はこの高橋総裁を嘉納し、それによって反対派も沈黙せざるを得なかった。

 こうして高橋内閣成立し閣僚全員が再任する。

 http://www.geocities.jp/since7903/Taisyou-naikaku/20-Takahashi.htmより


 上で書かれている居ぬき内閣とは、内閣総理大臣が変わっても組閣において前内閣の閣僚の全員、またはほぼ全員を再任した内閣のことをさす通称である。近年の例としては菅内閣が挙げられる。


 さて、高橋内閣は成立するが、原内閣末期の政友会の内の内部対立が継続した状況であった。高橋には原のように政友会をまとめるほどの政治的力がなかった。そもそも高橋よりも政友会内では床次竹次郎内務大臣の方が力が強かった。彼が高橋総裁を拒否していたため高橋は思うように政友会を動かすことがより困難になっていた。結果として、高橋内閣は212日という短命で閣内の不一致という形で総辞職に追い込まれることになる。

 以後、政友会は内部対立分裂の時代が始まる。そして、ここから三大の間は非政党内閣が続くことになる。というわけで、次回は加藤友三郎内閣について見ていきます。



 ◇参考

 ウィキペディア『居ぬき内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E6%8A%9C%E3%81%8D%E5%86%85%E9%96%A3

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