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歴代内閣考察  作者: 騎士星水波
明治時代
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初代 第一次伊藤博文内閣

 初代 第一次伊藤博文内閣

 在任期間1885年12月22日~1888年4月30日(861日)


 国務大臣

 ・内閣総理大臣 ① 伊藤博文(長州藩)

 ・外務大臣   ① 井上馨 (長州藩)

         代 伊藤博文

         ② 大隈重信(肥前藩)

 ・内務大臣   ① 山縣有朋(長州藩)

 ・大蔵大臣   ① 松方正義(薩摩藩)

 ・陸軍大臣   ① 大山巌 (薩摩藩)

 ・海軍大臣   ① 西郷従道(薩摩藩)

 ・司法大臣   ① 山田顕義(長州藩)

 ・文部大臣   ① 森有礼 (薩摩藩)

 ・農商務大臣  ① 谷干城 (土佐藩)

         代 西郷従道

         代 山縣有朋

         ② 土方久元(土佐藩)

         ③黒田清隆(薩摩藩)

 逓信大臣    ①榎本武揚(幕臣)


 そのほか

 内閣書記官長 ①田中光顕(土佐藩)


 ◇参考

 首相官邸『第1次伊藤内閣』http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/01.html

 ウィキペディア『第1次伊藤内閣』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E6%AC%A1%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%86%85%E9%96%A3

 歴代政府・内閣に関するデータベース『第一次伊藤内閣』http://www.geocities.co.jp/since7903/Meizi-naikaku/01-Itou-vil1.htm


 主な出来事(なお、年内の月日は順不同となっております)

 1885年内閣制度創設

 1886年大同団結運動始まる

      北海道庁設置

      学校令制定。帝国大学設立

      条約改正交渉の内容で谷干城農商務大臣と井上馨外務大臣が対立し谷農商務相辞任。後任に      土方久元就任(1887年) 

      静岡事件、甲府雨宮製糸工場工女スト(日本初のストライキ)

      ノルマントン号事件 

      国際赤十字条約加盟

 1887年三大事件建白運動発生(三大事件とは外交失策の回復、地租軽減、集会の自由)

      井上外務相昨年のノルマントン号事件の責任並びに条約改正交渉案の国内反対の責任を取り      辞任。

      徳富蘇峰の民友社設立。雑誌『国民之友』

      大同団結運動本格化

      所得税法公布

 1888年保安条例

      市制・町村制公布

      枢密院設置。伊藤の枢密院議長就任のために内閣総辞職


 ◇参考

 山川出版社『詳説日本史B』



 概要

 内閣制度の創設のより誕生した初代内閣。今と違ってすでにもうない省庁名があるためか聞きなれない閣僚ポストがあります。内務大臣(現在の総務大臣・国家公安委員会委員長・内閣府特命担当大臣)、大蔵大臣(現在の財務大臣)、司法大臣(現在の法務大臣)、陸軍大臣・海軍大臣(現在の防衛大臣)、文部大臣(現在の文部科学大臣)、農商務大臣(現在の農林水産大臣・経済産業大臣)、逓信大臣(現在の総務大臣)、内閣書記官長(現在の内閣官房長官)らです。その中でもまだ外務省外務大臣というポストがいまだに残っているのは何か感慨深いですよね。まあ、外務省の役割というのは戦前戦後と全く変わることもないのですから名前を変える必要性などないのですが……。

 さて、この内閣で注目しておくことが最初に入閣した初代大臣の顔ぶれです。薩摩藩出身4人、長州藩出身4人、それ以外の藩1人、旧幕臣1人とバランスに富んだ人事が行われています。それはどこの日本史の教科書や資料集にも載っているようなことなのでここでは少し違った観点から見ていきたいと思います。

 私が注目しておきたいのはそのほかの藩から採用された谷干城農商務相と旧幕臣出身の榎本武揚逓信大臣です。

 まず、谷干城たにたてきから。谷は陸軍出身であり出身藩は土佐藩です。土佐藩は幕末に坂本竜馬がいたことで討幕派の一派として名高いのですが実は明治維新の際において薩長と主導権争いをしているのです。それは徳川慶喜を完全追放するかしないかという問題です。この問題で土佐藩は徳川慶喜を中心とした列候会議を開こうと主張しましたが岩倉具視らと結んだ薩長はあくまでも天皇中心を主張し王政復古の大号令という形でこの問題に決着をつけ土佐藩は実質敗北して勢力を弱めてしまいます。その後、明治新政府は薩長政権となります。

 さて、ここで話を谷に戻したいと思います。谷は明治維新後には陸軍に所属しており内閣制度ができるまでの太政官制の下では○○卿とかの重要役職には就いておりません。ただ、軍人としては西南戦争などで活躍をしているようです。また、谷自身はこの内閣で農商務大臣を務めた後は二度と閣僚をやることなく表舞台に出てくることはありません。では、谷が入閣したのはどうしてなのでしょうか?

 ここからは、私の考えを述べていきたいと思います。

 前順の通りに土佐藩出身の人というのは勢力を弱めていました。この時期に私が思い浮かべる土佐藩出身の人というと板垣退助や後藤象二郎などです。そして、これらの人は自由民権運動で活躍しており政府と敵対関係にあります。と、いうことは谷というのは土佐藩の人材不足から大臣になったのではないのでしょうか? ただ、これだけではまだ確証が得られないのでいろいろと参考にしながらもう少し考えてみることにしました。

 谷は個人的信条で言うと明治時代に鹿鳴館外交を推進した井上馨外相に反対する国権派と言われるグル―プになります。国権派といえば日露戦争時には当時の思想界の主流であり戦争賛成派として日本史でも名高いところです。谷もその国権派に属しております。しかし、谷は日露戦争については日本の国益を守るという立場から反対派としての立ち位置を表しています。保守的な思想に立ち戦争賛成派である国権派の中でもかなり動きが違っていると思えます。

 私は谷についてネット上をいろいろと探してみましたが谷の活躍は台湾出兵や西南戦争と農商務大臣に就任するまでのことしか見つかりませんでした。農商務大臣辞任後の話というのがほとんど見つからなかったのです。このことからいかに彼の存在がこの内閣において謎であるのか表しているものと思います。ただし、私の考えですが。

 のちのち、谷についてはもっと深く調べてみたいと思います。もしかしたら、谷についてはいつか別の小説エッセイを書いてまとめるかもしれません。

 

 では、次の話に行きたいと思います。むしろこちらの方が私にとっては谷干城よりも主題であります。それは、榎本武揚逓信相です。彼の出身は何と旧幕臣です。榎本といえば新政府と旧幕府軍による戦争戊辰戦争を一番最後の五稜郭の戦いまで戦ったいわゆる旧幕府軍の総裁です。そんな彼はどうして逓信相なんかやっているのでしょうか? そもそも反逆者なのにどうして殺されていないのでしょうか?

 答えはというと殺されかけた、です。

 榎本は五稜郭の戦いのときに負けるとわかったら自分が留学中に手に入れた貴重な書物の数々(具体的には『万国海律全書』)を新政府軍の参謀であった黒田清隆に渡します。この行為のおかげで数々の貴重な書物が戦火から逃れることができます。そして、この行動が榎本自身に返ってきます。榎本のこの行動に感動を受けた黒田清隆は頭を坊主にして新政府に働きかけて榎本の助命を求めます。そうして、榎本は殺されることなく牢屋につながれ数年後には政府によって恩赦という形で復帰を果たします。榎本は恩赦後は黒田清隆の下で働くことになります。黒田清隆は北海道開発事業において力を発揮しますので榎本も北方関係で日本史において名前が出てきます。

 1875年ロシア帝国との間に樺太・千島交換条約を締結しますがその条約の特命全権大使としてサンクトペテルブルクに派遣されます。その後も旧幕臣ながら役職に任じられて内閣制度ができるとこの逓信大臣として入閣しました。ちなみに、またあとで話をしますが榎本はこの後も外務大臣や農商務大臣などの役職を歴任します。


 さて、これで私が特に主張をしたかった谷農商務相と榎本逓信相の話が終わりました。

 あと、何か言いたいことと言えばそうですね……この内閣の閣僚のうちで後に総理大臣になるのは途中入閣の黒田清隆農商務相(第2代内閣総理大臣)、山縣有朋内務相(第3・9代内閣総理大臣)、松方正義大蔵大臣(第4・6代内閣総理大臣)、大隈重信外務相(第8・17代内閣総理大臣)の4人です。

 この後、明治・大正時代と内閣総理大臣の選定において重要な役目を果たす元老という組織が非公式にできますがその元老となるのが、伊藤博文、山縣有朋、松方正義、井上馨、西郷従道、大山巌、黒田清隆の7人。そういう意味ではこの内閣はまさに明治期の代表する政治家が入閣した内閣であったと言えます。


 現在の内閣に至るまでの最初の内閣として始まった第一次伊藤内閣ですが在職日数は861日。長期政権とは言い難いです。これが、ある意味日本の内閣の悪しき伝統を生んでしまったのではないでしょうか?


 さて、今回はこの辺でお開きとします。次回は第2代内閣総理大臣黒田清隆率いる黒田清隆内閣について詳しく紹介したいと思います。

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