拓殖務大臣
明治時代が終わり区切りがいいので、ここで明治時代にしかなかった国務大臣についての説明回を設けたいと思います。
◆拓殖務大臣
拓殖務省の長。
拓殖務省は、明治時代におかれた植民地(特に台湾総督府)の監督を目的として置かれた行政機関。1896年4月2日に設置されたが、行政機関の整理によって翌年の1897年の9月2日に廃止された。わずか、1年半余りでなくなった行政機関でもある。以後、台湾総督府の監督は内務省が管轄するようになった。
ただし、のちに日本は植民地を増やしていくために内務省だけでは手が回らくなっていき、新たに拓務局が内閣直属に設置され、昭和になると拓殖務省とほぼ同じ内容を管轄する拓務省が設置される。
歴代大臣
初代 高島鞆之助 第2次伊藤内閣~第2次松方内閣 1896-1897(519日)
1年半余りの機関であったことから歴代大臣は高島ただ1人である。第2次伊藤内閣で拓殖務大臣に就任した高島は次の第2次松方内閣でも再任し、拓殖務省廃止までその職にあった。
私なりの意見として拓殖務大臣というのは、高校の授業では出てこないためとてもマイナーな大臣となります。センター試験を受験する人は無理して覚える必要はありませんね。1代で廃止された国務大臣というのは内閣ができてから基本的には戦後の内閣府特命担当大臣や担当大臣という無所任大臣ぐらいです。実際に官庁があって1年で廃止されたのは非常に珍しいです。
次回は明治時代の閣僚を総編集として見ていこうと思います。作業に手間取っているのでもう少しお待ちください。




