5 ぬるぬるな買い物/ベタベタなアウト
・・・よぉ、魚ノ目だ。
今、俺は超ローテンションで、女性用下着専門店の前にいる。
・・・さっきまでのハイテンションはどこに消えたのかって?
それはだな・・・
***
「・・・・・・ほんとにいっしょに買うんですか?」
「・・・・・・無理です」
当然、無理だ。そんな鋼のメンタルは俺にはない。
「・・・じゃあ、行っちゃっていいんですか?」
「ああ、行きな。俺のことは気にするな」
むしろ、早く行ってほしいくらいだ。俺は一刻も早くこの場を立ち去りたい。この気まずさったらないぞ。店を利用する女性たちの目線が痛い。
「・・・わかりました。じゃあ、すぐに買い終わらせますから、そこで待っててくださいね」
「おお、わかった。行ってこいよ・・・」
すぐに帰って来るのかありがたい。それまで待てば、ん?
「・・・ちょ、え? 待つって、どういう・・・」
そう言って呼びかけたが、肝心の彼女はもう店に入ったあとだった。
・・・・・・マジですか。
***
回想終了。こんな具合だ。
・・・どうしよう、つらすぎるぞ。なんだこの苦行は。
というか、なんで入り口に入ってすぐこの店なんだ?
いや、確かにこのショッピングモールには入り口が主にふたつある。でかい入り口とそうでもない大きさの入り口だ。俺たちが入ったのは、駅に面したでかい入り口ではなく、山側に面したもうひとつの入り口だよ。
でも、いきなりこれはないだろ。こっち側の入り口に対して、力入れてなさ過ぎだろ。全然町に優しくないぞ。駅から来る人にシフトしちゃってるじゃん。
・・・はぁ、そんなこと言ってもしょうがないか。この町に住む以上、ここはこれから先もお世話になるだろうし。
ここならば、これも使えそうだし。まぁ、あんまり使いたくないのだが。
そう思った俺はそれを取り出し、あることに気付く。
あれ? もしかして、これがないとちょっとまずくないか?
そういう風に考えた俺は、その店に目を向け、そして驚く。いや、正確には店を見て驚いたんじゃない。見たのは鏡だ。俺は鏡に写っているものを見て驚いのだ。そこにいる、こっちを見つめているものを見てだ。
なぜこんなところに、と。
いや、ここにいることそのものは全くおかしくない。なぜならば、その人は、彼女は、女の子だからだ。彼女がここに来ることは、むしろ当然なくらいだ。
なので、俺は驚いたが、同時にまずいと思った。俺がこの場に居ることそのものがまずいのだ。
そして、もうひとつ。今、あることを忘れた彼女こと池井が、戻ってくる可能性があるのだ。それこそ言い逃れできない。
・・・いや、なにを言い訳してるのかって? 俺だって別に誰かと付き合ってるわけじゃないから、クラスの女子に見られるくらいならいい。・・・まあ、本音を言えばあんまり良くはないけど。しかし、彼女はまずい。あの子に知られるのは絶対にまずい。確かに、彼女に俺がランジェリーショップ前で店内をガン見していることを見られるのもまずいが、もっとまずいのは池井のことだ。たぶん、そのことを彼女が知れば、必ず首を突っ込んでくる。
彼女はそういう子だ。困った人を見捨てることが出来ない。あまりにもお人好し。そしていつも損をする。
我がクラスの委員長、珠串 琴子はそういう人間だ。
彼女だけは巻き込めない。絶対に、何があってもだ。しかし、彼女、つまり珠串さんは、こっちを見ている。柱の陰からこっそりのつもりらしいが、丸見えだ。あと、こっちが気付いていることにも気付いてない。・・・珠串さん、結構おっちょこちょいなんだよなぁ。まあ、今回はそのおかげでちょっと助かったけど。今のうちに、この状況をなんとかする方法を考えるしかない。
だが、俺は迂闊だった。彼女に気を取られていてちゃんと周囲を見ていなかった。目の前のことに気が付かなかった。
もうひとりの接近に。
「お兄さ〜ん。ちょっといいですかぁ〜?」
「え?」
いつの間にか、目の前にひとりの小さい女の子がいた。金髪のツインテールの子だ。かわいらしい顔をしてる。
「あ〜でも〜、あなたそのものに用はないんですよ〜。わたしが用があるのは〜お兄さんがよく知ってるあの子。いま買い物を楽しんでいるあの子ですよ〜」
「それって! まさか・・・」
「だから〜、お兄さんには悪いけど〜、ちょっとだけ〜借りますよ〜」
「借りるって、いったいなにを・・・」
「大丈夫ですよ〜。すぐに終わりますからねぇ」
そう言って、ニタっと笑った彼女の瞳が真っ赤に輝き・・・
***
俺は今、小学生くらいの女の子と一緒に、トイレの個室に隠れている。女の子は何か言いたいようだが、声を出されると困るので、手で口を塞いでいる。
・・・よし、誰もいなくなったな。俺は小声で言う。
「・・・離してやるけどあんまりでかい声出すなよ」
そう言って、手を離すと、
「ぎゃーー!」
「! バカ! でかい声出すなって!」
俺は大急ぎで再び口を塞ぐ。
「ん〜ん〜」
「頼むから静かにしてくれよ。なぁ」
「できるか!」
彼女は俺の手を払い除けて言った。
「おいおい、そんなにでかい声出さなくたって聞こえるよ。落ち着けって」
「あんたに言ってないわ!」
「中二病は早すぎるだろ」
「もうひとりの自分でもねーよ!」
「とりあえず落ち着けって。ほら、飴やるから」
俺はポケットに入ってた飴を渡す。
「わーい。って、なるか! わたしを舐めてんのか!」
「飴だけにか?」
「違うわ!」
「でも、さすがに安直すぎないか? もうちょい捻っても・・・」
「違うって言ってんだろうが!」
「ほら、そんなに叫ぶなよ。そろそろ男子トイレに入って大丈夫な年齢は過ぎただろ。痴女だと思われるぞ」
「女の子をトイレに連れ込む変態が言ってんじゃねーよ!」
「全く問題はないし、俺は変態でもない。安心しろ」
「できるか! あと問題は普通にあるだろ!」
「おまえは小学生。俺はロリコンじゃない。ほら、なんの問題もないだろ。って、小学生にロリコンと言ってもわからんか・・・」
「それくらいわかるわ! バカにすんな!」
「おお、よく知ってんなぁ。えらいえらい」
俺は頭を撫でてやる。
「撫でんな!」
手を払い除けられた。
「かわいくないやつだなぁ」
「こんなことするやつにかわいくする意味がわかんねーよ!」
「顔は普通にかわいいのに」
「誰がかわいっ、・・・おっ、おい!急に変なこと言うんじゃねえ!」
キレられた。褒めたのに。
「いや、別に変なことじゃなくて・・・」
「やめろって! やーめーろー!」
ポカポカ胸を殴ってくる。くすぐったい。
「うぅ〜」
攻撃が効かないとわかると、赤い顔のまま黙ってしまった。目頭も赤くなってる。ちょっといじめ過ぎたか。
「ははは、悪かったって。泣くなよ」
「泣くか!」
いや、泣いてるだろ。
「子どもだからな。別に泣いたっていいんだぜ」
「だから泣いてねえって言ってんだろ! あと子どもじゃねえ!」
「いや、子どもだろ。大人ぶるのはいいがまだまだ小学生は子どもだぜ」
「誰が小学生だ! わたしは16歳だ!」
「はいはい、16歳ね16歳。わかった、わかっ・・・た・・・、え?」
なんだって?
「16歳! ほんとか!」
「ほんとだよ! 最初っから最後まで16歳だよ!」
「マジか・・・同い年だったとは・・・」
「あんたが勝手に勘違いしたんだろ・・・」
だって、その見た目じゃなあ。そう思って、彼女を見る。
髪は綺麗な金髪。その髪は、勝ち気なイメージを湧き上がらせるツインテールで纏められている。身長こそ小学生並だが、足は長く、顔は小さい。まるでモデルのような体型、いやプロポーションというべきだろう。そして身体の中心を見つめる。
・・・なにもなし。異常なし。依然問題なし。うん、ここだ。俺の認識ミスに何か原因があるとすればだ、ここに違いない。
「・・・おい。いま、めちゃくちゃ失礼なこと考えてるだろ」
そう言って彼女は俺の顔を見上げてくる。大きなふたつの瞳で。
ふと、俺はあることを思い出す。
「なあ、ちょっといいか?」
そう言って、俺は彼女の前髪を掻き上げ、顔を近づける。
「ん? なんだ? って、おい!」
「騒ぐなよ」
「ななな、なにしやがる!」
「いや、別に」
「別にで済まされることじゃねーぞ!」
「いいだろ。減るもんじゃないし」
「そそそ、そうだけどよぉ。わたし、まだそういうのは」
「大丈夫だよ。痛いわけでもないし。すぐに済む・・・」
そう言って、さらに顔を近づける。
「やめ、ん〜ん〜」
「変だなぁ?」
俺は顔をあげた。なんだか彼女が目をつぶって悶えたあと、面食らったような顔になった。
「どうした?」
返事がない。なんか放心状態のようだ。放っておこう。
しかし、いちおう確認してみたが、やっぱり黒だった。黒い瞳だった。
「さっきの赤いのは何だったんだろう?」
俺は横で放心状態にある彼女を見る。
・・・・・・直接聞いてしまえ
「おい、おまえ」
俺は彼女の顔をペチペチ叩きながら言う。
「はっ!・・・えっ? なに? わたし?」
「そう。おまえ」
「お ま え・・・・・・。ちょっと! ままま、まだ早すぎるだろ! わたしら、まだ高校生なんだぞ!」
「いや、知ってるけど。急にどうした。とりあえず、早く落ち着けよ」
「あああ、あんたが変なこと言うからだろ!」
「いや、別に俺はなにも。おまえが勝手に・・・」
「それだ、それ!」
「え? ああ、呼び方が気にいらなかったのか。なんて呼べばいいんだ? まだ、ふたりとも名乗ってなかったしな。俺は魚ノ目 孝助、よろしく。呼び方は・・・適当でいいぞ」
「ふーん。変な名前だな」
「わかってはいるが、誰かに言われると腹立つな」
「孝助」
「え?」
「聞こえなかったのかよ、このボンクラ。孝助って言ったんだよ」
「誰がボンクラじゃ、・・・え? なんで名前?」
「かわいそうな名字をしてるし、名前で呼んでやるよ」
「そーかい。・・・ま、気遣いはありがとな」
「!! ・・・そうだ。感謝しろっての」
彼女はそっぽを向いてしまった。
「へいへい」
・・・お兄ちゃんでもよかったかなぁ。
「またなんかバカなこと考えてるだろ」
「なぜばれた」
「アホな顔してたぞ」
「バカな、俺はいつだってドヤ顔を崩さないぞ」
「ただのウザい奴じゃないか・・・」
ドヤァ
「・・・うわぁ。予想の倍はウザい」
「褒めるなよ、照れるだろ」
「キレるぞ、いい加減な」
「はっ、キレられたところでまったく怖くないね!」
俺は軽く笑い飛ばして言う。
「わたしが本気で怒ったら孝助、あんたを恐怖で絶望させてやるよ」
「ほう、それで?」
どうしてくれるのかな?
「そして、あんたを紙の中に永遠に・・・」
「アウトーーーーーー!」
最も震え上がる方法だった。
「おまえもかブルータス!」
「誰がブルータスだ!どっちかと言うならエn・・・」
「やめろー! 紙はおろか、データすらも許されなくなってしまうわい!」
「ちゃんと呼べよ! わたしは呼んでるだろ!」
「いや、俺まだおまえの名前知らん」
「おまえをやめ・・・え?」
止まった。ぴたりと止まった。
「あれ? まだ言ってなかったけ?」
「そうだ」
「自己紹介は終わってなかったけ?」
「俺しかやってない」
いまや恒例の話の脱線のせいだ。自己紹介すらままならないのか。
「・・・えーと。うーん」
「・・・何か言うことは」
彼女は気まずそうな顔で、
「・・・・・・ごめんなさい」
謝った。
「兄ちゃんは心が広いから許してあげます」
「誰が兄ちゃんだ。タメだろうに」
「いや、つい」
見た目とファーストインプレッションがあれじゃあな。
「ついって孝助、あんたなぁ・・・あっ!」
ギク!まず・・・
「ふーん、なるほどなぁ。確かにロリコンじゃあなかったなぁ」
彼女はジト目で言ってくる。
「そうだよな〜。あんたは健全な高校生だもんな〜」
「おっ、おお。もちろんだとも!」
「じゃあ大丈夫だな。お兄ちゃん♪」
「!!」
「あれ〜? どうしたんだ〜? お兄ちゃん?」
「!!! ・・・おまえなぁ〜」
「ぷっ! あっははは! 孝助、あんたほんと面白いわ!」
「そりゃ光栄だよ・・・」
くそ、こいつめ・・・
「これじゃ『振り出しに逸れる』だよ、まったく」
「なんだそれ?」
「教科名だよ」
「?」
「それより振り出しはもういい。ゴールにしよう。いい加減名前を教えてくれ」
というか国籍は何処なんだろう? 金髪だけど、日本語ペラペラだし。
「はいはい。やっとだな」
彼女はそう言うとこちらに向き直って、
「わたしの名前は東郷 莉沙だ。あんまり名字は好きじゃないからな、リサって呼べよ」
日本人だった。マジか。
「わかったよ、リサ。これでいいんだな」
でも結局外国人ぽい呼び方になった。
「それでいいんだよ。おにーちゃん♪」
「まじでやめてくれ・・・」
また振り出し、と言いかけて俺は思い出す。
そもそもなんで自己紹介になったかを。
それは・・・
「おい、リサ!」
「ん? なんだ?」
目のこと、と言いかけて再び俺は思い出す。さらに前、もっと根本的なこと。いや、最初からそうだった。ちょっとした認識違いで、勘違いで、思い込みで。今までは、大丈夫だと思っていた。しかし、状況は変わった。綿密には、真実を知ったというのが正しい。
目の前の女の子いや、少女。リサに対する真実。俺の思い込み。つまり、実年齢。
リサは16歳だ。この事実が俺に教えてくれることは、たったひとつ。
「犯罪じゃねぇかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「いまさらかよ!」
16歳の少女を男子トイレに誘拐したという、犯罪臭どころかもろアウトの現実である。
ここで一句。
叫んでも どうにもならぬ こともある
それでも叫ぶのが魚ノ目君。