4 ぬるぬるな朝/ベタベタな反応
「起きて! 起きて!」
体が揺さぶられる。騒々しいなぁ、誰だ? 俺はひとり暮らしのはずだが。
そう思って薄っすら目を開けると、どうやら制服を着た女の子が俺を起こしてるらしい。
そして俺が寝てる場所はソファーだ。うーん、寝起きだからか頭がぼんやりして、イマイチ状況が飲み込めないなぁ。
「ちょっと! ほんと起きてください。何時だと思ってるんですか!」
彼女は俺を起こそうと必死だ。必死すぎて、徐々に溶け始めている。
ん? 溶ける? ・・・・・・あぁ、なんだか思い出してきたぞ。
そうだ、この子は池井 流美。信じられないことにスライムだ。そして、俺はこの子とひょんなことから同居することになったんだ。
「魚ノ目君! なに回想に入っているんですか! まだ早過ぎますよ!」
「まぁ、まてまて。もう少しで全部思い出せそうなんだから。ふぁ〜あ〜」
俺は寝転んだまま、あくびをしながら適当に言った。
「なんでそんなのんきなんですか! というか、記憶喪失ネタはやる訳にはいかないとか言ってたじゃないですか! なんでいまさらやり始めるんですか!」
「そんなのフリに決まっているだろ。あと、さらりと地の文を読むな」
「とにかく! 早く起きて学校行きますよ、いま何時だと思ってるんですか!」
「えっ、俺ら寝坊してるの? まじで?」
「マジもマジの大マジですよ! ほら、時計見てください!」
彼女が机に置いてあった時計を俺の顔に突き付ける。どれどれ・・・
「なるほど、9時15分と、」
「ちょっと! なんで時間見ても落ち着いてるんですか! 9時過ぎてるんですよ!」
「いや、まぁそうなんだが」
「それとも、学校の始業時間も忘れちゃったんですか」
「忘れるか!」
「じゃあ、急ぎますよ! ほら早く早く」
「いってらっしゃい。俺はもうちょい寝るわ」
俺はゴロンと転がって、彼女に背を向ける。
「待ってください! なんでいまの流れでそうなるんですか! そこは『わかった』って言って、起き上がるとこでしょう!」
「そういや、なんで俺ソファーで寝てるんだっけ?」
「話を振り出しに逸らさないでください!」
「振り出しに逸らすって、なんだよそれ」
「ニューワードです」
「それでひと単語なのか!」
「テストに出ます」
「いや、どの教科で出すつもりなんだよ」
「『話を振り出しに逸らす』です」
「教科名だった!」
意外すぎるだろ。てか、ニューワードどこいった。
「・・・って、こんなこと言ってる場合じゃないじゃないですか」
「いまのセリフ、すごく言いにくくないか?」
よく噛まなかったな。なかなかすごいことだ。
「それをいうならですよ、『言いにくく』も言いにくくないですか?」
「あっ、確かに。いくつも同じ音が続くからな」
まさか、言いにくくそのものが言いにくいとは。盲点だぜ。
「・・・って、違〜う! 何回脱線するんですか! 早く起きてください!」
「わかった、わかった。話を戻すよ」
「やっとですか」
彼女は若干げんなりした顔をしている。
「あぁ、しっかり戻すぞ。俺がなぜソファーで寝てたかって話だよな」
「そっちじゃありません!」
「簡単な話だ。昨日、あんなことがあってなんだかんだいっても疲れてたから、早く寝ようという流れになり、よく考えたら布団とか出さないといけないよな、ってことに気づいたまではよかったが、肝心の布団どこにしまったっけという問題が浮上し、しょうがないから今日は俺の布団使えよということになって、俺はまだやることがあったからここに居て、そのままソファーで寝たわけだ」
「ご丁寧な説明ありがとうございますぅ! だけど、いまはそれどころじゃないんですよ!」
「まぁそう褒めるなよ」
「いまのどこをどう解釈したらそうなるんですか!」
皮肉ってたようだ。まっ、知ってたけど。
「もう、行きますよ!」
彼女が実力行使に出てきて、俺の腕を引っ張って無理矢理起こそうとし始めた。
「いや、待てって。そう焦んなって。そこまでしなくても起きるからさ」
「いいや、魚ノ目君はこうでもしなきゃ起きません。分かりますよ!」
「いやいや、過去の事例を知っているわけじゃあるまいし」
「ふっふっふ。私に隠し事はできませんよ。いまこそ洗いざらい、全て暴いてあげます!」
なにぃ! まさか、いったいどうやって・・・
「あなたを本に・・・」
「こらーーー!!」
やっぱり最悪の方法だった。
「いま、原稿を書き上げますから待っていてください」
「こっちが最後まで書き上げるのが不可能になるわ!」
それにあんなに速く書ける人はそうはいない。
「じゃあ、とりあえず起きてください!」
「強引だな。どんな『じゃあ』の使い方だよ」
「いーから、速く」
ますます彼女は俺の腕を引っ張る。
「まて、危ないって・・・」
ドサッ!
・・・・・・なんの音かって?
そんなの俺が彼女を押し倒すように床に落ちた音に決まってらぁ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
やばい、どうしよう。ふざけてる場合じゃないぞ。
近い、とにかく顔が近い。それに、なんかもう、あれだ、すごい女の子ってかんじの香りもする。なんでだ、なんで女の子ってこんなにいい匂いがするんだ。
少し下では女の子特有のふたつのあれもすぐそこに来てる。てか、ちょっと当たってる。柔らかい感触が伝わっちゃってる。
というか全体的に柔らかい。なんか、もう頭がくらくらして、おかしな気分になってきた。
いや、ここで気張れよ俺。あの事実を伝えなないと、本当に話が永遠に先に進まんぞ。
行け! がんばれ俺! 負けるな俺!
「えっ、えぇとですね、いっ池井さん。」
声がおかしい。うまく喋れない
「はっ、ははい! ななななんでしよーか、うぅぅおノ目くっ君」
あっ、こっちもだ。なんて考えている余裕は今の俺にはない。
「とっ、とりあえずだ、とりあえずですよ。だっ大丈夫?」
「ううう、うん! だだだ、ダイジョーブ!」
「よっ、よし。今どくからな」
俺はこの体勢から脱出すべく、体を起こし・・・・・・
・・・手を滑らせた。
「うわっ!」
「えっ? えぇぇぇ!」
つまり彼女にダイブするかたちになった。
まずい、このままじゃ彼女が怪我を。クソッ、間に合わ・・・
ベチャッ
「えっ?」
結論から言うと2人とも無事だった。
俺は、極度のテンパりのせいで、溶けてしまった彼女の上に落ちたからである。
俺は息を吐き出して、
「良かった。助かったぁ〜」
なんとも情け無い声を出した。
一方、下で溶けてる彼女は、
「良くないよ〜。はっ、恥ずかしいから早く退いて」
おそらく赤面してそう言った。
・・・さすがにスライムの顔色まではわからないよな。
「あっ、ああ悪い」
俺は退いてから気付く。彼女がなぜ赤面していたのかを。俺は溶けた彼女の中にいた。彼女が溶けてるとき、服はそのままだ。つまりだ、俺は・・・・・・
「ごっ、ごめんなさーーーーーーーい!!!!!」
俺はすぐさま床に頭を押し付け土下座の体勢をとった。
「わっ、ちょっと、やめて、顔あげて」
「いいやだめだ。俺は汚れを知らないいたいけな少女の素肌を・・・」
「きゃー! ちょっと、ほんとやめてっててば! そんなに詳細に描写しないでぇぇぇ!」
「よし! とっ、とりあえずだ、話に決着つけちゃおう。なっ!」
「そうだね、って学校! どうしよう、転校してきてすぐにこんな大遅刻なんてしたら・・・」
「いやぁ。俺は大丈夫だと思うぞ」
「大丈夫じゃないよ・・・」
「あぁもう! 沈むなよ! とにかく、こっち見ろこっち!」
「えっ?」
おれはある方向を指差す。
「壁? えっ、あっ、まさか・・・」
「今日は土曜日だ!」
壁に掛けられたカレンダーは、バッチリ今日が休日であることを示していた。
***
「信じられない。信じられない。信じられない。信じられない。信じられない。信じられない・・・・・・」
「もうやめとけよ。普通に怖いぞ」
「だってだってだってだってだってだってだってだってだってだってだって・・・・・・」
「勘違いくらい、誰にでもあるって。気にするなよ」
「でもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでも・・・・・・・・・・・・」
「ほら、もうすぐ着くぞ。だから、一度落ち着けって」
「けどぉ・・・・・・」
「せっかくの買い物だからな。楽しもうぜ」
そう、今俺たちはこの街で一番でかいショッピングモールに向かっている。彼女の服を買うためだ。彼女は驚くことに学校の制服しか持っていないので、この休日を利用してその他日用品をまとめて買おうというわけだ。
ちなみに、俺がこのことを思いついたのは昨日の夜だ。まぁ、それを準備していて寝坊して、あんな騒動になったわけだが。
・・・で、そのせいで肝心の彼女がこんな状態である。
「・・・まさかあんなこと間違えるなんて」
うん、俺だって最初はジョークだと思ってた。
「いやっ、たまにはあるって。ミスしないやつなんていないから。元気だしなよ」
「平日と休日を間違えることをだよ」
「あるある。以外とあるって」
あそこまで気が付かないのもすごいけど。
「無理矢理起こしたりして、怒ってない?」
「怒るわけないだろ。大丈夫だ。それより、ほら着いたぞ」
「ほんとだ〜。大きいね〜」
彼女は見上げて言う。
・・・なんか様子が変だぞ。
「どうした?なんか変・・・」
「いやっ、ななななんでもないんだよ、ですよ!」
「なんか語尾がおかしいぞ? 大丈夫か?」
「だだだ大丈夫、大丈夫。ほら、早く行きますよ」
「おお、そうか。行こう行こう」
なんだったんだろう。まあ、さっきよりはいいか。・・・心なしか目が輝いてたような気がするが。
「あっそうだ」
彼女が振り返る。
「ん? なに?」
「えっとねぇ」
なんだなんだ?
「ありがとう」
彼女はいきなり満面の笑顔で言ってきた。
「!?」
俺は面食らって固まってしまう。
反則だろ、その顔は。
「なっ、なにがでしょうか?」
「えーと、一言では言えなんですけど色々ですかね?」
「なんだそりゃ」
全然わからんぞ、それじゃ。
「でも一番は、いま頑張って慰めようとしてたことですね」
「それくらいお安い御用さ。いつだってやってやるよ」
・・・その顔が見れるなら、安過ぎだぜ。
「ふふっ。安心しました。じゃあ、またきっと、お願いしますね」
そう言うと彼女は前を向いて、
「行きますよ〜」
「あっ、おい。ちょっと待てって。コケるぞ」
「大丈夫ですよ! いくつだと思ってるんですか」
いや、そのセリフはヤバイって・・・
ドテッ
「痛い・・・」
・・・やっぱりこうなるか。あと、
「縞か」
「へっ? あっ、まさか・・・」
ごめんなさい。だってスカートで転ぶから。
「魚ノ目君」
おお、ジト目だ
「はい、わかってます」
次の展開はわかってるぜ。
「さあ、こい!」
「・・・はぁ。いいですよ、別に」
・・・えっ、まじ。
「・・・いいんでしょうか」
「うん、勝手に私がコケたわけだし」
「・・・許してもらえるのでしょうか」
「謝ったらね」
それならいくらでも謝りますとも。
「じゃあ、ええと、」
なんか変な状況だから歯切れが悪くなるなぁ。
「ごめんなさい」
「うん、いいよ」
「縞パン見ちゃってごめんなさい」
「魚ノ目く〜ん?」
「ほんとすいません」
ふざけました。チョーシ乗りました。
「しょうがないですね。魚ノ目君はほんと」
彼女はそう言って、前を向くと、
「今度こそ行きますよ! さあ!」
と言って俺の手を引っ張って進み始めた。
「えっ。あっ。ちょっと、ちょっと・・・」
手が、と言おうとして彼女の顔を見たら・・・
「早く! 早く! もうコケませんよ!」
・・・なるほどね、あの変な態度はそういうことか、
「わかった。わかったから」
こんなことくらいで大はしゃぎとは、子どもっぽいところもあるじゃないですか。でも・・・
「よーし! 買うぞー!」
「わかってきたじゃないですか、魚ノ目君!」
この顔が見れるならしばらく黙っとこ。
「まずは一番近いところからだ!」
「おおー!」
「いっしょに買うぞ!」
「いえーい!」
そう言ってショッピングモールに入った俺たちを真っ先に出迎えたのは・・・
「・・・・・・ほんとにいっしょに買うんですか?」
「・・・・・・無理です」
そこはランジェリーショップ、つまり女性用下着の店だった。
***
彼らが店の前で立ち尽くしているとき、彼らを見つめる目があった。それもふたり分である。
ひとつは彼女を、もうひとつは彼を。
しかし、その目たちが思うことは同じであった。
「「見つけた」」
そして、それぞれの思わくのもと、その目たちは彼らに少しずつ、少しずつ、忍び寄って行く。
当の彼らには全く気付かれないうちに。