思いがけない人と
16
淡い色合いの髪と瞳、表情のない整った顔。
綺麗だけれど、血の気のない人形のようだと思った。
彼女は、亡くなった姉と似ているのだろうか。
第二王女エレインは。
隣に立つのは第一王子、セシルド。
精悍な顔立ちをした彼の瞳は若草色で、髪は暗褐色。王女であるエレインとはあまり似ていない。
彼らが入って来たのとは別の扉からアクアジェヘルの王族が姿を現す。
第一王子が不機嫌そうに一瞬、煉夜を見たのがわかった。
直ぐに視線は逸らされたけれど。
それ以上に目を引いたのは第二王女エレインだ。
ただ真直ぐに煉夜を見つめる。
静かに。
煉夜が彼女の視線に気づいて、二人の眼が合う。
短いようで長い一瞬。
先に視線を逸らしたのは煉夜。
その横顔からは彼が何を感じているのかわからない。
反対にエレインからは、抑えきれぬ感情が溢れるように感じられた。
暗い瞳、負の感情に囚われた強い視線。
殺意と言って良いだろうか。
愁の胸に不安がよぎる。
あまりにも彼女が煉夜に向ける感情は危うい気がした。
「夜」
思わず呼び掛ける。
「あぁ、わかっている。主には二重に守護の結界をかけてある。守護獣も常に傍に居て、油断せぬよういってある」
落ち着いた声。
それに、僅かに安堵する。
「しかし、恨みとは恐ろしいものだな」
溜息混じりの声で夜が言った。
「ルッセンバルクは、やっぱり良い感情は持っていないんだな」
夜の言葉が何を示しているのか、愁にはわかった。
「あぁ」
やるせなさそうに、ひどく人間くさく夜が頷く。
「スーリ王女自身が招いた罪と、誰もがわかってはいる。だから、大国であるルッセンバルクが王女の身柄を預けもしたし、謝罪すら向こうからあった。けれど、理性でわかっていても感情は別なのだろう」
「…………」
「特に第二王女とスーリ王女は同じ母上を持つ姉妹だったというからな」
「………」
「何と言われても、恨む気持ちはかわらんだろう」
「驚いたな」
声に振り返る。
「…………」
ルッセンバルクの第二王子の姿を認め、頭を下げる。
「この国に、妹の墓を参る人間が居たなんて、驚いた」
皮肉でもないようで、ただ思ったことを口にしたように感じた。
「…………」
愁には、彼の言葉にどう答えれば良いかわからない。
彼の言葉が事実なのか判断のしようがない。
「私はセシルド・フッアー・ルッセンバルク、知っているかもしれないが、ルッセンバルクから来た使節の一人だ。そして、この墓に入っている愚かな女の兄だ。君は?」
意外なほど、穏やかな声で彼が問いかけた。
煉夜を睨む鋭い視線や、余分な肉を削げ落したような鋭角的な頬のライン、軍人めいた威圧的で固い雰囲気から、想像した人格とは結びつかない。
「愁・ラシア・フィアールです。フィアール元宰相の遠縁にあたります」
名乗りの途中、訝しげにした彼に、先回りして捕捉する。
「フィアール元宰相の?だとしたら、ますます解せないな。」
彼が何でもないように、そう断じる。
「…………」
返す言葉を求められているように思えず、愁はただ青く楚々と咲く花と白い小花で出来た花束を墓前に供える。
その姿を、セシルドは黙って見ていた。
そうして、迷う様にしながら口を開いた。
「……妹が何を犯したか知っているだろう?」
確認するような声音。
「はい」
「フィアール宰相に近しいものなら、第二王子とも話したことはあるはずだ」
表情を観察されるようにしながら、言われる。
「友人だと、思っています」
セシルドが目を見開く。
ハッキリと友人と言いきったのに驚いたのだろう。
「――だったら、尚更だ。アイツにとっては仇のようなものだろうに、どうして此処に?」
わからないと言う風な声と表情で言われる。
愁は、確かにおかしなことかもしれないと思った。
ルッセンバルクが喪った王女のことを嘆き、どうあっても原因となったアクアジェヘルに複雑な感情を拭えないのは確かだろう。
けれども、事実ははっきりしていて、誰がどうみたとしても責められるべきはスーリ王女の凶行でしかない。
仮に、もし、そうであったなら。
そう、恨みながらも、ルッセンバルクの王族たちはひっそりと建つ墓に人気がないのを、どこかで納得している。
感情と理性は別だけれど、事実を感情によって歪めるのにも限界はある。
だから、彼も聞くのだろう。何より、この人はかなり聡明なのだと思う。
妹の罪を認めながら、それでも彼女を大切に思って、その死を嘆いている。
「私は、あの時に亡くなった二人とは面識がありません。国内にも居なかった。だから何が起こったのかも、人から聞いただけです」
当事者と言って良い人だけれど。
「…………」
静かに話を聞く彼に、続ける。
「だから、彼女の墓前に今日来ても、偲ぶことは出来ません。ただ、彼女の死を不幸に思うし、痛ましく感じる」
許されない罪を犯した。
それでも、彼女の話を聞いて思ったのは、憤りとか理不尽さではなくて。
やるせなさだ。
何処で彼女は間違えてしまったのだろう。
「それは――」
困惑した表情。
「此の事を知ったら、不満に思う人も居るでしょう。それでも、私は彼女の死を残念に思います」
非難されてもしかたない。
命を奪われた人が居るのだから。
たくさんの人が傷ついたはずだ。
「あいつの気持ちは良いのか」
「―――」
煉夜もたくさん傷ついた。大切な人を喪って、今でも苦しんでいる。
彼を思うなら、此処に来るべきではないのかもしれない。
「よくありません。でも、嘘をついて傍に居ても、いつか歪んでしまう」
愁は、あるがままの自分で、それでも友人として煉夜の傍に居たいと思う。
スーリ王女のしたことを許すことは出来ない。
でも、彼女が死んで当然などとは思えない。
そう感じる自分を隠さず、煉夜の傍に居て良いはずだ。
煉夜もそう望むと信じている。
「…………」
彼はじっと見極めるように愁を見ていた。
やがて、溜息をもらす。
そうして笑いかけてきた表情は穏やかだ。
「俺はあいつのことは嫌いだ」
ごく自然に、何の緊張もなく言う。
「…………」
愁もそれを黙って受け止めた。
「高名な魔術師の一人で、次期王である第一王子を支える政治能力も優れている。それでいて何にも興味などないっていう顔をしている。誰もが欲しいと思うモノを持っているのにだ」
淡々と確信した声で言う。
「よく見ていますね」
やはり頭が良い。
彼が言ったことは事実だろう。
煉夜にはそういう所がある。
彼が唇の端を釣り上げ、嫣然と皮肉っぽく笑う。
「騙されている奴も多いけれど、満ち足りてない、幸せだなんて感じていない顔だろう。それなのに満足している風な顔して、何もしない。しようとしない。俺はそういう奴は大嫌いだ」
辛辣な言葉。
愁はそれを不快には思わなかった。
この真直ぐな人柄の人がそう思うのも仕方ない。
「けれど、それと妹がしたことは別だ。妹は許されないことをした。恨まれても仕方のないことをな。」
口調を変え、真剣な声で彼が言う。
「…………」
黙って、続きを待つ。
「許されるとは思っていない。逃げたあいつの代わりに俺たちは、一生このことを背負って行くだろう」
凛とした声。
強い人だ。とても。
「…………貴方が全てを負う必要はないですよ」
聞かないとわかっていたけれど、あえて、そう言った。
彼はやはり笑っただけだ。
「貴方のような人があいつの傍に居て良かったと思う。気に食わないが、あいつは良い友人を持っている」
柔らかい口調。
「…………」
「貴方に会えて良かった、愁殿」
背を向けて歩き出す人を黙って、見送る。
この世界で出会った人は多い。
老若男女、立場も考え方もそれぞれ違う。
でも、王族という立場にある人は、どの人も潔くて、毅然としている。
不思議なほど強くて、温かい。
それでも、皆それぞれに痛みがあって、後悔や弱さ、譲れない感情もある。
愁にはどうすることもできない。ただ、傍に居て願うだけだ。