語られる過去
13
「何か僕に用かな」
優雅に微笑んで問うた人に答える。
「はい、聞きたいことがあって」
訪ねたのは、この国の王位継承権第一位である人。
煉夜の兄だ。
お茶を淹れた侍女が退室して、壁側に控えた騎士はいるけれど、実質二人で向かい合う。
友人より余程、王族の青年らしい人だ。
指先や立ち姿まで優雅で、浮かべられた笑みは穏やかで、通りの良い声は静かな威厳がある。話せば気さくで楽しい人だけれど、冷たいとも言える優れた政治感覚の持ち主なのだろう。たぶん彼は、自分にとって大切なものを理解して、必要であればそれ以外を切り捨てることも、一番を選ぶことも出来る。
それが悪いことだとは思わない。
ただ、煉夜はこの人のように強くはないのだろうと思う。
愁にとって、煉夜は身分がどうであっても友人だけれど、その兄である人は隔たりを感じさせた。
だから、こんな風にこの人と向かい合って、二人きりで話をするなんて想像もしなかった。
「聞きたい事とは何だろうか」
気負いなく白夜が口を開いた。
「…………クラウスさんに言われたんです。煉夜との関係は実際のところどうなのかと」
「そう。彼も僕らと同じように考えたのだろうね」
驚くでもなく彼は答える。
「私と煉夜は友人ですよ」
否定する必要はないだろうけれど、そう言うと笑われた。
「うん、煉夜にもそう言われた。ただ、それでも事実であれば良いと願ってしまったんだよ」
彼らしくない淡い笑みと、つぶやき。
「―――それだと都合が悪くはありませんか」
優しい笑みで、言う人にあえて聞いた。
「政治的判断でいえば確かにそうだね。」
彼はあっさりと認めた。
「だったら、どうしてですか」
更に問う。
「多少の不利益があっても、煉夜が望むなら許してあげたかったんだ」
やはりと思う。
「陛下も同じようにお考えですか……?」
確信を持って問う。
「そうだね」
二人が王族としての政治的判断より、兄として、親として煉夜の幸せを望んでいたから、彼を擁護する者は愁に過剰に反応した。
「…………」
「おかしなことを言っている自覚はあるんだよ。国のためにいろいろなものを切り捨ててきたし、煉夜が王族である限り、僕等は彼にもそれを強いるから。だから、これは負い目なんだろうね」
自分の考えをまとめるように、白夜が話す。
溜息混じりに言って、愁に笑いかける。
自嘲するような、この人らしくない表情だ。
「………それは煉夜が喪ってしまった人のことですか」
聞くなら、此の時だろう。
そう感じて、そのまま尋ねた。
「やっぱり耳に入ってしまったんだ。」
驚くでもなく、彼はそうとだけ言った。
「…………」
彼は否定しなかった。つまりは、肯定なのだろうか。
「どれぐらい把握しているのかな」
詳しく訊くより先に、彼が口を開いた。
「煉夜が婚約者を目の前で喪ったとだけ」
そうするのが正しいと思ったから、正直に答えた。
「そう。君だけが知らないのは不公平だ。話をしようか」
「僕には、結婚前にアンネとは違う別の婚約者がいたんだ。北の大国ルッセンバルクの第一王女で、スーリという女性がいた。」
愁は驚く。
彼の伴侶である人とは面識があった。
「スーリ王女は気位の高い、典型的な王族の娘だったよ。
ただ残念ながら、王族の特権と代わりに与えられる義務その意味をわかっていなかった。」
憂うように白夜がそう評す。
「スーリはね。王太子の許婚でありながら、その弟に恋心を抱いてしまったんだよ。
煉夜はああいう子だから、スーリに興味はなかった。彼女が自分に向ける恋心に気付いてからは、あからさまに避けていたぐらいだしね。
だからこそ、あとはスーリが自分で折り合いをつけなければいけなかった。」
愁にも、白夜が言いたいことはわかった。
煉夜には、兄の婚約者を奪うようなことは出来ない。
「私は彼女が早く自分の気持ちに折り合いをつけてくれるよう願っていた。どんなに望んでも叶いようのない恋だ。それでも、そう簡単に心は操作できないのだけど」
静かな声なのに、どれだけの思いが過去にあったのか強く印象に残る言葉だった。
きっと、彼も多くを諦めてきたのだろうなと、愁はその時思った。
「でも、彼女は自分の思いが罪になることすら自覚してはくれなかったんだよ。」
嘆くように彼は言う。
「彼女は自分が与えられている特権を享受するばかりで、負うべき責任を果たそうとしなかった。わかっていなかったんだろうね。」
声を荒げるでもなく、ただわかろうとしなかった彼女を嘆く白夜。
「彼女は王太子の伴侶と言う地位と愛する男性の両方を手にしようとした。自分の望みが叶うのを当然と信じてすらいた。」
けれど、意中の相手は彼女に振りむきはしない。
甘やかされ、どんなに間違っても諌める者は傍にいない。ただただ彼女の都合の良いように肯定し、追従する者しか傍にいない。
そんな環境にずっと置かれた彼女は、煉夜の拒絶を受けいれられなかった。
――だから、許されない間違いを犯した。
「丁度、今と同じ黄昏時だったかな。煉夜とその許婚が話している部屋に、スーリが乗り込んだ。
具体的にどんな会話がそこであったのか、僕はしらない。
でも結果としてわかっているのは、スーリが煉夜の許婚を刺殺したということだ。」
煉夜が初めて心を許したかも知れない女性。
妹のように可愛がっていた婚約者。
彼女は、煉夜の目の前で殺された。
「公に裁くことは出来なくて、スーリは北塔に幽閉された。」
そこで、自身を落ち着かせるように白夜は深く息を吐く。
そうして、暫く口を噤んでから愁を見た。
眼と眼が合う。
「僕が……彼女を一番許せないのは、結局何も理解することなく彼女が死んでいったことだよ」
受け止めた瞳は強く、深く思いを湛えている。
「自分を受け入れなかった煉夜と、尊い自分を罪人として幽閉したこの国を最期まで呪って、彼女は死んだ。」
「…………」
「煉夜とヴァルローレン侯爵の令嬢との婚約は、僕と陛下、大臣たちが決めたことだった。煉夜はいろいろあって人嫌いというか人間不信な面がある。それに輪をかけて酷いのが女性への不信感だ。それでも王族である限り政略結婚からは逃れられない。だから、僕等もあの時の判断を間違いだとは思わなかったし、煉夜も承諾した。」
そうだろうなと思った。
たぶん、煉夜なら黙って受け入れる。
「でも、結果的に煉夜を傷つけた。酷いことに古傷をまた抉るような形で」
その時だけ、ずっと乱れることの無かった彼の声が擦れた。
「だから、もしあの子が誰かを愛したなら何があっても許してやりたいと思ったんだ」
勘違いだったようだけどと彼が笑う。
どこか、泣き出しそうな笑みだった。