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SF小説 『ラストオーダ死ぬ前に、何が食べたい?』

作者: 虫松
掲載日:2026/09/24

挿絵(By みてみん)

人類最後の防衛都市、その外壁が破られたのは、夜明け前だった。


空を覆うほど巨大なUMAが、何本もの触手を城壁へ叩きつけた。


数十メートルのコンクリート壁が崩れ、瓦礫と黒煙が街へ降り注ぐ。防衛軍は戦車も航空隊も投入したが、通常兵器では巨大UMAの外皮を貫くことができなかった。


残された方法は、一つしかなかった。


UMAの体内へ人間を潜入させ、内部から大型爆薬を起爆する。


帰還を前提としない作戦だった。


作戦名は、特攻人間爆弾作戦。


そして、その役目に選ばれたのが二十歳の青年兵士、ユウトだった。


作戦会議室で名前を呼ばれたとき、ユウトは何も言わなかった。


逃げたい。

死にたくない。


そんな言葉はいくらでも頭に浮かんだ。


けれど、自分の後ろには何十万人もの市民がいる。


自分が行かなければ、誰かが行く。


結局それだけだった。



◇◇◇



出撃は翌朝。


会議が終わると、白髪交じりの上官がユウトを呼び止めた。


「ユウト」

「はい」


上官はしばらく青年の顔を見つめ、それから低い声で言った。


「好きなものを食べてこい」


ユウトは思わず聞き返した。


「……好きなもの?」


「ああ」


「何でもいいんですか」


「何でもだ」


上官はわずかに視線を逸らした。


「最後くらい、自分で決めろ」


それ以上、何も言わなかった。



基地の地下には、一軒のレストランがあった。


レストランの名前はラストオーダー


そこは出撃前の兵士だけが利用できる、不思議な店だった。


地上では警報が鳴り続け、遠くでは砲撃音が響いている。


それなのに扉を開けると、店内には白いテーブルクロスが敷かれ、淡い照明が静かに揺れていた。


まるで世界の終わりだけが、この場所を避けているようだった。


ユウトが席に座ると、一人の男が厨房から出てきた。


四十代半ばほど。

無精ひげ。

少し長い黒髪。


白い料理服の袖をまくり、腕を組んでいる。


男はユウトを見るなり言った。


「何を食べたい?」


それが料理人、神崎との最初の会話だった。


ユウトはメニューを見た。


高級ステーキ。

寿司。

フランス料理。

中華。

魚料理。

デザート。


本当に何でも作れるらしい。


だが、何も浮かばなかった。


明日の朝、自分は爆弾を抱えて死ぬ。


そう考えると、世界中のご馳走が突然どうでもよくなった。


神崎は急かさなかった。


しばらくして、ユウトが小さく言った。


「……卵焼き」


「卵焼き?」


「母さんの」


神崎の眉がわずかに動いた。


「甘いのか?」


「ちょっとだけ」


「出汁は?」


「分かりません」


「油は?」


「知らないです」


神崎はため息をついた。


「それじゃ作れん」


ユウトは俯いた。


「ですよね」


「だから聞く」


神崎は椅子を引き、ユウトの向かいへ座った。


「どんなフライパンだった?」


「え?」


「覚えてることを全部話せ」


ユウトは戸惑いながら記憶を探した。


黒い、小さな四角いフライパン。

取っ手が少し溶けていた。

油はサラダ油だった気がする。


母親は朝が弱く、いつも眠そうな顔で弁当を作っていた。


料理は上手ではなかった。


卵焼きもよく焦げた。


綺麗に巻けず、端が潰れていた。


砂糖を入れすぎる日もあった。


「いつ食べた?」


「学校の弁当です」


「毎日か?」


「ほとんど」


「母親は働いていた?」


ユウトは頷いた。


父親は、ユウトが七歳のころに亡くなった。


それから母は一人で働いた。


朝早く起きて弁当を作り、ユウトを送り出し、自分も仕事へ行く。


帰宅はいつも遅かった。


それなのに翌朝になると、また弁当が用意されていた。


「母さん、料理下手だったんです」


ユウトは少し笑った。


「卵焼きなんか、毎回形が違ってて」


「嫌だったか?」


「中学生のころは」


ユウトは遠い目をした。


「友達の弁当、綺麗だったんですよ。彩りも良くて。俺のは茶色ばっかりで、卵焼き

も焦げてて」


神崎は黙って聞いている。


「一回だけ言ったんです」


ユウトの声が少し震えた。


「もう卵焼き入れなくていいって」


「母親は?」


「笑ってました」


『そっか。ごめんね』


そう言って。


次の日から、卵焼きは弁当に入らなくなった。


数年後、母は病気で亡くなった。


もう二度と、あの焦げた卵焼きを食べることはできない。


話し終えると、神崎は立ち上がった。


「少し待ってろ」


厨房へ消えた。


油の弾ける音がする。


卵を溶く音。


菜箸がフライパンを叩く音。


高級レストランには似つかわしくない、どこにでもある家庭の音だった。


しばらくして、皿が置かれた。


ユウトは黙った。


綺麗ではない。


少し焦げている。


形も崩れている。


端だけ色が濃い。


神崎が言った。


「食え」


ユウトは箸を取った。


一口。


その瞬間。


高校生のころの朝が戻ってきた。


台所。


寝癖のついた母。


古いエプロン。


弁当箱。


慌ただしい時計の音。


『ほら、遅刻するよ』


『分かってるって』


『ちゃんと食べるんだよ』


『はいはい』


そして玄関。


『行ってきます』


『行ってらっしゃい』


二度と戻らないはずの朝だった。


ぽたり、と皿に涙が落ちた。


「……母さんだ」



神崎は背中を向けたまま言った。


「違う」


ユウトは泣きながら笑った。


「分かってますよ」


「俺はお前の母親じゃない」


「分かってます」


もう一口。


今度はもっと泣いた。


「でも……帰ってきた気がしました」


神崎は振り返らなかった。


その夜、ユウトは最後まで卵焼きを食べた。


ただ、一切れだけ残した。


そして小さな紙に何かを書き、皿の横へ置いた。



◇◇◇


翌朝。


巨大UMAが再び都市へ接近した。


防衛軍が出撃する。


ヘリコプターのローター音。


兵士たちの怒号。


エンジン音。


ユウトも特殊装備を身につけ、輸送機へ向かった。


神崎は見送りに来なかった。


厨房で、いつものように包丁を握っていた。


やがて遠くから巨大な爆発音が響いた。


基地全体が揺れる。


数秒後。


通信室から歓声が上がった。


「巨大UMA一体撃破!」


「「「「わああああああああ!」」」」


兵士たちが叫ぶ。


抱き合う。

泣く者もいる。


だが


ユウトは帰ってこなかった。



その夜。


ラストオーダーの店員が、ユウトの席を片づけていた。


皿の上に、一切れだけ卵焼きが残っている。


「食べきれなかったんですね」


神崎は首を振った。


「いや」


「じゃあ、どうして……」


神崎は皿の横にあった紙を取った。


そこには、若い兵士の字で書かれていた。


『もし生きて帰ったら、もう一回お願いします』


神崎はしばらく、その文字を見つめていた。


何も言わない。


紙を捨てることもしなかった。


丁寧に折り、料理服の胸ポケットへしまう。


そして、残された卵焼きを見た。


一切れ。


そして口に放り込む


(焦げてて甘い、不味いな)


神崎は皿を下げ、厨房へ戻った。


包丁を握る。

野菜を切る。

鍋に火をかける。


外では、今日も戦争が続いている。


巨大UMAはまだいる。


人類が勝てる保証などない。


それでも人は腹が減る。

美味しいものを食べたいと思う。

帰りたい場所を思い出す。


生きたいと願う。



カラン――。


入口のベルが鳴った。


また一人、若い兵士が入ってきた。


顔は青ざめていた。


たぶん、明日の最期の出撃者なのだろう。


神崎は手を拭き、厨房から出た。


そして、いつもと同じように尋ねる。


「何を食べたい?」


兵士はしばらく黙っていた。


神崎は急かさない。


この店では、それを決めるまでの時間さえ料理の一部なのだ。


やがて兵士が、震える声で答えた。


その声を聞きながら、神崎は厨房へ戻った。


世界が終わる、その日まで。


ラストオーダーには、きっと客が来る。


そして神崎は作り続ける。


最高級の料理ではない。


死ぬ前に食べたい料理を。


その人が最後に、


「生きていてよかった」


と思える一皿を。


厨房の灯りは、今日も消えなかった。



SF小説『ラストオーダー死ぬ前に、何が食べたい?』


――完――

漫画化しました。

https://rookie.shonenjump.com/series/TWpXKpYwCKs

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