検挙率最下位の刑事、違和感だけで真犯人を暴く
R15は念のためです。いつもと違うジャンルに手を出してみました。
「今回の被害者はどうも自殺のようだな」
部屋に入るなり一言、森本刑事がそう言った。
2020年3月15日の夕方頃、新聞の勧誘に来た男性から「部屋の中で人が倒れている」との通報を受けて、西池上署 刑事課 強行犯係が臨場した。
現場は、国道に面した東京都中丸子にある古びた3階建てアパートの一室で、玄関に施錠はされていなかった。だからこそ、勧誘の男性が居留守だと思って室内に入り、遺体を発見できたわけなのだが。
「あぁ、まぁ、この状態だとな」
室内には七輪の上で練炭が焚かれており、小さなテーブルには、「もう生きていくのがつらい」と直筆で書かれたメモが乱雑に置かれている。
生活はかなり荒れていたようだ。
借金の督促状が複数あり、税金未納による最終告知の黒い封筒も届いていたが、開封されずにゴミ箱に突っ込まれている。カップ麺や弁当がら、ペットボトル類のゴミが溢れ、通販で取り寄せたであろう段ボールが積み上がり、換気口を塞いでしまっている。
換気扇は脂でべっとりとして、スイッチをつけても回らない。壊れてしまっているらしい。
「ガイシャは前があるようだな」
福さんがガイシャの身元確認を終えて戻ってきた。
被害者は田中健司。ゆすり常習・前科あり。いつも金に困っていたようだ、とのことであった。尤も、この荒れた生活を見れば、金に困っていたことは誰でもわかるが。
「じゃあもう決まりだろ。後始末はママに任せるとしよう。おい、誰か、ママ呼んで来い」
「福さん、さっきからここにいますよ」
「うわっお前、いつからそこにいた」
どうも存在感がないせいか、驚かれてしまう事が多い。薄ぼけた灰色のスーツを着ていることも、影の薄さに拍車をかけているかもしれない。
「お前さん、このホトケさんの後始末頼むぞ。俺たちは他殺事件で忙しいんだ。検挙率最下位のお前にはふさわしい仕事だろ」
「構いませんけど。僕は自殺とは考えてないんですけどね」
「なんだと、お前、こりゃどう見たって自殺だろう」
森本刑事と福さんが馬鹿にしたように鼻で笑った。
「いえ、ここを見てください」
そう言ってママ、こと有馬真尋は窓を指さした。
まの字が2つ並んでいるから、あだ名はママ。
検挙率は西池上署で最下位。そんなことから、ママなどとふざけたあだ名を付けられてしまったが、本人は全く気にしていない。
「窓がどうかしたのか?」
「あそこの窓、少しですが空いてるんですよね。練炭自殺するのに窓が開いているなんて不自然ですよ。だいたい国道に面した窓で、こんなに縁に煤がついているんですよ? 部屋にも煤が入るのに、普通開けますかね。それに、わずかですが何かで擦ったような跡もついています」
ママが指をさす先には、確かに煤を何かで擦ったような跡がついていた。
「こんな生活してるやつだし、特に気にしてなかったんじゃないのか。擦ったような跡は、ホトケさんが自分で擦っただけもしれねぇ」
「それに、自殺するのに玄関の鍵を締めないというのも、どうにも解せないんですよ。邪魔が入ったら自殺を阻止されてしまう可能性もあるのに。普通なら鍵を締めませんかね。僕なら締めますよ。邪魔されたくないですから。それと最後に」
「まだあるのかよ」
福さんがげんなりした顔でママを睨みつけた。
「ええ。この遺書ですよ。本当はもっと大きい紙に書いてあったのを、手でちぎったみたいに見えませんかね。遺書ですよ? 人生最後に書くんです。もっとまともな紙に書きませんかね」
証拠袋に入れられた遺書を、まるで汚いものかのようにつまみ上げた。確かに、所々にしわがより、よれたように見えるメモである。
「さっきから細かいことをイチイチ。ガイシャはこんな荒れた部屋に住んでて前もある。そんな殊勝なことも思いつかなかったんだろうさ」
森本刑事がめんどくさそうに、こちらも見ずに答えた。ママがさらに言い募ろうとすると――。
「まぁまぁ、福さん、森本。こいつのいうことも一理あるぞ」
足音が聞こえると思ったと同時に、一人の男が部屋の入口に立っていた。
「係長! ご苦労様です」
福さんと森本刑事がさっと姿勢を整えて黙礼する中、ママはワンテンポ遅れての黙礼となった。その様子を見ながら苦笑した係長が口を開いた。
「有馬、お前は相変わらずだな。福さん、森本、お前たちのいうこともわかるが、有馬が指摘していることも一考に値するんじゃないのか。
こいつは検挙率こそ低いが、こいつの目に救われたヤマが、過去にいくつもあるんだ。節穴のお前らが見逃すような、ほんのわずかな綻びをな」
じろりと睨め付けられた二人は、身に覚えのあるらしく、きまりが悪そうにもじもじとした。
「もう一度、鑑識を呼び戻して細かく調べ直せ。遺体は司法解剖に回せ。それから、周辺住民への聞き込みと、怨恨の線も念のために洗っておけ。それで何もでなければ、それでいい」
居心地悪そうにしていた二人は、はい! と返答すると、そそくさと出て行った。ここにいるのは、係長とママだけだ。
「係長、ありがとうございます」
ぼさぼさの頭をぽりぽりと掻きながら、小さく礼を述べた。
「有馬、お前は全く。……まぁ、俺は分かってるが。前にあんなことがあったからな。今回は期待してるぞ。せいぜい励め」
背中をポンポンと叩いて出ていく係長と入れ違いで、鑑識が戻ってきた。
☆
その日の夕方、捜査会議が開かれた。
出席者は係長、福さん、森本刑事、それにママ。途中から参加した、高梨と本田。計6名である。
・発生日時:2020年3月15日 16時23分
・被害者:田中健司(35歳)
・発生場所:中丸子アパート202号室
・死因:練炭の不完全燃焼による一酸化炭素中毒により死亡
・多数の借金、税金未納による資金繰りに困窮
・ゆすり常習・前科あり
・自殺か? 他殺の疑いあり。
一番に森本刑事が手をあげ、報告を始めた。
「係長、鑑識からの情報で、煤の擦った跡は最近出来たもので、シルクの繊維が検出されたとのことです。
また、あの窓は建付けが悪く、ただ開けただけでは勝手に閉まってしまうらしく、外側から閉まらないように細工されていたそうです。
大家の話では、やはり煤が入ってしまうとのことで、国道側の窓を開ける人間は通常いないそうです。
アパート前には監視カメラが設置されておりましたが、画質が悪く、出入りしている人間を特定することはできませんでした」
今度は福さんが続けた。
「係長、周辺住民の聞き込みで上がってきた情報ですが、どうも以前から近隣トラブルがあったようです。
隣の201号室の、大木剛45歳との間に、ゴミ出しについて以前から揉め事があり、一時は警官が出動するような大喧嘩にまで発展したことがあることがわかりました。
ガイシャが大木のゴミを漁っていた事が原因のようです」
「近隣トラブルか……怨恨の線はどうだ?」
係長が難しい顔をし、高梨と本田に報告を促した。コクリと高梨が頷き、報告を始めた。
「はい、どうも方方に借金があり、評判は最悪でした。恨んでいる人間は多いですよ。
親族とはとっくに縁を切られているようです。母親も父親もすでに鬼籍に入っており、唯一いる親族は姉一人だけでした。
念のため、司法解剖が終わり次第、姉に遺体の確認をしてもらうことになっています」
本田が手をあげて続けた。
「ただ一人だけ、友人とは付き合いがあったようです。神谷連 35歳で、ガイシャとは同級生だったようです。昔は一緒にやんちゃなことをしていたようですが、前はなく、今は大企業の営業で華々しく活躍しているようです。
この秋、上司の娘と結婚予定だそうで、まさに人生バラ色って感じですね。雑誌にも載ってますよ。大企業の特集ページに」
持っていたボールペンでガシガシと頭を書きながら、うらやましいなーなどと呟いている。
「シルクですか」
ママがぼそっと呟いたが、誰の耳にも入らなかった。
「ママからは何かあるか」
「いえ、僕は今の段階ではまだ何も」
福さんと森本刑事が鼻で笑ったが、ママは気にしていないようだ。係長がやれやれと苦笑いしたのち、
「その二人から話を聞いたほうが良さそうだな。明日の朝一で話を聞いて来い」
と発言し、捜査会議はいったん解散となった。
□大木の証言
中丸子アパートの201号室を訊ねると、ちょうど大木が部屋へと入っていくところだった。
「大木さん、お隣の田中健司さんが亡くなった件で、少々お話よろしいでしょうか」
森本刑事が口火を切った。
「ここじゃなんなんで、どうぞ」
大木はぶっきらぼうに、部屋に入れてくれた。
そこは、田中の部屋とはまた違った乱雑さだった。
部屋の天井までガラスケースが聳え立ち、狭い部屋いっぱいにフィギュア、フィギュア、フィギュア。座る場所もないほどで、福さんと森本刑事は顔を見合わせてしまった。
「ああ、すみませんね、こんな有様で。有り金は全部フィギュアにつぎ込んじゃって。倉庫も借りてるんですよ」
はははと乾いた笑い声を立てる様子に、今までも似たような反応をされてきたことが容易にうかがえた。身なりに無頓着なのは、その分もフィギュアにつぎ込んでしまうせいかもしれない。
「いえ、大丈夫です。個人の趣味にまで口出しはしませんので。形式的な質問で失礼ですが、昨日はどうされていましたか? お隣の田中さんとはトラブルがあったとお伺いしましたが」
身構えていた様子の大木は、手を握ったり開いたり、どうも落ち着きがなく、早くも帰ってほしそうな気配を出している。
「昨日は、一日家にいて、ナナコちゃんを愛でてましたよ。他には誰にも会ってないので、アリバイはなんにもなしです。トラブル? まぁそうですね。きっかけは田中さんが俺のゴミ漁りしてたのを見つけたことですかね」
空気清浄機が稼働する音が、静かに室内に響き、大木が重い口を開いた。
「うち宛てのナナコちゃんの等身大フィギュアが、間違えてお隣に届いちゃって。返してもらいに行ったら、俺宛に届いたんだから俺のものだって言い張って、全然返してくれなくて。ナナコちゃん、すごいクオリティで、3年も出来上がるの待ってたんですよ!? そんな事言われて引き下がるわけにもいかなくて」
「何度も訊ねても返してくれないので、頭に血が上っちゃって。思わず手が出ちゃったんです。大騒ぎになってお巡りさんが来てくれたので、なんとかナナコちゃんも正気も取り戻せましたけど。開梱したときに雑に扱ったみたいで、腕が折れちゃってて。裁判起こして費用請求しようかと思ってたんです」
その時の事を思い出して興奮したのか語気が強くなったが、福さんのひとにらみでおとなしくなった。
「いや、でもこう言っちゃなんだけど、たかがフィギュアというか」
その瞬間、大木がブチ切れたように大声でわめき始めた。
「ナナコちゃんをたかがフィギュアですって!? この美しいフォルムがわからないのか? 肌からにじみ出るような血色感があって、まるで生きてるみたいでしょうが! それにこの再現度の高さ、普通のフィギュアじゃないんですよ、ナナコちゃんは!! それにこれ、有名な原型師に依頼した1点もので、手作業で1体500万するんですからね! だいたい、田中さんは自殺だっていうじゃないですか。なんでこんな事を聞くんですか!?」
急に激高した大木に少々驚き、そして引いた福&森本コンビであったが、大木には田中健司を殺す動機が十分にあることがわかった。そして、フィギュアのこととなると激高しやすい性格だということも。
□神谷の証言
「いや、まさかあの田中が死んだなんて。そんなこと信じられませんよ」
急に職場に押しかけたにも関わらず、嫌な顔一つせず応接へと通された。皺ひとつないグレーのスーツを身にまとい、シャツは光沢のある高そうなものを身に着けている。
警察が来たと言われれば、痛くない腹でも痛くなるのが普通だが、この男はどうやら違うらしい。
「急に押しかけてすみませんね。ちょっとお話お伺いしたらすぐにお暇しますので」
勧められるままにソファに腰かけた高梨が申し訳なさそうに頭を下げると、神谷は少々面白そうな顔をしていた。
「いえいえ、刑事さんも大変ですね。一人一人話を聞いて回らないといけないんでしょ。でもこういうの、刑事ドラマみたいでドキドキしますね」
嫌味のように白く輝く歯だけが、妙に浮いて見えた。
「ええ、まぁ、決まりみたいなものでして。それで早速ですが、田中さんとは同級生だとか」
「そうです。学生のうちはよくつるんで馬鹿なことをやって楽しかったなぁ。でも私が大学へ進学したときにいったん縁が切れましてね。去年、雑誌に特集されたのを見て、田中から連絡があって、また連絡を取り合ったりしてましたね。何回か旅行に行ったりもしましたよ。それにね、刑事さん。私は田中が死んだ日に会ったんですよ」
思いがけない告白に、思わず本田が前のめりになった。
「それは、被害者の田中さんとあのアパートでお会いになった、そういうことですか」
「ええ、だからそう言ってるじゃないですか」
急に自分に近づいた本田に対し、少々うっとおしそうな顔で神谷が話を続けた。
「失礼しました。それで、何時くらいにお会いになられたんでしょうか」
「ええ、確か11時くらいにいって、30分後くらいには出たと思います。金の無心をされましてね。いくら友人といえど、金銭のやりとりはトラブルになることが多いですから、丁重に断って帰りましたよ。その後は婚約者の桐生綾音と一緒に結婚式場の見学をしておりましたので、綾音や式場のスタッフに聞いていただければわかると思いますよ」
最初から聞かれるのがわかっていたような、流れるような説明だった。高梨と本田は目配せすると、お暇することにした。
「神谷さん、今日はお忙しいところありがとうございました。また確認で寄らせていただくこともあるかと思いますが、その時はよろしくお願いします」
本田と高梨は確信した。コイツは黒だ、と。
神谷の裏どりのため、その足で婚約者の桐生綾音を訊ねることにした。
□桐生綾音の証言
「ええ、確かに、午後は一緒に式場巡りをいたしました。だいたい18時くらいまで式場を見て、その後はいつものフレンチでディナーを。帰宅したのはたぶん……22時頃だったかと思いますけど。父に聞けばわかります。いつも私が帰宅するまで、リビングで待っておりますから」
突然の刑事二人の訪問に戸惑いを隠せない桐生綾音は、なるほどとてつもない美人だった。
豊かな長い髪を緩やかに巻き、ぱっちりとした目に形の良い眉、高い鼻梁と小さめな唇。会社員の給料で買えるのか疑問符が付きそうな、総レースの高そうなワンピースを身につけていた。本田はデレデレしたように、鼻の下を伸ばしている。
「ありがとうございます。突然押しかけまして申し訳ありません。今話していただいた内容で結構です」
「連さんが疑われている、そういうことなのでしょうか」
「いえいえ、これは形式上、どなたにもお伺いすることですから。ご協力ありがとうございました」
二人で部屋を出ると、桐生綾音が追いかけてきた。
「連さんは、そんなことをするような方ではありません。刑事さん、信じてください」
そう言うと、周りの目を気にすることなく深く頭を下げた。刑事二人は少々面食らったが、慌てて頭をあげさせると、捜査に全力を尽くすことを約束し、その場を後にした。
☆
夕方、2回目の捜査会議が開かれた。
まず、司法解剖の結果が最初だった。
「被害者は、死後硬直から遺体発見日の13時から15時の間と見られます。胃の内容物の消化具合から見ても、間違いないと思われます。血中のアルコール濃度は0.35%。泥酔状態でした」
高梨&本田コンビが顔を見合わせる中、森本刑事と福さんから隣人の大木についての報告があった。
「確かに怪しいが、人殺しするほどとはどうも思えんなぁ」
係長が顔周りをマッサージしながら、そう呟いた。全身から疲れがにじみ出ているようだ。
「いえ、報告だけ聞くとそう思われるかもしれませんが、大木はフィギュアに関しては並ならぬ執着があるのは、間違いないです。トラブルもあり、かなり黒に近いかと」
ふむ、と得心のいかない係長は、高梨&本田コンビからの報告を聞いた。
「とすると、神谷にはアリバイがあるんだな。婚約者と式場のスタッフ両方からの証言じゃ、これを突き崩すのは難しい」
うーん、と肩をマッサージし始めた係長。これは壁にぶち当たるとよく出る癖だ。
「現時点で、被疑者として絞り込める段階じゃねえですが、隣人の大木を重要参考人としてマークしてみちゃあどうでしょう」
福さんが係長に言い募る中――。
「……なぜ、わざわざ窓が閉まらないように外から細工する必要があるんですかね?」
ママがぼそっと呟いた。
「あぁ??」
福さんが「またお前か」という顔でガシガシと頭をかいている。
「いえ、自殺する人間はわざわざ外から細工などしません。ということは他殺ということになる。動機のある大木が大いに怪しいですが、大木はなんで細工する必要があるんでしょうか。アリバイがないことも素直に認めるような人ですよ。正直に言って、神谷のほうが怪しいと僕は思います」
バーンと机を叩く音がし、福さんがママに詰め寄った。
「だから、神谷にはアリバイがあるっていってるじゃねぇか、その時間、婚約者と一緒にいたんだよ、話聞いてたか?」
人差し指でぐりぐりと眉間をついてくるのをかわしながら、ママは続けた。
「そのアリバイがあやしいですよ。彼は被害者に会った最後の人間で、ばっちり帰った時間も覚えていて、訪れた理由を聞かれもしないのに自分からべらべらと喋っている。
それに、友人だという割に、どうして死んだかを聞かなかった。これはおかしいですよ。
朝会ったばかりの同級生が急死したら、普通は理由が気になるものです。
それを聞かないのは、どうやって死んだか知ってるからですよ」
「それはただのママの勘というか、こじつけですよね」
森本刑事が呆れたように言い、ポリポリともみあげをかいている。
「ええ、でも、窓を開ける理由は? アリバイのない大木が犯人なら、普通に殺してもトリックを使って殺しても結局のところ、疑われます。アリバイがないんですから。
でも神谷はどうです? 窓を開けることで、死亡時刻を後ろにずらし、鉄壁なアリバイを手に入れることに成功したんじゃないでしょうか」
「珍しいな、ママがここまで食い下がるなんて」
係長が珍しいものをみるような、面白い顔をした。
「よし、ママがそこまで言うなら神谷の周辺を洗ってみろ。それで何も出なければ、大木を重要参考人として引っ張れ。神谷には俺とママでもう一度話を聞いて来よう」
係長がそういうと、満足げな顔でママ以外の捜査員がうなずいた。ママは何も言わなかった。
□神谷の証言(二回目)
「刑事さんもお暇なんですねぇ」
応接でふんぞり返る神谷は、今日も高価そうなスーツに身を包み、袖口をまくり上げている。
「いやぁ、お忙しいところすみませんねぇ。どうしてもこちらのママが話が聞きたいと言いまして」
「ママ?」
まの字が被っているからママと呼ばれていることを告げると、神谷は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「神谷さん、いつもシャツはシルクですか?」
ママが唐突に切り出した。
「シャツ? ああ、これですか。そうですね、やはりシルクは着心地が違いますし。それに、それなりのお客様のところに伺いますしね」
「そうですか。でもそんな風に袖をまくってしまったらシワがつくのではありませんか? それに、シャツの内側に黒いシミがあるような」
バッと袖を見た神谷に、少し動揺が見られた。
「ああ、スチームアイロンですぐに皺は取れますしね。きっと腕まくりした時に、インクか何かついてしまったんですよ」
そう言って、シミの部分を隠すように、神谷が腕組をした。ママはそれをチラと見たのち、質問を続けた。
「そうですか。インクのシミは落ちにくいですし、シルクはお洗濯も大変でしょうね。
それから、神谷さんのアリバイについてなんですが、婚約者の桐生さんとは具体的に何時頃に合流されたんでしょうか」
桐生の名前が出た瞬間、神谷が少し怯んだように見えた。
「は? 12時半の約束でしたが、少し綾音が遅刻したので、12時40分頃だったかと思います。絶対に遅刻しない綾音が、珍しいなと思いました」
なるほど、とママが呟いた。係長はママに任せることにしたのか、成り行きを見守っている。
「そうそう、お隣の大木さんのことは、神谷さんはなにかご存じですか? 田中さんと揉め事があったと伺いましたが」
「ああ、なんかフィギュアを死ぬほど集めている気持ち悪い奴と揉めたっていうのは聞きましたよ。よくよく話を聞いたら田中の奴が悪かったんで、かなり怒りましたけどね」
大木の事を聞いたら油断したのか、腕の隙間から黒いシミが見える。
「ええ、ゴミを漁っていたとか。でもなんでゴミを漁っていたのか聞きましたか?」
「あー、あいつ。昔から人の弱みを握って、脅迫まがいなこと沢山やってるんですよ。
それで逮捕もされてて、手癖が悪いんですよね。それ以外は結構いいやつなんですけど。たぶんそれでネタ探しでもしてたんじゃないかと」
自分のことを追及されなくなったせいか、大木や田中のことを饒舌に語りだした。やはりあのシミはインクのシミには見えなかった。もっと油混じりの粘ついたような汚れに見えた。
ひとしきり話を聞いたところで、お暇することにした。
「おい有馬。お前の言うとおり、奴がホシのようだな。あのシミ、あれはあれだろ?」
こくりと頷くママ。
「この後、婚約者の桐生にももう一度話を聞きたいんですが、係長、まだお時間ありますか?」
「ああ、俺もそうしようかと思ってたところだ」
□桐生綾音の証言(二回目)
「ええ、確かに。私がちょっと遅れたんですよ。だから、12時45分とか、それくらいの時間だったと思います」
桐生にも話を聞いたが、合流した時間はおおむね合っていた。彼女の手元には、直前に読んでいた様子の探偵小説の表紙が、チラリと見えた。
「ちなみに、どうして遅刻されたんですか?」
「えっ? ちょっと、寝坊してしまって」
笑ってごまかした彼女に少しの違和感を覚えた。
「でも刑事さん、連さんが私と会っていた時間に亡くなられたなら、彼は犯人じゃありませんよね?」
桐生がすがるようにママを見つめたが、ママはふいと視線を逸らしてしまった。それを見た係長が苦笑して、話を続けた。
「念のため確認しているだけです。時間が経つと人の記憶はあいまいになりますからね」
「そうですか。そういえば、連さん、ここ数日様子がおかしかったんです。スマホの通知が以前よりも沢山きて、それを見るたびに厳しい顔をしていた時もあって。
どうしたのか聞いても話してくれなくて。もしかして女の人かと思って、探偵を雇って調べたこともあるんですけど、そういうわけじゃなかったので、安心したんですが」
ママが目を細めて桐生の様子を伺っている。
「探偵を雇われたとは、なかなか行動力のある方なのですね、桐生さんは。そこまでされるということは、前に女性と揉め事などもあったのでしょうか」
ばつが悪そうな様子で座りなおした彼女は、重たそうな口を開いた。
「ええ、まぁ。彼はモテますから。一度などは父にばれてしまって、破談寸前まで追い込まれたこともあったんですよ。父は、この会社の常務なので、彼もなかなか厳しい立場だったと思います」
ほう、とママが声をもらした。なるほど、彼女の服装のレベルの高さは、父親にあることがわかった。
「それは中々お辛かったでしょうね」
「ええ、それはもう。婚約してからは女性問題も落ち着きましたので、安心しておりましたけれど、もしまた次も女性問題があったなら……」
彼女がふっと蠱惑的な笑みを浮かべた。真っ赤に塗られた唇が弧を描く。
「彼を殺してしまうかもしれませんわ」
冗談ですよ、とコロコロと彼女は笑ったが、目だけは笑わずに、ママの目をしっかりととらえていた。
帰り道を、プラプラと二人で歩いた。
「係長、どう思われますか?」
つま先で路端の小石を蹴ってしまい、小石がコロコロと転がる。
「どう、とは?」
「いえ、どうも違和感があって」
「その違和感は大事にしろ。今回のヤマは、お前さんのその違和感から始まってるんだからな」
ジャケットを小脇に抱えて歩く係長の後ろを、ママが歩く。小石はすでに動きを止めていた。
☆
3回目の捜査会議が開かれた。3回目ということもあり、それぞれが息まいているようで、熱気がむんむんとしている。
「神谷はとんでもない奴だということがわかりましたよ」
福さんが鼻息荒く、一番に口火を切った。
「社内での評判はいいんですがね、女遊びにギャンブル、それに酒もかなり飲むようです。ちょっと叩いたらまぁ埃が沢山でてきました」
福さんの後に続けて、森本刑事が続いた。
「常務の娘と婚約した後も、現在に至るまで、女遊びはやめられなかったようですね。今もクラブのママといい雰囲気だとかで、界隈じゃ有名な話でしたよ。雑誌に載るような人なのに、残念な感じでしたね」
森本刑事はボールペンでぽりぽりと頭を書いた。手帳を見ながら高梨が報告を続けた。
「それから、いくつかの店を聞き込みしてわかったのですが、神谷はここ数日、なにか悩み事があるようだったとのことです」
「悩み事とはなんだ? 女か?」
「いえ、どうも誰かに脅迫されているとか、そんなようなことを一度漏らしていたと、神谷の最近のお気に入りのキャバ嬢が言っていました」
脅迫。パズルのピースが繋がったような気がした。腕まくりの癖とシミも。
「係長、つまりこういうことですか? 神谷は、日ごろの女遊びを田中に知られてしまい、次にばれたら後がない神谷は、切羽詰まった挙句に、田中を殺す計画を立てた。窓を細工し、被害者の死亡時刻を後ろにずらすことで、アリバイを作り、罪から逃れようとしたと。どうでしょうか」
本田が我が意を得たりとばかりに興奮して筋読みを披露した。
「それなら筋が通るな。よし、神谷を重要参考人として引っ張ってこい」
はい! と元気よく出ていく捜査員たちを尻目に、ママはどうしても、桐生綾音の赤い唇から垣間見えた微笑みが脳裏から離れず、気持ちが晴れなかった。
「係長、あの腕まくりの癖と、黒いしみはおそらく煤汚れ、実行犯は間違いなく神谷でしょう。本田の言う通りです。でも、神谷はなんであんな面倒な細工を施す必要があったのでしょうか」
「は? お前、だからアリバイ作りに……」
またお前かとしかめっ面をした係長に、続けて言った。
「いえ、神谷は、欲望に忠実な男です。そんな男が、こんな面倒なトリックで人を殺そうとするでしょうか。もっと短絡的な犯行に及ぶと思いませんか?」
解決したと思った事件を蒸し返すかのようなママの発言に、係長もイライラしたのか、貧乏ゆすりが始まった。
「お前な、そんなこと考え始めたらキリがないぞ。それこそ言いがかりも甚だしいだろう。神谷だって多少自分のオツムを使うんじゃないか」
「そのオツムは単純なんですよ」
「やめろやめろ。今回は神谷がホシなのは間違いなく。神谷が取調室に入ったら、お前も勉強のために調書を聞いてろよ」
あっちいけシッシッとばかりに追い払われ、流石のママも少し落ち込んだ。だが、係長は「違和感を大事にしろ」と言った。だから、ママは大事にすることにした。
□神谷の調書
最初こそ爽やかに「任意同行に協力してあげますよ」という態度で自らパトカーに乗り込んできた神谷は、通されたのが取調室だとわかると、表情がわかりやすく硬直した。
最初の取り調べには、福さんと森本刑事が当たることになった。ママが隣室から聴取を黙って聞いていた。
「神谷さん、ご足労いただいて、どうもすみませんね」
福さんがにこやかに始めると、神谷は少しほっとしたように表情を緩めた。
「いえいえ。ただ、まさか取調室に通されるとは思っていなかったので、ちょっとビックリしました。で、これって任意ですよね? それなら帰らせていただきたいんですが」
腰を浮かして立ち上がろうとする神谷を、森本刑事が丁寧に押しとどめた。
「ええ、任意なんですが、我々も仕事なんでね。お話を聞けるまでお返しするつもりはありませんよ」
福さんがにこやかにぐっと力を入れて神谷の肩に触れると、諦めたようにパイプ椅子に腰をおろした。
「あなたが田中健司さんを殺害したんですか?」
単刀直入に森本刑事が問いかけた。
「いやいや、刑事さん。アリバイがあるってご存じのはずじゃないですか。田中を殺せるわけがないですよ」
ヘラヘラと笑いながら答える神谷は、余裕があることを見せつけたいだけのように見える。
「あぁ。それはトリックでごまかしたんですよね? もうわかってますよ。被害者の死亡時刻をずらして、アリバイを得たなんてことは」
優男風の森本刑事に淡々と言われると、なにがしかの種類の迫力がある。
「しょ、証拠はなにかあるんですか? そんな、誰にでもできる窓のトリックなんて、俺じゃなくてもできるじゃないですか。隣の大木はどうなんです??」
「証拠は、あなたの着ているシルクのシャツの黒いシミ、および、繊維です。しかし今、『トリック』と言っただけで、どこにトリックを仕掛けたかは言っていませんよ。なぜ『窓のトリック』だとご存じなのでしょうか」
「なっ!!!!」
パイプ椅子を吹き飛ばす勢いで立ち上がった神谷は、逃げ出そうと大暴れした。刑事課数人で抑えにかかると、先ほどの様子が嘘のようにグッタリとパイプ椅子に座った。
「自分の口で言っちゃったわけですし、ここからは素直に吐いたほうが、刑も軽くなると思うぜ?」
福さんから優し気に肩を叩かれた神谷は、静かにコクリと頷くと自供を始めた。
やはり我々が睨んだとおり、女遊びを田中に嗅ぎつけられた神谷は、強請られていた。段々と大きくなる金銭の要求に耐えきれなくなり、殺害。とのことだった。遺書は、弁護士宛てに書いた愚痴の手紙の一部を破り取ったものだった。
今回のトリックに関しては、婚約者の桐生と見ていた刑事ドラマから発想を得たらしい。
スピード解決に湧く強行班係を尻目に、ママはそっと一人抜け出した。
☆
「本当はあなたが操っていたんじゃないですか、桐生綾音さん」
コツコツと音を立てながら歩く桐生の背に、有馬が声をかけた。西池上署に事情聴取のために来ていた桐生綾音は、今日も美しかった。
「あら、刑事さん。こんなところで何をされているのでしょうか」
くるりと振り向いた彼女を、満月の月明かりが、怪しく照らしている。さわさわと風がふき、彼女の髪が揺蕩っていた。
「いえ、神谷は実行犯で、裏で彼を操った人物がいる、そう思ったもので。その人物は、あなたですよね」
「なにをおっしゃっているのかしら」
本当に訳が分からないという様子で首を傾げてた彼女は、美しいというよりは不気味だった。
「本当は、彼のことが許せなかったのではないでしょうか」
有馬は淡々と続けた。
「神谷は、桐生さん、あなたのような美しい婚約者がいるのに、次々と女遊びを繰り返し、記憶を失ってもなお酒を浴びるように飲み、ギャンブルにどっぷり漬かるような、最低な人間です。そして、そのような男とわかっているのに、強引な婚約を結んだ父親のことも」
彼女は黙って微笑み、何も言わなかった。
「これは僕の想像ですが、神谷の様子がおかしいことに気づいたあなたは、それとなく事情を聞き出し、田中から脅迫を受けていることを知っていたはずです。脅迫されている理由もおおむね察しは付いたでしょう。それで、それとなく田中を消すように仕向けたんです。
田中を殺害させれば、神谷は殺人犯として、常務という立場の父親は失脚し、双方を同時に消すことができますから。殺人犯が自分の娘の婚約者、そんなスキャンダルでは、常務という立場に甘んじていられるわけもないですからね」
「あなたはミステリーがお好きのようですから、トリックはいくらでも思いついたでしょう。単純な神谷を唆すことぐらい、簡単に出来たと思います。なにせ今回は、殺害のハードルが極端に低いんです。
神谷本人が直接田中に手をくだしたわけではないからです。神谷がしたのは、酒を飲ませて泥酔させ、手紙を破って遺書を用意し、七輪に火を付けて練炭を乗せ、窓を細工するだけ。刺殺や絞殺、溺死など、被害者本人の命の灯が消えるのを直接見たわけではないから、罪の意識も芽生えにくい。
そして、殺した実感もわかないので、殺人後もゲーム感覚で平然としていられるんですよ」
ここまで有馬が一息に話すと、風が強くなってきた。
「ここまですごい妄想ですね。それで、私がミステリー好きなのはどこで?」
「ええ、先日お会いしたときに、探偵小説の表紙が見えました。あのタイトルは、ひどくマイナーなものです。
あれがお好きということは、相当なミステリーマニアだと思ったもので」
「そうですか」
楽し気に微笑んでいる彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「有馬さん、楽しいお話でしたわ。私は、なにもしておりませんわ。例え話で、完全犯罪の計画を立てたこともありますけれど、ほんのお遊びですもの。お遊びで計画を立てるのは、犯罪ではないでしょう?」
びゅうと音を立てて、風が走っている。
「ええ、確かにそうですね。最後に1つ気になっていることがあるのです。あなたは、普段は絶対に遅刻されない方だと伺いました。でも、あの日は遅刻した。それはなぜですか?」
一瞬、びくっと体をこわばらせたように見えた彼女は、次の瞬間、仮面のような表情になった。
「ええ、寝坊したとお伝えしたはずですが」
「僕は、こう思うんです」
有馬が続けた。
「あなたはあの日、神谷がミスせずにトリックを本当に仕掛けるか、見に行ったのではありませんか?」
「どんな根拠があってそのようなことをお思いに?」
桐生が一歩こちらに近づいてきた。
「あのアパートのカメラは、誰かが出入りしていたことだけならわかるんです。
神谷らしき人間と、その人間が出て行った後、後を追うようにコツコツとした、特徴のある足音の女性が映っていました。
そしてその女性は、ベージュのジャケットにパールのネックレスをしていた。
偶然にしては、出来過ぎていますね。犯行を最後まで見届けて、鉢合わせしないように時を待ち、そこから急いで向かったならば、その程度の遅刻になるのでは、と。僕なら、その場で10分は動かずにおりますので」
「ええ、私もそのくらいはじっと動かずにいると思いますよ。本当に見ていたのなら」
ジャケットをひと撫ですると、桐生綾音はそう告げ、コツコツと音を立てて闇夜に消えていった。
彼女はどのような表情を浮かべていたのだろう。有馬は、黙ってその背中を見送った。
翌朝、西池上署はいつもの日常を取り戻していた。
「今回は、結局最後の最後で福さんと森本刑事に持っていかれたな」
最初はママに押し付けられたヤマだったにもかかわらず、美味しいところは二人にかっさらわれ、やはり今日もママの検挙率は最下位のままだった。
「ええ、まぁ。いつものことですから」
無精ひげにボサボサ頭のママは、全く気にしない風でそういった。係長はそんなママを見て苦笑し、次はまた頑張れ、とポンと肩を叩くのだった。




