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語り継ぐ器  作者: katari
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第8話:導きの器

雨が続いていた。

空は重く、風は湿り、森は沈黙していた。

村の周りにはタが広がり、かつて荒魂の象徴だったイノシシは、今では柵の中で飼われていた。

シネプカの人々は、森の声を聴かなくなっていた。


その日、大きな音とともに、洪水が村を襲った。

山の斜面から水が溢れ、湿地は飲み込まれ、タは流された。

森を切り開きすぎたせいで、水をとどめるものがなかった。

家々は浸かり、人々は逃げ場を失った。


風は叫び、土は揺れ、語りは沈黙していた。


水が迫り、皆が覚悟を決めはじめたそのとき——

アシリが作った土器を手に、カムナが前に立った。

誰もが沈黙する中、彼女は祈りを捧げた。


土器は震え、渦巻きが光を帯び、

その光がアシリの指先へと伸びていった。


その瞬間、土器が割れた。

音もなく、静かに、命の終わりのように。


アシリは、己の前に手をかかげた。

空に向かって模様を描き始める。


指先が動くたびに、光が痕跡を帯びていく。

渦巻きが浮かび、波紋が広がり、点描が震える。

つる草が絡まり、連孤が重なる。


やがて模様が完成し、声が届いた。——こちらへと。


光の筋が伸び、水を裂いた。

その筋だけ、水が遠ざかっていく。


アシリは無言で歩き出す。

その後ろに、カムナが続いた。

村人たちも、ひとり、またひとりと続いていった。


光の道は、高台の大きなカシの木へと続いていた。

その木は、実をつけ、葉を揺らし、風を呼んでいた。

森が、彼らを助けたのだった。


ある男が、息をついて言った。

「助かったのか…」

カムナは静かに答えた。

「模様が導いた。アシリが描いた」


村は流され、タも失われた。

けれど、犠牲者はいなかった。

森はまだあり、風は吹き、土は語りを待っていた。


アシリは、割れた土器のかけらを拾い上げた。

渦巻きが、再び震えた。

もう一度、やり直そう。


──


秋の風が吹いていた。

黄金の稲穂が波のように揺れ、タは光をまとっていた。

村は復興し、再び命を育む場所となった。


あのとき皆を助けたアシリの土器は、広場の中心に埋納された。

それを囲むように、人々は豊作を喜び、踊り、歌い、

鳥装のシャーマンが銅鐸を鳴らしていた。


ささげられた稲穂の傍らには、新しく作られた土器が並べられていた。

どれも異なる模様を持ち、渦巻き、波紋、点描が思い思いに刻まれていた。

精霊の声を宿した器たち。


ひとりの女の子が、母に自慢げに言った。

「これは私の力作。風の声が聞こえるの」

母は微笑み、土器を撫でた。

「良い模様ね」


そのとき、背後から声がした。

振り向くと、アシリが静かに立っていた。


「変わりゆくもの、受け継ぐもの」

「精霊との語り」


女の子は目を丸くした。

「語りって、模様のこと?」


アシリは頷いた。

「模様は、精霊との語らいを記憶するもの。器に語りを宿すの」


子どもたちは、アシリの周りに集まった。

粘土を手に取り、模様を描き始める。


「ぐるぐる描いていいの?」

「顔みたいにしてもいい?」


アシリは笑みを浮かべながら、ひとりひとりに声をかけていく。


「渦巻きは、風の精霊を呼ぶ模様」

「つる草の模様は、命が生まれるしるし」

「点描は、声の粒。語りの震え」


子どもたちは目を輝かせながら、指先で模様を刻んでいく。

思い思い描かれた模様は、それぞれが違う語りを宿し、

語りの器となって、記憶される。


広場の隅では、カムナがその様子を静かに見守っていた。

白髪は風に揺れ、目は穏やかに微笑んでいた。


「語りが、継がれた」

その言葉が、風に乗って広がっていく。

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