第4話:裂け目の器
翌日、カナヤの者たちに導かれ、西へと若者たちが旅立った。
その中には、アシリの姿もあった。
風の声が「西へ行け」と告げたからだ。
朝の光はまだ弱く、霧が山の稜線をなぞっていた。
最初に向かったのは、隣村・カナヤ。
山のふもとに広がるその村は、石の匂いがした。
岩肌が露出した斜面では、石材を割る音が響いている。
男たちは石斧の形をつくり、女たちは砥石で磨いていた。
石器づくりが盛んな村——それがカナヤだった。
ひとりの男が、さらに西に広がる谷地を指さした。
「うちでつくった道具を、コメと交換している。
あそこがナガサ、タの地だ」
カナヤの若者が語る。
「これから、うちもタを作る。土をならし、水を引く」
「カシの木を伐る。森に陽を入れる」
その言葉に、シネプカの者たちは言葉を失った。
アシリが震える声で言う。
「カシは、実をつける。獣も集まる。記憶も宿る。
その木を伐れば、記憶は消える。模様がなくなる」
カナヤの者は鼻で笑いながら答えた。
「記憶より、コメだ。模様ではなく、タが食べ物をもたらす」
その言葉は、静かにシネプカの者たちの胸に刺さった。
アシリは、伐る予定だと聞いた丘のカシの木を見つめた。
葉が揺れ、風が通り、声が聞こえる。
それは言葉にならず、ただ泣いていた。
その夜、カナヤに用意された家の中で、シネプカの者たちは輪になって話し合っていた。
「ナガサはタをもち、カナヤでもタをつくる。
わたしたちは語る者の模様だけで、獣を呼べるのか」
「わからない。タを見てみないと」
声が重なり、風が揺れた。
翌朝、カナヤの者に案内され、アシリたちはさらに西へと向かった。
山を下り、谷地に向かう。
森が急に途絶え、視界が開けた。
そこに広がっていたのは、ナガサ——タの地。
森は切り開かれ、陽が差し込む。
地面はならされ、水が引かれ、見たこともない風景がそこにはあった。
水路はまっすぐに伸び、土は均され、空は広く開けていた。
風は、そこには吹いていなかった。
葉のざわめきも、鳥の声も、森の気配が感じられなかった。
空気は乾いていて、語りの気配はなかった。
ナガサの者が話す。
「ここには、語る者はいない。模様もいらない。
コメが育ち、獣が集まる。それだけで、命は続く」
アシリは、旅に持ってきていた土器片を抱きしめた。
そこには、つる草と渦巻きの模様が刻まれていた。
けれど、ナガサの中では、森も風も声は聞こえなかった。
シネプカの若者たちは、タの地を見渡した。
整って開かれた土地。明るい土地。まっすぐ流れる水路。
その光景は、異様ではあるが、何かしら惹きつけるものを感じた。
そのとき、タにうりぼうが飛び込んできた。
ナガサの若者がそれに飛びつく。
子供がおおはしゃぎする。
笑い声が響いた。
「模様より、確かなもの」
シネプカの誰かが呟いた。
その言葉は、重く、強く響いた。
語りよりも、実り。記憶よりも、収穫。
その価値の転換が、静かに始まっていた。
その夜、ナガサの広場では宴が開かれた。
コメが炊かれ、獣が焼かれ、カナヤの者もシネプカの者も皆笑顔だった。
火のそばでは、土器が並べられていた。
アシリは、ふとそのひとつに目を留めた。
その土器には、模様が全くなかった。
渦巻きも、波紋も、つる草も、点描も——何も刻まれていない。
ただ、形だけが整った土器。
記憶を持たず、つながりが途絶えている。
アシリは、静かにつぶやいた。
「この村には語りがない」
声は聞こえず、模様は震えず、器は沈黙していた




