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語り継ぐ器  作者: katari
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第3話:沈黙の器

夜が明けかけた頃、森の向こうから足音が聞こえた。

狩りに出ていた男たちが、疲れた足取りで村へ戻ってくる。

手にしていたのは、野兎とキジが一羽ずつ——それだけだった。


火のそばにいた女たちが顔を見合わせる。

はしゃいでいた子どもたちも、異様な空気を感じ取り静まる。

男たちは言葉少なに、獲物を土器へと移す。

その顔には、疲労と沈黙が滲んでいた。


「確かに再生の記憶は捧げられた」

若い狩人がぽつりと呟く。

「なのに、我々を獣に導かなかった」

その声は低く、火の揺らぎにかき消されそうだった。


別の男が言う。

「記憶は本当に森へ還ったのか?どうなのだ、語る者」

狩りのマツリをカムナが失敗したとの疑念が、風のように広がっていく。


男たちの追及の中、カムナは火の前に立ち、目を閉じていた。

そして細く目を開けると、静かに言った。

「森の声を聴いてくる」

そう言い残し、彼女は森へと入っていった。


そのころ、アシリは湖のほとりで、ひとり土器に模様を描いていた。

つる草と、それを取り巻く波紋——再生の記憶をなぞるように。

指先は迷いなく動いていたが、心は揺れていた。

そのとき、森の奥から、悲しげな声が届いた。 「私の体を切り開くものがいる」


昼になり、西からの風が強まりはじめた。

隣村のカナヤの者たちが、シネプカに現れる。

手には、模様ひとつない黒光りするツボ。

その中には、見慣れぬ白い種実が入っていた。


「コメというものだ」

彼らはそう言った。

「西の村、ナガサの者がくれた。水と土で育つ。火で炊くと、甘くなる」

村人たちは眉をひそめながらも、興味を隠しきれなかった。


カナヤの者たちは、長老たちに断りを入れ、ナベを借りて広場の火のそばで調理を始める。

水を注ぎ、火を焚き、ナベの中で白い粒がふくらんでいく。

香りが立ちのぼり、風がそれを運ぶ。

甘く、やさしく、知らない匂いだった。


土器に盛られた白い粒を、村人たちは恐る恐る口にした。

ひと口、ふた口——その瞬間、顔が変わる。


「甘い…」

「やわらかい…」

「うまい…」

初めて感じる味だった。山の実でも、川の魚でもない。

子どもたちは笑い、女たちは目を見合わせ、男たちは黙った。


村の方が静かになっていることに気づいたアシリは、模様を描く手を止めた。

先ほどまであった森の語りに、別の声が混ざり始めていた。

風の流れが変わり、土の匂いも微かに違っていた。


その夜、村人たちはカナヤの者を村に留め、くわしい話を聞いた。


「コメは、タというところで育てる。

森を切り開いて、土をならし、水を引いたもの——それがタだ」


村人たちは眉をひそめる。

「森を…切ったのか?」


「精霊の木を倒して、陽を入れた。そこに種をまいた。

自然の力じゃない。人の力でコメはできるのだ」


そのとき、森から戻ったカムナが静かに言った。


「そんなことはない。すべてのものは自然とともにある。

森の声を聴いてきた。力が弱まっていると。

切り開いた地には、記憶は宿らない。再生の記憶が途中で途切れたと」


カナヤの者たちは、壺の中の白い粒を見せつけながら言った。

「タには獣が集まる。放っておいても、匂いに引かれてやってくる」

「森はいらない。狩りをしなくても、獲物が来る」


村人たちは顔を見合わせる。半信半疑だった。


カナヤの者は言った。

「その目で見るといい。タの地を。コメの地を」

その言葉に、沈黙が落ちた。


離れた場所で、やり取りを聞いていたアシリは、自分の指先を見つめていた。

その指先は、まだ森の声が教えた模様を覚えていた。

渦巻き、波紋、つる草——それぞれが語りの記憶だった。


けれど、風は少しずつ、別の方向へ吹いていた。

模様は震えず、語りは沈黙しはじめていた。


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