お化け?
「マリア、情報集めてきたよ」
懇親のため、河原で洗濯を手伝っていたマリアにミケーラは声をかけた。
「ミケーラさん、今日はお休みなのにわざわざ?……どうしよう、申し訳ない、ありがとうございます」
マリアは手を止め、ミケーラを見て頭を下げる。
「いいよ、気にしなくて。あんた時間があるとここに来て手伝ってくれるからさ。皆あんたの姿を見て協力したいって言っているんだよ。それにあんたって元気で明るくて、頑張っているじゃないか!」
「ははは、ありがとうございます。明るく元気、それだけが取り柄です」
(そんな風に思っていてくれる人がいることが本当に嬉しい)
「これ、ここに情報が書いてあるから持っていきな!」
ミケーラはそう言って束になった紙をマリアに渡した。
その束を見て胸が詰まる。
「これ……すごい量ですね。本当に本当にありがたいし……申し訳ない。ミケーラさん……ありがとうございます」
マリアは濡れた両手をエプロンで拭きミケーラに礼を言った。
誰もが生きていくだけで大変な世界、そんな世界でこうして心を砕いてくれるミケーラや、協力してくれる人達、何一つメリットのない事を手伝ってくれた事にマリアの心が感謝で震え出す。
人の温かさに触れ、マリアは涙を堪えきれなくなった。
「何言ってんだい!みんなマリアが好きなんだよ。あんた一生懸命だし、いい子だよ」
ミケーラはそう言って涙ぐむマリアを抱きしめた。嬉しくて涙が溢れ出る。純粋にマリアの無実を信じ、応援してくれる。そんな暖かい気持ちを持って接してくれる人はいなかった。込み上げる気持ちは不安や悲しみではない。これが見返りの無い愛情だとマリアは知った。
「ありがとう、ありがとうございます……」
マリアは涙を拭いながら何度も礼を言った。自分がソフィじゃないと信じてもらえるだけで十分な上に、忙しい中でこれほどの協力してくれるミケーラ達。マリアは張り詰めていた緊張が解け、ほっとできる場所を見つけた。
早速部屋に帰り一枚一枚内容を確認し始めた。二百枚ほどある紙を一枚一枚確認するのは時間がかかる。だが、皆の思いが詰まっている。そして自分の命もかかっている。皆の気持ちに感謝しながら、一言一句見逃さないよう目を通す。
しかし、膨大な情報量だ。マリアは焦る気持ちを堪え、多少時間がかかっても良いと覚悟を決めた。
あっという間に夜になり、深夜バイトの時間がきた。
手を止め、管理棟に向かった。管理棟にはボニートがいた。出勤してきたマリアに引き継ぎをし、ボニートは帰らずそそのままマリアと雑談を始めた。
「最近北側の部屋どうだ?メイド達は何も言ってこないか?」
マリアはその言葉に目を見開き立ち上がった。すっかり忘れていたのだ。あの日、エリゼと会った深夜、確認しないで帰ってしまった。マリアは唇を噛み、頭を抱えた。
(どうしよう、職務を放棄してしまった……嘘をついて何もないと言いたい。だけど……)
マリアは小さくため息を吐きボニートに正直に話だした。
「ボニートさん、言いづらいですが少し前にメイドさんから相談がありました。確認に行く途中にエリゼ様に会ってそれから確認するのを忘れてしまいました……どうしよう、どうしたらいいのでしょう?」
マリアは唇を結び息を止める。叱責されても仕方のないミスだ。
「ハハハ!!マリア気にすんな!一回くらい大丈夫だよ。実際行っても何もないしな。本当に幽霊かもしれないしなぁ」
ボニートは豪快に笑いながらマリアに言った。マリアはボニートの言葉を聞き顔を上げた。
「……すみません、次は必ず確認します。で、でも、本当に幽霊だったら……」
マリアは顔色を変えボニートに言った。想像するだけで震えてしまう。
「でもさマリア、お前異世界の人間だろ?お化けより強そうだぜ!」
ボニートはそう言いながらマリアの肩をポンポンと叩く。
「え?関係ありますか?ないですよ……」
(だって異世界の人間だとしても、幽霊は異世界の魂?よ。生きていないのだから似ているようで全く違うと思う)
マリアは顔を顰めボニートを見る。
「関係……ないな、アハハハ!」
ボニートは楽しそうに大笑いした。ボニートの明るく適当な性格も嫌いじゃない。それになんだかんだマリアの心配もしてくれる。
「……ありがとう、ボニートさん」
ボニートは片手を上げ、笑いながら帰っていった。
マリアは一人になりエリゼの言葉を思い出していた。あの時エリゼに会って話した内容だ。
何人もの妻を娶ることが普通だというエリゼは、本気で誰かを好きになったことがないのだろうか?
本当に好きな人がいたらその人以外何も要らないと思えるほどの恋。身を焦がすほどの愛を知らないのだろうか?
そんなことを考えるとなぜかマリアの胸はズキンと痛む。エリゼはそれで良いと思っても、エリゼを本気で好きになるお姫様だっているはずだ。
どんな気持ちになるのだろう?自分を、自分だけを見てくれない人を好きになり、その人が他の人と過ごす姿を見続ける人生。時々振り向いてくれても、その時間は長くない。
(捕まえようとすれば出ていってしまうような人を好きになるだなんて、私には耐えられない。エリゼ様だって情熱的な恋を知ったら、あんなことは言えない。きっと)
マリアはため息をついた。
(エリゼ様の姿を思い出すと胸が苦しくなる。だけど……)
マリアは頭の中のエリゼを追い出すように首を振り、管理棟の日誌に目を通した。
コンコン
ドアを叩く音がする。誰かが訪ねてきたのだ。緊張で体に力が入った。
「どうされました?」
マリアは緊張した面持ちでドアを開けると青ざめた顔のメイドが二人、震えながら立っていた。
不吉な予感がする。どうか幽霊ではありませんように、と祈る気持ちで声をかけた。
「どうぞ中に」
二人は中に入るや否や、
「東側の奥、一階で音がするんです!」
「あと、女の人?の声がして……」
メイド達は震えながら話す。その瞳には涙が滲み、よほど怖い思いをしたのだと伝わってきた。
マリアも話を聞き同じように怖くなる。聞きたくなかったと思いながらも恐怖を堪え話を聞いた。
「北側の幽霊が移動したとか噂されてて、見に行ってもらえますか?私たちあの二つ隣の部屋の執務室にクロード様の明日着る上着を取りに行って帰る途中だったんです」
正直を言えば、断りたい。だが、仕事だ。その為に働き対価として給料を貰っている。
「うっ……わかりました。確認しますのでお任せください。結果は明日報告致しますね」
マリアは笑顔を浮かべメイド達に言った。内心は逃げたい。
メイド達はその言葉にホッとしたような安堵の笑みを浮かべ帰って行った。
メイドを見送ったマリアは大きなため息をついた。
引き受けたはいいが、一人で確認に行くなど怖すぎる。何度も立ち上がりため息をつき椅子に座る。
けれど、いつまでもこうしていられない。
「本当に怖い、けど、見に行くしかないわ……でも、北棟ではなくて東棟?幽霊って移動するの?いえ、移動するよね、きっと、」
マリアはフードを深々と被り震えそうになる手にランプを持ち、東側に向かって歩き始めた。
地下から一階に出て東に進む。だが、意外なことに北側より怖く感じない。
北棟は日中でも日が当たらない暗い雰囲気のある場所だ。そのイメージがより一層怖さを煽る。だが、東側は常に日が当たり、明るく暖かい場所だ。幽霊のイメージがないからなのか、真夜中でもあまり怖く感じない。
(……大丈夫かも知れない)
マリアは問題の部屋の前に立ちドアに耳をつけた。
ギシギシ、と音がする。
(!?こ、怖い!!)
だがふと気が付いた。これは現実的な音だ。その音はほぼ一定のリズムだが時々リズムが変わり、止まる。そしてまた動き出す。
「ま、まさか!?」
その音を聞き、察するものがあった。さらに耳を澄ますと荒い息づかいが聞こえる。
「嘘でしょ!?これって……」
マリアは顔を赤め、そっと鍵を差し込み出来るだけ音をさせないようにロックを外した。
そしてそっとドアを開けて大声を出した。
「こんなところで、どなたです!?」
マリアは目を見開き部屋の中で愛し合う人達を見た。心臓がバクバクと音を立てる。先ほどまでの恐怖と、ここまで来る勇気を返してほしい!そんな気持ちで叫んだのだ。
「うわー!!」「キャー」
その二人は慌てて離れ服を手にマリアを見る。
「……う……嘘でしょ?」
マリアはその顔に見覚えがあった。黒髪に金色の瞳の美青年、クロードだ。
「あ、あなたはクロード様?」
マリアは目を見開き驚いた。が、クロードに声をかけ、慌てて部屋を出て行く。
「じゃ、邪魔をして、すみません!戻ります!!あ、誰にも言いません。絶対に」
マリアは走って管理棟に戻った。




