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白い獅子の骸  作者: sume
第一章
7/13

調査

 夜の帳が下り、フェイミリアム城の南棟に灯る小さな灯が、静寂の中に淡い金色の輪郭を浮かび上がらせていた。




 セリムの部屋の窓辺には、細く尖った月がかすかに覗いている。机の上には、未だ開かれたままの文書束と、淡く揺れる蝋燭の火。




 セリムは椅子に腰掛け、背もたれにもたれることなく、まっすぐに書面に視線を落としていた。




 内容は、十年前の記録――兄クラウス・アシュノッドにまつわる資料だった。




 警備記録、埋葬の報告、そして最近になって発見された、墓の荒らされた痕跡。




 兄が葬られたのは、城下町・東地区の騎士たちが眠る公共墓地。 その葬儀には、幼い自分も参列した。泣き叫ぶこともできず、ただ雨のなか、祈りの中で兄の名を胸の奥に刻んだ。




 ――あのとき、自分は確かに棺が閉じられるのを見た。 賊との戦いで命を落としたと聞いていたが、兄の顔は驚くほど安らかできれいだったのが印象的でよく覚えている。


だが今、それが開かれ、中には何もなかったという。




 それを聞いたとき、胸に去来したのは、驚きよりも戸惑いだった。




「……何のために、こんな真似を」




 蝋燭の炎が、わずかに揺れた。 声を発したつもりはなかったが、独り言のように漏れていた。




 棺は開けられていた。だが中身が失われた理由も、時期も、誰の手によるものかも――すべてが霧の中。




 兄の最期を見た者は誰もおらず、報告はただ「侵入者との戦闘により死亡」とされていた。




 セリムは視線を逸らし、机の端に置かれた筆記用具へと手を伸ばした。  紙片に、いくつかの短いメモを書き記す。




『墓が荒らされた理由』『死体が消えた時期』『目撃者』『警備の記録の空白』――




 列挙された文字のひとつひとつに、思索の深みが刻まれていく。




 兄を殺したのは誰か。


 なぜ、いまこのタイミングで、再び掘り起こされたのか。




 セリムは深く息を吸い込み、椅子から立ち上がった。




 南棟の窓から見える城の塔は、かつて自分が過ごした場所。 その石のひとつひとつが、兄との記憶に繋がっていた。




 あの人は、何を守ろうとして死んだのか。  そして、その死は本当に“終わった”ことだったのか。




 十年前の喪失は、いまもなお終わりを迎えていない。




 セリムは静かに窓を閉めた。




 その音は、小さな決意の印。 過去を暴き、真実を掴むと心に誓った彼の、最初の夜が静かに更けていく。




 月の光は変わらぬまま、ただ静かに南棟を照らし続けていた。




────




 午前の授業を終えたセリムは南棟の書庫を出て、ひとり静かな回廊を歩いていた。彼の足取りは軽くも重くもない。ただ、ある目的地へ向かう意志だけがその背を押していた。




 目的地は、西棟の最上階――かつて彼が魔術の手ほどきを受けた、宮廷魔術師の私室である。




 廊下の突き当たりにある重い扉をノックすると、すぐに中から応答があった。




「入っていいぞ。火薬の匂いはしないはずだ」




 その声にセリムは思わず微笑み、扉を開けた。




 室内にいたのは、年齢不詳の男だった。銀混じりの黒髪を無造作に後ろで縛り、鮮やかな瑠璃色のローブを羽織っている。その瞳は理知的でありながらも、どこか皮肉めいた光を宿していた。




「……ディムナ先生」




「おお、やっとその声を聞けた。久しいな、セリム」




 セリムは自然と姿勢を正した。


 ディムナ・リース。フェイミリアム城に仕える魔術師であり、十年前、セリムがアルメリアの士官学校へ入る前に基礎を叩き込んでくれた人物だ。




 少年時代に最も知的な刺激を与えてくれた存在であり、官を辞す直前まで信頼を寄せていた。




 彼は風変わりだが面倒見がよく、セリムにとっては教師というよりは人生の“案内人”に近い存在ともいえる。




 室内は相変わらず雑然としていた。机の上には研究書が山のように積まれ、窓辺には魔術に使う触媒草がいくつも干されている。




「ここに来るのは、官を辞す前ぶりだろう。田舎での隠遁生活はどうだった?」




「静かで、学びには適していました」




「そうか。……けれど、お前がこんな早さで城に戻ってくるとは思っていなかった」




 セリムは黙って微笑む。




「……クラウス殿のことか」




 セリムはその名を聞いても即答しなかった。ただ頷き、部屋の片隅の椅子に腰を下ろした。




「誰かが、彼の眠りを妨げた。それを放っておくわけにはいきません」




「……変わらんな。昔から、筋の通らないことには黙っていられない子だった」




 ディムナはそう言いながら、机の上から古びた記録の束を取り出した。




「当時の公文書には残っていないが……一部の記録は、私の方で写しを保管してある。もし調査に必要なら、自由に見て構わない」




「ありがとうございます。先生の書庫に手を伸ばすのは、少し緊張します」




「ふっ。そんな殊勝なことを言う子だったか、お前は?」




 セリムは雑然とした山から資料を手に取るとぱらぱらとめくりながら、呟くように言った。




「先生。あの時……私は十歳でした。兄の死に、何もできなかった。……でも、今なら、何かを掴める気がする」




「そう思うなら、ためらうな。お前はあの白獅子クラウスの弟であり……私の一番優秀な弟子だった」




 セリムはその言葉に目を見張り、そしてゆっくりと頭を下げた。




「今も……そう思っていただけるなら、光栄です」






 ディムナは頷くと、一冊の黒革の帳面を差し出した。




「今朝まとめたばかりだ。“墓が荒らされた前後三日間”の城下と東墓地周辺における魔術使用記録――公的な届け出のない、異常な魔術痕を抽出した一覧だ」




 セリムは手に取ると、すぐに目を走らせた。術式の種類、座標、術者不明、強度――様々な情報が淡々と記されている。




「このあたり……術式の構成が、軍用とも学術とも異なる。民間でもない。奇妙だな」




「術痕の揺らぎが不規則だった。抑制された痕跡と、逆に力任せな発動が交互に並んでいる。これは、複数人による協働か……あるいは、ひとりの術者が強制的に“何か”を操作していた可能性がある」




「……魔術で遺体を消すことは、可能ですか?」




 セリムの問いに、ディムナは静かに眉をひそめた。




「厳密に言えば、“無傷のまま消す”のは難しい。腐敗や損壊を伴わず完全に消失させるには、かなりの術力と特殊な契約が要る」




「術式の痕跡からは、そのような高度な魔術は……?」




「検出されていない。ただし、痕跡を意図的に“消された”可能性はある」




「……術者自身が、自らの痕跡を消したということですか」




「そう。魔術師なら可能だ。高度な術士が意図して足跡を断ったとすれば、単なる盗掘や愉快犯とは次元が違う」




 セリムは帳面を閉じ、机の上にそっと置いた。




「先生。十年前の兄の死……あれにも、魔術が関わっていたと考えたことは?」




「考えたさ。だが当時は“死因を問うな”という上層の命令が強すぎた。私も手を出せなかった」




「……そうですか」




 淡く苦味を帯びたその言葉に、ディムナはふと視線を逸らし、続けた。




「お前は昔から、“型に嵌められる”ことを嫌った。教え子の中で、一番厄介で、そして……一番優秀だったよ」




「……先生の授業がなければ、私は魔術に興味を持たなかったと思います」




 ディムナはそれを聞いて、ふっと口元を緩めた。




「褒め言葉として受け取っておこう。だが、ここから先は命を削る調査になるぞ。兄の影を追いすぎて、自分を見失うな」




「心得ています」




 机の蝋燭が、小さく揺れた。




「報告書は複写を用意させよう。調査の基礎にはなるはずだ。……そして、何か分かったらすぐに知らせろ。お前の推察力は、文官としてより、魔術師としても一級品だ」




「ありがとうございます、先生」




 礼を述べたセリムは帳面を抱え、文書庫をあとにした。




 背を向けた弟子に、ディムナは静かに囁いた。




「……クラウス。お前の弟は、立派に育っている」




 そう呟く彼の声は、まるで時を超えて亡き友に語りかけるように、優しく沈んでいた。




────




 南棟の一角。かつて文官たちの控えの間として使われていた石造りの応接室に、セリムはマクシムを訪ねた。




 昼過ぎの陽光が高窓から差し込み、重厚な机に淡い影を落としている。




 「お時間をいただき、恐縮です。マクシム殿」




 「とんでもない。こちらこそ、またこうしてお顔を拝見できたことを、嬉しく思いますぞ」




 マクシム・ベルノワは、細身ながら背筋の通った姿で椅子に腰掛けていた。白銀の髪に、深い皺を刻んだ顔。それでも目元には揺るぎない知性と誠実さが宿っていた。




 「クラウスの……兄の葬儀のときのことを、改めてお聞きしたいのです」




 セリムの言葉に、マクシムはゆっくりと眼鏡を外し、磨きながら遠い記憶を手繰るように目を伏せた。




 「あれは……もう、十年も前になるのですね」




 「はい」




 「私は、埋葬当日は城に詰めており、出席が叶いませんでした。セリム様と、大公殿下と……テオドール殿たち…近親者のみで、静かに執り行われたと記憶しております」




 セリムは小さく頷いた。あの日の空気の重さは、十年の歳月を経てもなお忘れられない。




 「では……事件当夜、兄の遺体が葬られた“あの棺”が、実際に開けられていたのを最初にご覧になったのは、マクシム殿なのですね」




 「ええ。事件が発覚した翌朝、管理人の報告を受けて私が現場に赴きました。棺の蓋は少しだけずらされておりましたが……明らかに“意図的に”開けられた痕跡がありました」




 マクシムの声には、怒りとも悔しさともつかぬ静かな震えがあった。




 「……遺体は、跡形もなく消えていたのですね?」




 「はい。死後十年が経過しているとはいえ、棺の内壁にも遺留物は一切残されておりませんでした。まるで……最初から何も納められていなかったかのように、整っておりました」




 セリムの眉がわずかに動く。




 「だが、それはあり得ません。私は……あの場にいた。確かに兄は、そこに葬られた」




 「存じておりますとも。ですからこそ、私もあれは――普通の“墓荒らし”などではないと、確信いたしました」




 窓からの光が、二人の間に落ちる。




 「城下の者の中には、あの晩、不審な気配や音を感じたという者もおりました。けれど、それが“何”だったのかをはっきりと語る者はいません。誰もが……あの方のことを口にするのを、恐れていた」




 セリムは指先で唇に触れ、わずかに息を吸う。




 「兄が、死してなお何かに巻き込まれていたとするならば――それは“なぜ”なのか」




 マクシムは机に手を添え、眼鏡をかけ直した。




 「それを解き明かすことができるのは……今や、あなたしかおりません」




 重い言葉だった。




 だが、だからこそ、セリムの瞳は確かに深く揺れ、そして静かに澄んでいく。




 「マクシム殿。どうか、ご協力をお願いいたします」




 「当然のことです。あの方のために。……そして、あなたのために」




 その言葉に、セリムはわずかに目を伏せた。




 兄の影を追いながら、それでも“自分自身”として歩むために。




 その一歩が、また今、静かに刻まれていた。

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