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白い獅子の骸  作者: sume
第五章
26/33

探索

 メルベール城に到着して数日。アルフェリスは、この大きな城内をじっくりと歩きながら、足元に広がる秘密を少しずつ掘り起こしていた。彼の視線は鋭く、無駄な言葉は一切発しなかった。だが心の中では、常に『何か』を探し続けている。城内を徘徊し、従者や使用人たちとの軽い会話を交わしながら、アルフェリスはその場の空気を読み取ることに長けていた。誰もが無意識のうちに隠すようにしている情報、普段なら気づかれない微細な変化を、彼はしっかりと拾い上げる。




そうして得た情報の中で、アルフェリスが強く引き寄せられたのがアカシア姫の住まう塔の地下室だった。だれも足を踏み入れたことがない場所、それはすなわち、何かが隠されている証だ。そして、それは確かにただの好奇心ではなく、彼の中で膨れ上がった『予感』から来るものだった。姫の塔に存在するその地下室、ここには彼が探し求めている答えが眠っている気がしてならなかった。




アルフェリスはその思いを胸に抱きながらも、決して焦らなかった。焦れば逆に何も得られない。だからこそ、少しずつ、慎重に情報を収集し続けた。厨房で働く使用人や、書庫で忙しげに本をめくる学者たち、そして無関心そうに見える庭師まで。すべての言葉の中に潜む、ほんのわずかな不一致を見逃すことなく、アルフェリスは彼らと接していた。




「あの塔の地下室、冷たすぎるらしいんだよな…姫様のための氷室って噂もあるけど…」


ある使用人が、ぽつりと漏らした言葉が耳に入った。冷たすぎる…それだけでなく、他にも奇妙な言い回しを耳にする度、アルフェリスの中で確信が強まっていった。アカシア姫にまつわる噂がちらほらと耳に入る。普段から物静かで威厳のある姫だが、時折見せる冷徹な一面に、どこか不穏な影を感じていた。




それでも、アルフェリスの心の中でその疑念が膨れ上がり、そして同時に静かな興奮も湧き上がった。『何かを解き明かしたい』という思いが、まるで火花のように彼の胸の中で散り、それがまた一歩前進するための力に変わっていく。決して衝動的なものではなく、あくまで計画的に、しかしその計画を進める速度は自分自身のペースでだ。焦って足を踏み外すようなことは許されない。そう、慎重に、しかし着実に。




「地下室に関する情報は、集めた分だけでも十分だ。あとは、実際に確かめるだけだ」


アルフェリスは決意を新たにし、その日もまた一歩、姫の塔に足を向けた。




その日の昼過ぎ、城の人々がそれぞれに仕事をしている中で、アルフェリスは何度も塔の周辺をうろついていた。目立たぬように、だが確実に一つ一つを確認しながら。塔に近づく者は少なく、しかもその大半がアカシア姫の周囲の者たちだ。誰も彼に気づくことはなく、誰も彼に注意を向けることはなかった。




アルフェリスの心の中に浮かんだのは、「ただの塔に過ぎないのか?それとも…」という疑念だった。誰も立ち入ることができない、その地下に何が眠っているのか。それこそが、アルフェリスの探し続けていた答えに他ならなかった。






アルフェリスが塔の前に立った時、彼の胸の奥で何かが鳴り響いた。好奇心と期待、そして微かな不安が入り混じった感情が、彼の中で渦を巻いていた。しかし、その不安は決して動揺ではなかった。むしろ、冷静を保ちながらも、少しずつ高まる興奮を感じていた。




手が扉の取っ手に触れる直前、背後から聞こえた足音がその興奮を引き裂く。音は微かで、誰かが歩いてきているだけだと気づくのに時間はかからなかった。しかし、アルフェリスは一瞬でも振り返ることができなかった。なぜなら、その足音がただ者ではないことを瞬時に感じ取っていたからだ。




心臓が一瞬、跳ねる。だが、冷静さを欠いてはならない。




「無駄なことをしたな」と、心の中で呟いた。もう隠しきれない。隠し事は得意だが、ここで見つかるわけにはいかない。だが、今更引き下がることはできない。




「あなた、セリム様のご友人?」




その声を聞いた瞬間、アルフェリスは思わず体を強張らせた。振り向かずにいても、その声は他の誰とも違うものだった。冷徹でありながらも、どこか柔らかく、耳に残る。その声を放った人物は間違いなく、アカシア姫だ。




声が聞こえるまで、ほんの一瞬の沈黙。まるでアルフェリスの心臓の鼓動さえも、アカシア姫に聞かれるかのような静けさだった。




彼の心の中で、瞬時にいくつもの考えが駆け巡った。




—どうして気づいた?


—どこで見られた?


—それとも、最初から気づかれていたのか?




おそらく、アルフェリスが思っている以上にアカシア姫は周囲の動きに敏感だったのだろう。彼女はただの姫ではない。彼女自身の存在が、ある種の「圧力」を放っている。




その圧力に、アルフェリスは一瞬、息が詰まりそうになった。普段なら、誰にも見破られることなく、すべての計画を進めてきた。だが、アカシア姫は異質だった。彼女の目には、アルフェリスの計算がすべて見透かされていたように感じられた。まるで無言の問いを投げかけられたかのようだ。




—―見透かされている。




その考えが脳裏に浮かび、背筋がぞくりとした。アルフェリスは目を閉じ、わずかに息を吸ってからゆっくりと振り返った。




アカシア姫は立っていた。


その存在そのものが、まるで冷たい風をまとったような威圧感を放っている。彼女の瞳には、穏やかな微笑みすら浮かんでいたが、その微笑みには隠された強さがあった。強さとは、ただ力を持つことではない。支配的でありながら、周囲を引き寄せる魅力がある。




そして、その瞳が、アルフェリスを見据えている。その視線には、計り知れない冷徹さと洞察力が宿っていた。




アルフェリスは心の中で舌打ちした。彼女に見破られたわけではないと自分に言い聞かせながら、でもその確信がどこかで揺らいでいるのを感じていた。




「セリム様に伝言を頼めますか?」


アカシア姫の言葉が、アルフェリスの頭の中で反響する。彼女の意図を理解しようとする間もなく、姫はさらりと次の言葉を続けた。




「明日…わたくしの部屋にいらっしゃるようにお伝えいただけますか?」


その言葉に隠れた意味をアルフェリスはすぐに感じ取った。姫の言葉には、問いかけの裏に「あなたが何者か」を確かめる試みが込められていた。そして、その問いには、彼女が全てを知っているかのような雰囲気があった。




アルフェリスは心の中で冷や汗をかきながらも、その表情に変化を見せなかった。決して動じず、完璧に演技を決める。そんなことはできる。だが、姫の冷徹な目を前にして、ほんの少しだけでも戸惑いが浮かんでしまった。彼女に対して、ほんの少しでも恐れを見せるようなことがあれば、それがすぐに彼女に伝わると確信していた。




「……わかったよ、姫さん。」


言葉が口をついて出る。だが、心の中では、一瞬、彼女に見透かされたのではないかという恐怖がよぎる。




その時、アカシア姫が一歩後ろに下がり、冷徹な微笑みを浮かべた。その微笑みは、まるで「やはり、あなたはそう言うだろう」という確信を持っているかのようだった。




「お待ちしておりますわ……あなたも」


その言葉の後、姫は何も言わずに背を向けて歩き去った。アルフェリスはその背中を見つめながらも、ひとしきりの緊張が解けたわけではなかった。むしろ、あの目を再び思い出すたびに、胸が締め付けられるような気がした。




彼の足元には、まだ未開の扉があった。だが、今、アルフェリスの心に芽生えたのは、ただの好奇心ではなく、アカシア姫に対する不安と興味の入り混じった強烈な感情だった。




―――――――――――――




 アルフェリスが部屋に戻ると、すでにセリムとテオドールが待っていた。室内には静かな緊張が満ちている。窓の外は夕刻の光に染まり、長い影が床を這っていた。




 「遅かったな、アルフェリス」




 テオドールが立ったまま口を開いた。その声には咎める色はなかったが、彼の視線はじっとアルフェリスを見据えていた。




 「……姫さんに、会ったよ」




 短く告げたアルフェリスの声には、僅かな疲労と興奮が滲んでいた。




 セリムが椅子から身を起こす。


「どこで?」




 「塔の地下に通じる扉の前で……背後から声をかけられた。隠れる余地も、言い逃れる余地もない状況で」




アルフェリスは普段の飄々とした態度からは想像はつかないが、優秀な男である。武芸の嗜みもないような姫君に見つかるなどという失態は犯すはずもない。


セリムとテオドールは、まさか、と驚きを隠せない。




 「……で、どうなった」


テオドールの声は低い。




 「俺を咎めずに…セリムくんへの伝言だけ頼まれたよ。“明日、わたくしの部屋にいらっしゃるように”」




 沈黙が落ちた。




 セリムの顔に浮かぶのは、意外というより、むしろ予感が的中した者の厳しい表情だった。




 「地下に立ち入ろうとした者を、責めもせず、ただ“招く”……か」




 「警告かもしれん」


テオドールが短く言う。


「誘いの形をした、牽制。あるいは――罠だ」




 「かもな」


アルフェリスが慎重に言葉を選ぶ。




「でも…あのときの姫さんの声には、敵意よりも、ある種の……静かな決意みたいなものを感じたよ」




 セリムは目を細める。


「……彼女は、何を話すつもりなのだろうな。」




 「行くつもりか」


テオドールが問う。セリムはわずかにうなずいた。




 「行く。こちらが動く前に、向こうから“扉”を開けてきたのだ。ならば、見届けねばならない」




 テオドールは腕を組み、少し考え込んだ。


「俺もついていくべきか」




 「いや……招かれたのは私とアルフェリスだ。二人だけがよいだろう。彼女が“私”を名指ししたのなら、それに応じるのが礼儀だ」




テオドールは一瞬心配そうにセリムを見つめたが、アルフェリスがいるなら問題ないだろうと判断し、セリムに忠告だけした。




 「そうか……気をつけろよ。あの姫は、綺麗なだけの女じゃない」




テオドールの言葉にアルフェリスが頷きながら、静かに続けた。




「そうだな…あの眼差しは……人の嘘と真実を見透かす力を持っている」




 セリムは微かに笑んだ。




「ああ。だが、私の中にある“真実”を、今さら隠しても仕方ない」



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