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白い獅子の骸  作者: sume
第四章
21/27

亡命

 フェイミリアム宮の政務殿――北棟に位置する「評議の間」は、いつにも増して重々しい空気に包まれていた。北境ではメルベール・エムステルド連合軍がダリアブルク城に迫り、戦火の気配が日に日に濃くなる。そんな中、城下に設けた仮庁舎では、ダリアブルクから逃れてきた難民一団が、子どもや女性とともに保護されている。




会議室には、何人かの貴族が声高に議論を交わしていた。




「――到底、認めるわけにはいかぬ! あのアシュノッドの血を引く若者が率いる集団は、将来、暴徒と化す火種だ!」



と、老練なランサム伯が机を叩き、感情を露わにした。




一方、別の若手侯爵は冷徹な計算を語る。



「我が国が難民を庇えば、メルベールやエムステルドが好機と見て、すぐに城門を叩くことになる。国家の安全が脅かされるのは明白だ。」




その議論に、しばしの静寂が広がった。会議室中央の高座に座すのは、フェイミリアム大公、ヴァレリー・エンデル・フェイミリアムであった。


彼は、これまでの戦乱の波の中でかろうじて国を守り抜いてきた、民を愛する真摯な君主として知られる。




ヴァレリーはゆっくりと両手をテーブルに置き、深い瞳で部下たち一人ひとりを見渡す。




「我らフェイミリアムが築いてきたのは、ただの秩序や権力ではない。民の幸福こそが、真の国家の礎である」



その声は、厳しさと温もりとが奇跡的に調和し、議場に柔らかな光をもたらした。




「かつて、我が国は数多の難民を迎え入れ、苦しむ民に希望を与えてまいりました。もし、あの者たち――――クラウス・アシュノッド殿、その若き騎士が率いる一団を拒むのであれば、誰が彼らを救うのでしょう?」




一瞬、室内が息をのみ、微かにざわめきが走った。ヴァレリーは続けた。



「確かに、血統はダリアブルク大公家の遠縁。だが、それは彼が過去の亡国の悲劇を背負うだけの宿命を意味するものではありません。むしろ、その若さと不屈の精神こそ、未来へと生まれ変わる希望そのものなのです。」




老騎士が報告した。



「衛兵の報告によれば、クラウス殿は道中幾度もメルベール兵や賊の襲撃を受けながら、最小限の犠牲で民を守り抜き、ここまでたどり着いたとのこと。剣は血に染まりながらも、決して私欲や報復のためではなく、ただ人々を生かすために振るわれたという。」




ヴァレリーは一層身を乗り出し、厳しい現実を受け止めつつも、情け深い視線で訴える。



「戦は、必ずしも剣と血で決まるものではない。民の笑顔、希望の光、そして苦しむ者たちの叫びこそ、我が心に重くのしかかる。今日、我々が選ぶべきは、ただ己の力の誇示ではなく、未来を託す覚悟であるべきであろう。」




部屋の空気は、瞬く間に変わり始めた。議論に抗う者もいれば、深い感銘を受ける者も現れ、やがて、反対派はひとしきり沈黙を余儀なくされた。




「かかる時、民のため、未来のために、我らは受け入れるべきである」


ヴァレリーは静かに、しかし揺るがぬ声で宣言する。

「騎士・クラウス殿とその難民一団を、保護する。彼らがここに辿り着いたのは、必然であったと私は信ずる。」




この大公の決意は、単なる政略を超え、フェイミリアムの民に刻まれる誓いそのものであった。



その姿勢は、今後の戦火の混乱の中で、一筋の光明となるであろう――国を率いる者としての、静かな矜持の現れであった。






—―――――――—―――――――




フェイミリアムの旧庁舎の一室、夜の静けさが包み込んでいる。


ダリアブルクから逃れてきた者たちは、一時的に使用していない旧庁舎の部屋を寝泊まりのためにあてがわれていた。




薄明かりの灯火がゆらめき、部屋の隅に寄りかかるようにクラウスはひとり、疲れた身体を沈ませていた。




「お父様……どこ?」




セリムの小さな声が、暗闇の中でひっそりと響いた。


それは夢うつつのようで、無意識から漏れた問いかけだった。だが、その無邪気な声が胸に突き刺さる。セリムはまだ眠っているのか、それとも起きているのか。クラウスはその声に、どう答えてよいのか迷う。




心の中で叫んだ。父は比類なき騎士であったが、あの猛攻の中、生き延びられたとは思っていない。テオドールの父とともに、おそらくもう戦場に散っている。どうして、この幼い子に、父親の死を知らせなければならないのだろうか。




答えなければならないとわかっていても、言葉が出ない。目の前の弟は、ただ無邪気に父親の帰りを待ちわびている。それに応えることができない自分が、胸の中で切なく痛んだ。




「お父様は、すぐに帰ってくるよ。」




思わず口にしたその言葉が、虚しく響いた。


父親が戻ることは決してないのに。だが、セリムにはまだその現実を教えたくない。その現実を突きつけることができない。彼には、せめてその無邪気さを少しでも長く保ってほしいと思う気持ちが、胸を締めつけた。




その時、扉が静かに開き、テオドールが姿を現した。左目には包帯が巻かれ、目元には依然として血の跡が残っている。傷口はまだ痛み、無理をしているのがわかる。だが、テオドールの顔には、どこかしら軽やかな表情が浮かんでいた。




「大丈夫か?」


クラウスは心配そうにテオドールの傷を見つめた。だ




が、テオドールはその視線を感じながらも、あっさりと肩をすくめた。




「心配するな。」




彼は軽く笑ってみせるが、その笑顔には無理が隠れている。それを見抜いたクラウスは、心の中でため息をつく。




「無理をするな。」


クラウスは静かに言った。


「傷が治らないうちに動き回らないでくれ。」




だが、テオドールはその言葉を軽く受け流す。


「これくらいの傷なら、すぐに治る。」


その言葉に、クラウスは無理に笑顔を作るわけでもなく、ただじっとテオドールを見つめた。それは、彼が無理をしているのを理解しているからこその視線だった。だが、言葉では言い表せない感情が、クラウスの心に湧き上がった。


そのとき、部屋の扉が再び開き、アルフェリスが現れる。彼は少し肩をすくめて、ふざけた調子で言った。




「お前ら、こんな時間に話し込んでるのか?」




その言葉に、テオドールはわずかに眉をひそめ、そしてふと、無意識のうちに肩をすくめる。


「そこまでじゃない、俺も今ちょっと立ち寄っただけさ。」




テオドールは軽く笑いながら、クラウスに目を向ける。その目には、どこか真剣さが宿っていた。




「クラウス、お前が生きている限り、それがダリアブルクの者たちにとって希望になる。」




テオドールは言葉を選ぶように、しかし確かな口調で言い切った。


アルフェリスは静かに二人を見ている。




クラウスの心に突き刺さる。


胸の中で、何かが重く圧し掛かってきた。言葉本当に意味するところを、クラウスは理解していた。


クラウスの生家であるアシュノッド家は、数代前にダリアブルク大公家の者が臣籍降下して生まれた家柄であり、大公家の遠縁にあたる。代々騎士として大公家に仕えており、騎士団長をはじめとした国の重要な役職を歴任している名門でもある。




ダリアブルク大公は後継を決めずに崩御しており、直系の親族はこの戦乱の中ですでに亡くなっている。また、大公の親類も数年前から続く内乱で亡くなっていたり、他国へ亡命したりと霧散しており、現状、ダリアブルクを継ぐべき者が存在しないのだ。




ダリアブルクが再興を望むならば、現時点で所在が明らかであり大公家の流れを汲む彼の存在がその象徴となる。再興を望む者がいれば、背負わなければならない。しかし、クラウスはその重責を負いたくなかった。




「だが、それには応えられない。」




クラウスは静かに答えた。目を閉じ、深い息をひとつ。テオドールの言葉が、胸に響いていたが、それを否定しなければならなかった。




「無用な火種をまくつもりはない。」




その言葉は冷徹に、しかし確固たる意志を持って発せられた。




「私は、ダリアブルクの再興など望まない。今はただ、セリムを守り、無事に育てることだけが最優先だ。」




クラウスの言葉に、空気がひとしきり凍りついた。


その瞬間、テオドールの顔に一瞬の戸惑いが浮かんだ。それから、彼は黙ってクラウスを見つめ、やがて言葉を絞り出す。




「でも、いつかその時が来たら、クラウス……どうするか決めるんだろう?」




テオドールの声には、確かな期待が込められている。




クラウスはゆっくりと頷く。その視線は、セリムの寝顔に向けられたままだ。あの無邪気な顔に、彼は一切の重責を背負わせるわけにはいかない。セリムを守るため、そして自分自身が進むべき道を貫くために。




「その時が来たとき、私が決める。」


クラウスは言葉を続ける。


「それまでは、セリムと共に生きていく。」


その覚悟が、彼の中で固まった。




テオドールは静かにうなずき、その後、少しだけ肩をすくめる。


「まあ、お前がそう言うなら、それでいい。」


彼は口を開けたが、その顔に浮かんだのは、どこかしら無邪気な笑みだった。


「……俺がついてるからな。一人で背負うんじゃないぞ。」


テオドールの言葉には、何気ないが確かな支えが込められていた。




クラウスはその言葉に、何度目かの深いため息をつきながらも、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。




目の前の仲間、そして無邪気に眠るセリムを守るために、これからも戦い続ける。それが彼の決意だった。






—―――――――—―――――――






初夏の光がやわらかに差し込む庭園では、白花の咲き始めた草花がそよ風に揺れていた。フェイミリアムの城の中庭に、ようやく平穏が戻ってきたことを告げる静かな風景。




フェイミリアムの受け入れにより、ダリアブルクからの避難民はおおよそ落ち着きを見せ、クラウスやテオドールも正式に騎士として仕えることが決まった。彼らは訓練場での稽古や職務に追われながらも、日々を前向きに生きていた。しかしその穏やかな日々のなかで、兄弟が失ったものの大きさに心を馳せるとき、胸の奥に冷たい石のような重みが残るのだった。




クラウスは、幼いセリムに父の死を告げることができなかった。


あの混乱の中、父は最後までダリアブルクに残り、彼らを逃すために剣を取った。その知らせが届くことはもうない。けれど、確信はある。父はもう……。




クラウスに代わって、赤い髪と瞳をもつ放浪の青年――アルフェリスが、セリムの傍を見守る者として城にとどまっていた。


彼は飄々としていて、誰に対しても敬語を使うことなく、どこかつかみどころのない雰囲気を漂わせている。騎士でもなく、従者でもない彼が、なぜセリムのそばにいるのか。それはクラウスにとって、心の拠り所のようなものでもあった。




その日、セリムはアルフェリスといっしょに、庭園の一角に腰を下ろしていた。傍らには一冊の本。難しい内容が書かれているわけではない。兄のように本を読む姿に憧れ、ただページをめくるだけの遊びにも似た仕草。それでもセリムにとっては、大切な時間だった。


クラウスも仕事の合間を縫って会いに来ており、傍らに立って見守っている。




「……これ、全部読むのか?」


赤い髪の青年が、日差しを浴びながら何気なく声をかける。


「うん……いっぱい勉強して兄上をお助けするんだ」


「それは感心、分からないことがあればアルフェリスに聞きなさい」




優しく微笑むとクラウスはセリムの頭を撫でた。セリムは頬を赤らめながら、本に視線を戻した。


アルフェリスはそれ以上何も言わず、少し離れた場所で草むらに寝転がる。


そのときだった。




「――あ、そこの子!」




透き通るような声が響いた。見ると、小さな女の子が二人の侍女に手を引かれながら、庭の通路を歩いている。ふわりとした栗色の髪に、大きな翠の瞳。小さなドレスの裾を軽く持ち上げながら、こちらへ駆けてきた。




「あなた、どこから来たの?見かけない子ね」


セリムは不思議そうに瞬きをした。あまりの突然の問いに、言葉が出てこない。


「とってもかわいいわね! いっしょにお花あそびしましょ?」




オーブ姫だった。城の主であるヴァレリー大公の一人娘で、まだ二歳になったばかり。言葉もやっと覚えはじめた頃だが、その好奇心の強さと行動力は、侍女たちを日々困らせていた。




クラウスは女の子に間違われた弟に苦笑しながら、姫君に礼をとる。




「殿下、わたくしは、先日フェイミリアム騎士団に叙されましたクラウス・アシュノッドと申します。」


「あなたがあたらしいきしの……とってもかっこいいですわね」


幼いながらも新しい騎士が増えたことや城内が落ち着きのなかった様子はオーブ自身も認識していた。


目の前の若い美しい騎士に幼い少女は憧れのようなまなざしを向ける。


姫君からの賛辞にクラウスは完璧な微笑みを浮かべると、横に控えていた侍女が少しざわついた。




「オーブ殿下、この者はわたくしの弟、セリムにございます。残念ながら女ではありません。」




オーブはぱちくりと目を瞬かせた。


「そうなんですの…?こんなにかわいいのに?」


人見知りのセリムは兄の後ろに隠れ、彼の外套の端を握りながら、静かにこくりと頷いた。




そのまま彼女は、手に抱えていた小さな花かごから一輪の白い花を取り出し、セリムに差し出した。




「これ、あげる。おともだち、ってこと!あっちで遊びましょ」




戸惑いながらも、その花を受け取るセリム。




アルフェリスは少し離れた場所から、その光景を静かに見守っていた。セリムとオーブ姫のやり取りを眺めながら、微笑みが浮かぶ。




「随分と積極的な姫さんだな、あの侍女たち毎日振り回されてるんだろうな」


アルフェリスがからからと笑い、クラウスが続ける。


「城内に子どもはほとんどいないから…セリムに友達ができるのはいいことだ」




二人はしばらくその様子を見守りながら、穏やかな空気に包まれていた。


オーブ姫の明るい笑顔と、戸惑いながらもそれに応じるセリムの姿が、なんとも微笑ましい。




「お友達ができると、セリムももっと楽しくなるだろうな」


アルフェリスが静かに言った。


クラウスは、少し照れたように肩をすくめながら答える。




「ここに来たばかりの頃は部屋に閉じこもりがちだったから…こうして、誰かと遊べるようになるのも前に踏み出す一歩だな」


「そうだな」




庭園には、やわらかな春の風が吹き抜け、白い花の香りが漂う。その香りに包まれた空気が、セリムの心にほんのりとした温もりを灯していた。


その日が、彼とオーブ姫の幼き日々の始まりだった。

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