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白い獅子の骸  作者: sume
第三章
18/33

疑念

 セリムは、手元の文書を何度も読み返していた。情報は揃っている。証言も矛盾なく並べられている。しかし、どうしても違和感が拭えなかった。




「クラウスの遺体が…どうして消えたんだ。」




セリムは低く呟いた。葬儀に参加した者が確かに目にしたという、あの遺体が――今はどこにもない。納棺され、埋葬されたはずの遺体が、何故、今になって姿を消したのか。




アルフェリスはセリムの肩越しにその書類を覗き込み、無表情でひとつ息を吐いた。




「遺体が消えたって、妙だよな。」




その言葉にセリムは一瞬顔を上げ、アルフェリスを見つめる。




「誰が最初に気づいたか、どんな状況だったか、全部整合性は取れてる…でも、なぜか無理がある。」




セリムは少し苛立ちを滲ませて言う。


何度も記録と証言を見返してみても、どうしても解消できない違和感が残る。




アルフェリスはゆっくりと首をかしげて、続ける。




「なあ、セリムくん。気になったのは、墓が荒らされた時の話だぜ。あれだけ荒らされて、でも棺桶が妙にきれいだったって…それってどう考えても普通じゃないだろ?」




セリムの目が一瞬鋭くなる。アルフェリスの言葉が、頭の中で重く響いた。




「それに、一ヶ月前にあったあの事件。あの時、誰も遺体を見つけることができなかった。それにしては、遺体が消えるなんてあり得る話じゃない。」




セリムは改めてその言葉を反芻し、考え込む。




「遺体が盗まれた……どうして」




セリムの問いかけに、アルフェリスは軽く肩をすくめ、冗談めかして言った。




「墓を暴いたのは、誰かが過去を掘り返してほしかったから…なんてな。まあ、冗談だけど。」




その言葉にセリムは少し顔をしかめ、黙り込む。冗談だとしても、アルフェリスの言葉にはどこか鋭さがあった。




「誰かがやったに違いない。それに、ただ消えたってのはおかしい。誰かが運んだんだろ。」




セリムは再び書類を手に取り、目を細めながら言う。




「…誰が、そして何のために。」






その言葉に、アルフェリスは少しだけ興味深そうに顔をしかめた。


「どこかに隠してるのかもしれないな。真実を。」


その言葉に、セリムは頷いた。疑念が心に深く巣食っていた。




「遺体が消えた…そして、あのときクラウスが見たもの、彼を殺した理由。すべてが繋がっていない気がする。」


セリムは再び深く息を吐き、視線を上げた。


「今、俺がやらなければならないのは、あの遺体がどこに行ったのかを突き止めることだ。」


アルフェリスは軽く肩をすくめ、少し笑った。


「それでこそセリムくんだぜ。」




セリムは真剣な表情で再び書類に目を通す。遺体の行方が、ますます謎を深めていく。そして、それが今後のすべての鍵を握っていることを、セリムは無意識に感じ取っていた。




—―




テオドールの執務室。


黄昏の陽が斜めに差し込む窓辺に、セリムは黙って佇んでいた。


テオドールは静かに机に腰を下ろし、差し出された書類に目を通す。




「――メルベール滞在中の記録か。クラウスが命を落とした夜の。」




「ああ。調べてみたが、公式記録に不審な点は見当たらない。


証言も整っており、矛盾は見られないが……違和感が拭えない。」




セリムの声には、戸惑いと、そこはかとない怒りが潜んでいた。




「整いすぎている。皆が“語るべきことを語っていない”ように感じられます。


特に……アカシア姫の証言と、そのときの表情に。」




テオドールが視線を上げた。




「姫が語った内容は、十年前と変わらないはずだ。『侵入者から守られた』――そうだな?」




「ああ。けれど、十年の時を経て、再び彼女から話を聞いたとき――


彼女は、“自分の言葉を信じてほしくない”ようにも、“それを真実と思ってほしい”ようにも見えた……」




セリムはゆっくりと拳を握る。




「言葉の奥に、何かを隠している目だった。……自分でも、そう思いたくはなかったのだが。」




テオドールはしばし黙し、そして静かに口を開く。




「……お前の目に映ったものが真実ならば、それは“誰かが嘘をついた”のではなく、


“誰かが真実を言えなかった”のかもしれんな。」




「まさに、そう感じている。」




「それで……どうするつもりだ、セリム。」




問われたセリムは、一瞬の間を置いて答えた。




「彼女が語れなかった“何か”を見つけ出したい。


そのために、今は言葉ではなく、沈黙の意味を掘り下げる必要がある。」




テオドールの目が細められる。その表情は、かすかな誇らしさと、警戒とで揺れていた。




「……その道の先に何があるのか、お前はもう気づいているはずだ。


誰かを傷つけるかもしれない。それでも構わないのか?」




「兄が命を落としたその夜に、何があったのか。


それを知ることが、私にとっての“弔い”だ。」




その言葉に、テオドールはただ一度だけ頷いた。




「――じゃあ、歩んでいけばいい。止めはしない。だが、油断するなよ、セリム。“真実”は、時として最も冷酷な敵になる。」




セリムの目は変わらぬまま、まっすぐにその言葉を受け止めた。




「何があっても俺はお前の味方だよ」




そう言い放つと、テオドールはにっかりと笑った。


情報が乏しく、まさに霧の中を進むセリムにとって、この上なく頼もしく思えた。




—―




セリムは静かな部屋の片隅に座り、薄暗い灯りの中で思索にふけっていた。


アカシア姫と交わした会話が、どうしても頭から離れない。姫は相変わらず、あの穏やかな微笑みを浮かべ、あたかも何事もないかのように振る舞っていた。しかし、その背後には、何か隠されたものがあるように感じられた。




—―姫の言葉は、どこか遠回しで、どこか避けるようなものがあった。




セリムは、彼女が話した内容を一つ一つ思い返す。昨晩の会話では、彼女は表面上はあたかも無関心でいるように振る舞っていたが、その態度には、微妙に矛盾を感じた。彼女の目線、言葉の選び方、すべてが計算されたもののように思えてならなかった。




—―なぜ、あんなに冷静でいられるのだろう。




姫が何かを隠している、あるいは自分にとって都合のいいことだけを話しているのではないかという疑念が、セリムの心に芽生えた。しかし、彼はその疑いを断ち切ろうとする自分もいた。アカシア姫が無意識に放った優雅な微笑みや、無理なく振る舞う姿は、彼にとって信頼できるものだったからだ。




セリムは、姫の言葉が心に残っていた。何気ないようで、微妙に引っかかる言い回しや、どうしても納得できない部分があった。だが、それを証明するものがない。アカシア姫が計算して話しているのか、あるいは無意識なのだろうか。




—―何かが違う……でも、何が違うのかはまだわからない。




セリムは、自分に与えられた使命を再確認する。


ひとつ、兄の墓が荒らされた事件の解決と遺体の奪還。


ふたつ、兄の死、その背後にある真実を明らかにすること。


アカシア姫もその一端を知っているのだろうか? それとも、全く関係ないのだろうか? 彼は目を閉じ、姫との会話をもう一度思い返す。




だが、答えは出なかった。


記録と証言を照らし合わせても、彼女は賊に襲われたという被害者でしかないのだ。




セリムは立ち上がり、また別の場所に目を向けることにした。それでも、アカシア姫の微笑みと、その背後に潜む何かが、彼の心に深く残り続けた。




—―




セリムは書斎の机の前に座り、無造作に積まれた古い書類に手を伸ばした。それは、クラウスがかつて書き残したもの、彼の目線で描かれた日記や手紙だ。セリムはその一枚一枚を丁寧にめくりながら、兄が何を考えていたのか、どんな秘密を抱えていたのかを知ろうとしていた。




「兄上が、あの時何を思っていたのか。」




セリムの手が止まる。目の前に広がるのは、クラウスがメルベールに赴く直前に書かれた手紙だ。そこには、何気なく書かれた日々の出来事や考えが記されているが、セリムはその中から何かを感じ取ろうとしていた。兄が抱えていた悩み、何か重要なことに気づいていたのではないかという感覚が、セリムの中で膨らんでいった。




クラウスの手紙には、アカシア姫についても少しばかり言及されていた。だが、それはあくまで簡単な記述に過ぎない。姫の優雅さやその賢さを評価する言葉が書かれていたが、そこには深い洞察や親交を深めたといった内容もなかった。


しかし、セリムは違和感を感じた。


そう、二人には接点がなさ過ぎるのだ。公務上で少し顔を合わせた程度の間柄。逆にそのことが、セリムにとって新たな疑問となった。




「もし、兄上とアカシア姫の間に公務以外の何か繋がりがあるのだとしたら……」




セリムは一瞬、手を止めた。


姫が微笑みながら交わした言葉の裏に、何か意図が隠されていたのではないか、そんな考えが頭をよぎる。しかし、確証はなかった。彼は、手紙の次のページをめくりながら、心の中で一つの仮説を立てていた。アカシア姫が隠している何か、それを突き止められれば、兄の死の謎に対して最も近道となる。




セリムは手紙を閉じ、深く息をついた。今、目の前にあるのは過去の断片であり、真実の糸口だった。彼は、その糸を手繰り寄せるために、過去の記録をさらに探り続ける覚悟を決めた。今はまだ、すべてが明らかではない。しかし、確実に一歩一歩、真実へと近づいていることを感じていた。




「兄上が守りたかったもの、そして、アカシア姫が隠している何か……それを解き明かすことが、私の務めだ。」




セリムは立ち上がり、書斎を出た。今はまだ、すべてが繋がらない。しかし、この先、何か重要な真実が見えてくるはずだと信じていた。

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