2 ザハード爺さんの語り
ラグナス村の広場には、夕方になると子どもたちが自然と集まってくる。
昼間はそれぞれ自由に過ごしていても、日が傾き始めると、まるで吸い寄せられるように広場へと足を運ぶのだった。
そこには一本の大きな楡の木が立っていて、その根元に、俺たちの語り部――ザハード爺さんが腰を下ろしている。
ザハード爺さんは、白く長い髭を蓄えた、年齢不詳の老人だ。
村の誰もが「いつからこの村に住み着いたのか知らない」と言うが、気がつけばいつも広場にいて、俺たちに物語を聞かせてくれた。
「さあさあ、今日も良い夕暮れじゃな。子どもたちよ、集まれ集まれ。お主らが大好きな話を聞かせてやろう!」
爺さんがゆっくりと手を広げると、俺たちはすぐさま駆け寄った。
「爺さん! 今日はどんな話だ?」
「勇者の話がいい!」
「いや、魔王の話のほうがカッコイイぞ!」
「爺さん、今日の話は長い? 長いならお菓子持ってこようかな!」
「そんなことより、昨日の続きだよな!?」
あっという間に爺さんの周りに子どもたちが集まり、そのまま彼に群がるようにもみくちゃにし始める。
「こ、こら! わしを潰すな! ひぃぃ、誰じゃ、髭を引っ張るのは!」
「おい、爺さん! 早く話せよ!」
「だから落ち着け! わしを倒してどうするんじゃ!」
髭を引っ張られ、肩を叩かれ、膝の上に乗られ、爺さんは完全に子どもたちの標的になっていた。
俺とフィンはその様子を見ながら笑っていたが、やがて爺さんが「わかったわかった、話してやるから!」と悲鳴のような声を上げると、ようやく子どもたちは落ち着きを取り戻した。
爺さんは何度も咳払いしながら、自分の服を整え、ふうっと大きく息を吐いた。
「まったく、わしがこんな目に遭うのは、お主らが生まれる前の戦場以来じゃ……」
「戦場!? じいさん、戦場にいたのか?」
俺が驚いて聞くと、爺さんはニヤリと笑った。
「ふふ、どうかのう? まあ、そんな話はおいておいて……」
「えええ、気になる!」
「今日はお主らが大好きな話をしてやるぞ。勇者の話じゃ!」
「やった!」
俺とフィンは思わず声を上げた。
爺さんは満足そうに頷きながら、ゆっくりと話し始めた。
「むかしむかし――いや、そう遠い昔ではない。今から百年ほど前、この世界に魔王がいた」
俺たちはごくりと唾を飲む。
魔王の話が出てくると、それだけで冒険の予感がしてくる。
「その魔王は強大な力を持ち、世界を混乱に陥れた。人々は恐れおののき、王国は滅びかけた。しかし、そこに立ち上がったのが、一人の若き勇者であった。名を――」
「アルヴィス・ロンド!」
俺とフィンが同時に叫ぶと、爺さんは少し驚いたような顔をしたが、すぐに満足げに頷いた。
「ほほう、よく知っておるな。そうじゃ、勇者アルヴィス・ロンド。彼はただの剣士ではなかった。王国最高の騎士団に所属しながら、仲間と共に魔王討伐の旅に出たのじゃ」
「爺さん、アルヴィスはどんな武器を使ってたんだ?」
俺が尋ねると、爺さんはまた髭を撫で、ゆっくりと答えた。
「アルヴィスはな、『聖剣ルミナス』という剣を持っておった。光の加護を受けたその剣は、魔族の力を打ち砕く力を持っておったのじゃ。しかし、剣の力だけでは魔王を倒すことはできなかった。アルヴィスは、仲間と共に試練を乗り越え、数々の戦場を駆け抜けたのじゃ」
子どもたちの目が輝き、広場には静かな緊張が満ちる。まるで俺たちもその戦場に立っているような気がした。
「魔王との最後の決戦は、絶望的な戦いであった。王国の軍は総力を結集し、勇者とその仲間たちは、決して後戻りできぬ戦いへと身を投じた。そして、壮絶な戦いの末、アルヴィスは魔王の心臓へと剣を突き立てたのじゃ――」
爺さんが話を止め、俺たちは一斉に息を飲んだ。
「魔王は消え、世界には平和が訪れた。勇者は英雄となり、王国の守護者となった。今も王都の大聖堂には、彼の銅像が建てられ、その勇姿を称えておるそうな」
「すげえ……」
フィンがぽつりと呟く。その目は、まるで自分が勇者になったかのように輝いていた。
「なあ爺さん、俺たちも勇者になれるかな?」
そう聞いたのは俺だった。
爺さんはしばらく俺をじっと見つめ、それから静かに笑った。
「さあな。勇者になるには、強さだけでは足りぬ。時に知恵を、時に勇気を、そして時に己を捨てる覚悟が必要じゃ。おぬしらに、その覚悟はあるかの?」
俺とフィンは顔を見合わせ、同時にうなずいた。
「俺は強くなる! いつか騎士になって、剣を学ぶんだ!」
「俺もだ! いつか世界を旅して、本物の戦士になる!」
俺たちの宣言に、爺さんはまた静かに笑った。その笑顔の奥には、どこか寂しげなものがあったような気がしたが、その時の俺には意味が分からなかった。
子どもたちはそれぞれ帰り支度を始め、広場は徐々に静かになっていく。俺たちもそろそろ帰ろうと立ち上がったその時、爺さんがぽつりと呟いた。
「……おぬしらの運命は、もう決まっておるのかもしれんな」
俺はその言葉の意味を深く考えず、ただ星が瞬く夜空を見上げた。
それが、この平凡な日々の終わりの前触れだったとも知らずに。