1 ラグナス村
ラグナス村は、王国の辺境にある小さな村だ。
王都から馬車で三日、どこまでも広がる草原を越え、川沿いの道を進み、丘を一つ越えた先にある。
村の周囲には黄金色の麦畑が広がり、風が吹けば穂が波のように揺れる。遠くに見えるなだらかな山並みは、朝になると霧がかかり、夜には静かに星を見上げる場所となる。
俺が生まれた時から変わらないこの風景は、世界のすべてだった。
村の中心には広場があり、そこでは市場が開かれる。
市場といっても大商人が行き交うようなものではなく、村人が畑で採れた野菜や果物を並べたり、狩人が仕留めた獲物を売ったりする程度のものだ。
それでも市場が開かれる日は村が活気づき、商人が持ち込む珍しい品々や王都の噂話に、大人たちは目を輝かせる。
幼いころの俺も、その雰囲気が好きだった。
遠くの世界の話を聞くたびに胸が躍り、王都にはどんな人がいて、どんな建物があって、どんな戦士たちが剣を振るっているのかを想像したものだ。
村の北には川が流れ、夏になると子どもたちは飛び込んで遊び、冬になると氷が張った水面の上を滑っては転ぶ。
俺も例外ではなく、親の目を盗んでは川へ走り、フィンとどちらが遠くまで潜れるかを競い合った。
村の南には深い森が広がり、大人たちから「奥には魔物が棲んでいるから近づくな」と言われていたが、そんな話を聞くたびに好奇心を刺激され、こっそり探検しに行くのが俺たちの日課だった。
フィン・エストリアは俺の幼なじみで、何をするにも一緒だった。
金髪碧眼の快活なやつで、考えるより先に行動するのが得意だった。
俺と同じ年で、体を動かすのが好きなところも似ているが、無駄に負けず嫌いなところは俺よりもひどい。
俺たちがまだ幼かったころ、フィンはよく無茶なことを言い出し、そのたびに俺も巻き込まれた。
「ユウキ、川の向こうまで泳いだら何があると思う?」
「さあな。でも、大人が行くなって言ってたぞ?」
「だからこそ行く価値があるんじゃねぇか!」
フィンがそう言うと、もう止めることはできない。俺も仕方なく後を追い、二人で必死に泳ぎだした。
しかし、途中で流れが急になり、俺たちは思うように進めなくなった。
「や、やばい……戻れねぇ……!」
「 休むな!死ぬ気で泳げ!」
どうにか岸にたどり着いたときには、二人とも泥だらけで息も絶え絶えだった。
「……次はやめとこうな……」
「お、おう……」
お互いぐったりしたまま頷いたが、一週間後にはまた「森の奥の魔物を探しに行こうぜ!」なんて話になっていた。
俺とフィンの無茶に、毎回つきあわされるのがリナ・クロードだった。
村の子どもたちの中でも一番しっかり者で、俺たちが何かしでかすたびに呆れながら叱ってくる。
「また棒を振り回して! いい加減にしなさい!」
俺とフィンが広場で木の棒を振り回していると、決まってリナが割って入ってくる。
ある日、俺たちは「今日こそ決着をつける!」と本気で木の棒をぶつけ合っていた。
お互い汗をにじませながら肩を狙い合い、一歩も譲らずに応酬を繰り返す。
そして――
バキッ!
俺の棒が折れ、フィンの一撃が勢いよく俺の額に直撃した。
「……っつ!!」
尻もちをついた俺を見下ろしながら、フィンは勝ち誇ったように木の棒を振り上げる。
「やった! 今日の勝者は俺だ!!」
「ちょっと、何やってんのよ!!」
リナの怒声が響いたかと思うと、俺たちの頭に拳が飛んできた。
「バカ二人が! ケガしたらどうするの!」
「い、痛いって!」
「だって、真剣勝負だったんだ!」
「真剣勝負でも、怪我したら意味ないでしょう! ほら、血が出てるじゃない!」
リナは呆れた様子で俺の額を布で押さえつける。
彼女はこういうとき、妙に世話焼きになる。
「まったく……少しは考えて行動しなさい!」
「はーい……」
俺とフィンはしぶしぶ頷くしかなかった。
村の暮らしは穏やかで、毎日が変わらないようでいて、俺たちにとっては退屈とは無縁だった。
村の大人たちは畑を耕し、狩人たちは森へ向かい、鍛冶屋の親父は鎌や包丁を鍛えながら「道具は手入れが命だ」と繰り返す。
そんな何気ない日常の中で、俺たちは今日も広場へ集まり、剣士ごっこを続けた。
そして、その広場には、俺たちが何よりも楽しみにしている時間が待っている。
村の語り部、ザハード爺さんの物語。
王都の騎士団、剣の名門、そしてかつて世界を救った勇者の話。
俺たちが夢中にならずにいられない、壮大な冒険譚。
俺たちは今夜も広場に集まり、その語りを心待ちにしていた。