天より受け賜わりし探偵
空を見上げれば、空色と呼ぶにふさわしい、その先にある宇宙を想わせる青と、その手前に、それでも遥か高みに浮かぶ真っ白な雲。清々しい程に、1番身近に感じられる世界の壮大さを味わう事が出来る。
春の陽差しは麗らかで、陽気を運ぶ風はこれから始まる英雄譚へ背中を押してくれているかのようだ。
とはいえ、何か壮大な事が起きる訳でも無く日常は流れていく。
目の前には木々に覆われた小高い山がある。ここは家のすぐ近くで、その山のてっぺんに林に囲まれたちょっとした神社が建っているが、地元でもその存在はあまり知られていない。だが、この山の周りに住む人達の中でだけはとある噂と共に知られている。
その噂というのも、神社の端にひっそりと置かれた小さな石像に願えば何でも叶えてくれるという、ありきたりでよく聞く様な信憑性も無いに等しい浅い話だ。まぁスピリチュアルな事なんてそんな感じで叶ったらラッキーみたいな物だが。それでも、いつ誰が置いたかも分からない石像を誰も、その神社の管理人でさえ片付けようとはせず、いつもそこには穏やかな面持ちで佇んでいる小さな神様がいる。
私が今まさにこの山を登ろうとしている理由。それはこの私、「宮坂 景輝」がそんな噂に藁にも縋る思いで叶えたい、『世界一の探偵』になるという夢に向かう後押しをしてもらう為だ。
悪を滅し世界の平和を導く。探偵として、論理的思考で科学的事実に基づいた推理を徹底すべきである。その第一歩が神頼みとはなんたる皮肉だろうか。
私の頭の中は自分でも未知の世界で、故に可能性に満ち、伸び代がある。損が無いのなら何かをするに越した事は無い。
人知れず神社に着いた私はまず拝殿に行き、その神社の神に祈った。ここに来て祈らないわけにもいかないし、ある意味得体の知れない石像よりもそっちの方が信頼できるとも言える。普段は初詣くらいでしかしない決められた作法で祈りを終えると、次は社の裏に回り、置かれた石像を見つけた。誰が彫ったか優しそうなこの顔は、いかにも御利益がありますよと言っている様だ。
こちらは手を合わせ心の中でまた祈ると、すぐに立ち上がり帰路に着く。神に祈ったからには善は急げ。迷い猫探しでも何でも事件を解決しに行く事に決めた。
だがどうやら事件はすぐそばで起こっていたらしい。山を下っていると、その中程に人がうつ伏せで倒れているでは無いか。
何と幸運な事だろう。こんなにも早く、それも稀に見る大きな事件に出会えるとは。人命に関わる事はなんでも大きい。事件無くして探偵無し、目の前にある事件に向かわずして誰が探偵を名乗れようか。私は意気揚々とその人の元へ駆け寄った。
倒れていたのは農家の格好をしたお婆さんで、記憶には無いが、まぁ近くに住んでいる人だろう。気を失っているが外傷は特になく、神社に向かう時にはいなかった事から倒れてからそんなに時間は経っていない。事件性の有無は分からない。
周りを見ても誰もいなかったので、取り敢えず声をかけたり、背を叩いてみるが反応が無かったので、救急車を呼ぶ事にした。
もう一度周りを見渡すと、坂の下から誰かが登ってきていた。見知らぬ青年のようだが、この地区の年齢の近い人なら私が知らないはずもないのでこの辺に住んでいる人では無いのだろう。私が手を振って人が倒れている事を示すと、向こうもそれに気付き、早足で登ってきた。
「来たら倒れていました。」
私は簡潔に状況を説明し、何か知らないか期待したが、偶々来ただけのようだった。
「近くに誰かいないか見てきます。あなたはその人を見ててあげてください。」
彼はそう言い、近くにある家や畑を回りに行った。私はその間、言われた通りお婆さんの様子を見ていると、手に何かを握っていることに気付いた。
「ハンカチ…?」
つい口に出てしまっていた。こんないかにもな物があったのだ。探偵として初めての仕事なのだから、この事件を解く鍵を神が簡単に見つかるようにしてくれたと考えてもバチは当たらないだろう。私は手からハンカチを取り、犯人の手がかりがないかを探した。
ハンカチは無地の藤色で、アルファベットで文字が刺繍されていた。『CACE CLOSED』…解決済みの事件という意味だが、老人が持っているにしては不自然な文字列だ。もちろん英語の意味など気にせず使っているというのも十分あり得る話ではあるが、やはり何かがあると疑いたくもなる。
さて、もしこれが事件で犯人がいるとしたら、探偵としてこの事件を解決できるタイムリミットは救急車が来るまでの時間でそれももう、すぐそこまで迫ってきている。そして私の(恐らく)探偵としての直感がこれは事件だと言っている。
この短い時間でこれ以上の証拠、証人は期待できない。であれば犯人はこれまでに登場した被害者以外の唯一の人物、あの青年という事になる。だが私は確信を持てず、人探しから帰ってきた彼を問い詰める事はできなかった。
犯人を完全には特定する事ができないまま遂に救急車が来た。発見が早かった事により、一命は取り留めたそうだが、この事件は迷宮入りとなってしまった。
探偵として初の事件が未解決となってしまった。神は私にチャンスをくれたが、未熟な私はそれを無駄にしてしまった。今後いつくるかも分からない事件を待ち、反省を繰り返す1日を過ごした。