Behind time
女子一人を背に、狙撃銃を肩に掛け、私は士官学校の校門をくぐり抜けた。無論、校章が彫られたアーチや、門前の『ライサルト国立士官学校・第102期生入学式』という立て看板、空高く掲げられたライサルト国旗や士官学校旗に胸躍らせる時間は、とっくの前に使い切ってしまっている。
「アミス! 私達の教室って何処だっけ?」
「A棟三階じゃ! 右に見えるじゃろ!」
右に視線を向けると一際大きな建物がそびえ立っている。生徒が続々と入っていくから、あの建物で間違いない。
角が角と認識できる程に四角く剪定された植え込みを踏み台にし、校舎への最短経路を突っ切った。低木が根元からメキメキひしゃげるのを尻目に、生徒用玄関に飛び込む。アミスの靴と私のをいっぺんに下駄箱に放り込み、やけに滑りのよい廊下を全力疾走する。無意識に極度の集中状態に踏み込んでいるのか、私にかかる質量は既に煩わしくなくなっていた。
実習室を通り過ぎ、整列する実験室、準備室を通過し、階段を二段飛ばしで駆け上がる。
「ワシらの教室は階段近くじゃ! もうすぐそこまで来ておる!」
「ちょっと、暴れないで! バランスが崩れるから!」
『1-1』と彫られた看板が下がっているのが、少し奥に見える。その少し手前には、黒スーツの女性が
薄い帳面を持って廊下を歩いている。出席簿か何かだろうか。
スーツの女性は方向転換し、1-1の前方出入り口へ入っていく。私も1、2歩出遅れる形で女性に続いた。
「やったなアテネ! 間に合ったぞ!」
遅刻を免れたアミスの顔には、純粋な笑顔が浮かんでいた。その笑顔が、列車を見送ってくれたときのエイレイと重なり、私は無意識的に彼女に微笑みかけた。
「うん! よかった……」
――側頭部に衝撃が走る。振動が皮膚を伝い、骨を伝い、脳味噌にがんがんと響いた。
耳鳴りがした。脳を貫くような甲高い音に伴って、激痛が患部から放射された。
目の前が大きく揺れた。ふらついた足取りで右往左往した。平衡感覚が崩れ、私は扉へ前のめりになる。どうして急に脳しんとうが……?
「先生――先生! 後ろ! 人が倒れてる!」
男女入り交じった声が教室から聞こえてくる。前も曖昧にしか見えないが、教室内の何人かが私に向かって指を差しているのが見えた。
五感が朦朧とする中視線を後ろへやると、直ぐ後ろでアミスが目を回して倒れていた。うわごとのように「空が青いのじゃ……」と呟いている。後頭部を強打しているかもしれないが、こんなステレオタイプな気絶をする余裕があるなら、何とか意識はしがみついているようでよかった……のだろうか。
「いや、本当に申し訳ない!」
出入り口のドアがまた開くと、黒スーツの女性が胸の前で手を合わせて、頭を下げていた。右目に眼帯を付けている。両腕は――義手だろうか? マネキンのような鋼鉄の手指が目線を煽る。
「私、自分でもビックリするくらい耳が遠くて、後ろから来てるのも気づかなくて! でも、まさかこんなギリギリの時間に駆け込んでくるなんて」
物腰の軽い口調だった。申し訳ないと思っているかどうか以前に、耳が遠いというのも嘘くさく感じた。スーツの女性が指先だけで手を合わせては離し、合わせては離しをする度、関節の駆動音が聞こえてくる。
「本来なら遅刻した生徒には罰則があるんだけど、気づかなかった私の責任だし、今日入学した新入生には荷が重いだろうし。あなたと……その後ろで倒れてる子の名前は?」
「ふぇ、あ、アテネ・ユリウス……。こっちは……アミス・サルヴァドール」
「アテネ・ユリウス……と、アミス・サルヴァドール……OK覚えた。 遅刻は見なかったことにしとくから、その子を医務室に連れてってあげて。戻ってくる頃には大講堂で入学式やってるだろうからそこへ向かって。OK?」
それだけ言うと、スーツの女性は教室に戻り、ドアをぴしゃりと閉じた。イエスもノーも言わせない、突風のように過ぎ去っていった彼女は一体何者なんだろうか。……いや、話していた内容から私のクラスの担任であることは間違いないのだけれど。
私は唖然として廊下に転がっていた。
未だに傍にはアミスが横たわっていて、先程と変わらないことを呟いている。
総志願者数6000人中成績上位者40名のみが配属される、ライサルト国立士官学校兵装科。彼女も受験戦争を突破した一人であると、兵装科特有の校章が証明しているのだが……今はどうだ。もう気絶の範疇からはとっくのとうに回復してしまったようで、横たわった流れのまま鼻提灯を吹かし、寝息を立てている。
この子、本当に大丈夫なのだろうか?
私は眠りこけるアミスを見下ろし、数分前と同じように背負った。背に乗ったアミスが時折頭を前後に揺らすせいで、額が後頭部にぶつかってくる。医務室はこの棟の2階。
どうせ今日は入学式だけの日だ、明日からはきっと学校らしい日々が送れる。今日までだ、今日まで……。
そう無理やり自分を納得させながら、私は階段を降りる。
フェルトと糸の刺繍で彩られた医務室の掛け看板は、『士官学校』という言葉の響きに似ても似つかぬ可愛らしさだ。
私は4度スライドドアをノックし、開ける。
「失礼します、背中の子が寝ぼけているので目を覚まさせて欲しいのですが――」
規則的に置かれた二段から四段の多段ベッドの陰で、黒い影が動いているのに気づいた。白衣を着て、肩に迷彩柄のミリタリーリュックを二つ下げている。火事場から逃げ出してきたようなちりちりの長髪を根元で束ねたのを何房も作っている。ああいうのを所謂ドレッドヘアと言うのだろうか。
「はいはい、ただ今」
想像以上に野太い声だ。声の主は提げていた荷物を丁重に置くと、連なる多段ベッドからぬうっと出てきた。黒い肌をして、頭髪かと見間違えるほど伸びきった顎髭を撫でながら、空いた左手ではバインダーと牛乳瓶に生けられた花、そして何かのマスコットキャラクターのぬいぐるみをいっぺんに握っている。
その人が意外にもかわいらしい趣味をしていたのにも驚いたが、さらに目を丸くしたのは彼の図体の大きさだ。
近づいてくるまで気づかなかった。私の身長の二回りはある。私とて170㎝弱と、それなりに体格には恵まれているのに。
私が戸惑っているのを察したのか、あちらから話を切り出してきた。
「あぁ、最初は誰だってそうだ。驚くのも無理はない。看護教諭のゴリアテだ。ここの常連はゴリさんだとか、親しみを込めて、そう呼んでくれるがね」
そう言って、ゴリアテ教諭は分厚い笑い声を挙げた。
「あの、背中の子をお願いできますか? 今は眠ってますけど、頭を強打したみたいで……」
私は背中で眠っているアミスを、顔がよく見えるように寄せて言った。ゴリアテ教諭はアミスを俵担ぎして奥のベッドで寝かせると、腕の中のバインダーへに向けて眉間にシワを作ってみせた。
「あぁ、この子と……一応君の名前も聞かせてもらおうか」
「アテネ・ユリウス、こっちはアミス・サルヴァドールです。同じ兵装科一年一組」
「サルヴァドール、ね。承知した。こちらからまた連絡しておくよ、担任は――あぁ、ニコラのとこか」
ゴリアテ教諭は何か噛みしめるような口調で、バインダーに文字を書き込んでいる。
このまま帰ってよいのだろうか。そう迷っていると、ゴリアテ教諭はこちらに向き直った。
「新入生か。となると、オリエンテーションが今週末にあるわけか」
ゴリアテ教諭は弱った顔をした。私は『オリエンテーション』という、何やら楽しいことでもしそうな響きが気になった。
「オリエンテーションって何ですか?」
私がそう尋ねると、ゴリアテ教諭は廊下に出て周囲に視線をやった。ゴリアテ教諭の仕草に私もつられる。他の生徒はまだ教室だろう、ここを通る生徒は誰も居ない。教諭は人の気配がないことを確かめると椅子に座り直し、私に耳打ちした。
「新入生には戦闘に慣れるためのオリエンテーションがあるんだ。一応クラスから説明されるまで、門外不出の情報になっているんだけど」
「銃を撃つんですか?」
「もちろん。新兵未満の生徒には危ないってことで、撃つのはプラスチックの弾だけどね。だが、それを加味しても充分本格的だ。士官学校が管轄する街の一区画を交通規制して行う総合軍事演習なんだよ。ただ……」
ゴリアテ教諭は額を押さえて続けた。
「プラ弾が目に当たったとか、接近戦でムキになってしまうとかで済むならいいんだが――毎年居るんだよ、少々過激になる生徒が」
ゴリアテ教諭は小さめのファイルを取り出して広げた。見開き一ページを使って、難しい文字の羅列が綴られている。おそらく、かかりつけた生徒の怪我や病名、患部が記載されているのだろう。
開かれているページには、吊り目で塩顔な男子の顔写真を中心に、包帯やギプスに巻かれた写真、血塗れで担架に乗せられている写真、鬱屈とした顔をして車椅子に乗っている写真、その他ありとあらゆる痛ましい構図が散りばめられていた。
「この子は周りの生徒に恵まれなかったんだろうね。オリエンテーションでいい成績を残すはずだったんだが、本気で闘いあった生徒同士の戦闘に巻き込まれて、頸椎を傷つけられてしまって……相手にはそれ相応の処分が下ったんだけど、失った身体は戻ってこないからね――」
あまりにも写真の光景が凄惨なので、私はいたたまれなくなっていた。
「君にも何かしらあって、ここに来る羽目になるかもしれない。その時はこちらで真摯に対応させて貰うが、君自身も傷つけられないよう気をつけて欲しい。くれぐれも、人を傷つける側に回らないように。それだけ伝えておく」
ゴリアテ教諭はアミスを寝かせたベッドの脇にスツールを寄せて腰を下ろした。アミスは寝心地のいい場所に移動したお陰か、気持ちよさそうに眠っている。
まさか学校行事でそんな事故が起きていたとは思わなかったし、今の話もにわかには信じられなかった。しかし、ゴリアテ教諭の真面目な口調から、これは紛れもない事実で信じなければいけないのだなと感じた。
そろそろ入学式に行こうと思って医務室を出ると、ゴリアテ教諭は「ないとは思うけど、もし他の先生に声を掛けられたら、これを見せるといい」と言って遅刻証明書を発行してくれた。
ゴリアテ教諭にお礼を言って、私は医務室を後にした。