a memory
※CAUTION※
この物語はフィクションであり、実在する人名、団体、地名には全くの関係はありません。また、この物語にはタグにありますように、残酷な描写、作品内の特定の人物、人種、政治を貶める、またその類いをほのめかす描写がございますが、実在する人物や人種、政治を非難、中傷する観念は一切ございません。そのため、実在する人物、人種、政治などをこの物語と結びつけて誹謗中傷、差別することはないようにお願いします。現実と混同せず、物語として楽しんでいただけたら幸いです。
風切り音が聞こえてくる。
建物が根元から倒れていくのが見える。
時々、どぉん、どぉんと響いてくる音に、身を縮こめる。その度に私は、私に背を向けて立っているお爺ちゃんに話しかける。
「ねぇ、何が起きているの? 何が来るの?」
「静かにしていなさいアテネ。すぐ終わる」
お爺ちゃんは昨日の夜からずっとこうだ。何も答えてくれないし、横転させた長机から頭を出すのを許してくれない。
空には真っ黒い雲が浮かび、ざーざーと降る雨が屋根を叩き、雨漏りしてきた水の粒がぽたぽた私の横に落ちてくる。景色もほぼ夜とかわらないというのに、お爺ちゃんは灯りを付けようとしない。暗くて、冷たくて、つまらない。こんな時間を、時計の針が10周するくらいは過ごしているだろうか。私はもう限界だった。
「お爺ちゃん寒いよー。雨漏りだけでも直してー」
「これが終わってから、な」
何回『雨漏り直して』とか、『電気付けて』と言ったかはもう覚えてないけど、お爺ちゃんはきまって『これが終わってから』『これが終わってから』って……。
何に時間をかけてるのだろう。そう思いながらも、中々温かい食べ物や飲み物が出てこない生活に、私は腹が立っていた。
私は大きく息を吸い込み、吐き出すのに合わせて――。
「おーじーいーちゃーん!! おなかすいたー!」
「ばか、大きな声を出すな!」
お爺ちゃんは私にしか聞こえないような小さな声で叱りつけた。
「そんなの知らない! おなかすいたからおなかすいたの!」
「静かにしていなさい! ……お前も十歳なんだから言う事も聞けるだろう?」
「いやだいやだ! ご飯出してくれるまで言う事きかないもん!」
「全く……普段は良い子にしているのに。……アテネ、キッチンで何する気だ。料理なんかしたことないだろう」
「フライパンをぶっつけて、大きな音を鳴らすの。もう喉が痛いから」
私が流し台の棚からフライパンを二つ取り出し、頭の上で打ち付けようとしたとき、お爺ちゃんの手が割って入ってきた。
「本当にやめてくれ、アテネ。笑い事じゃない」
「私だっておなかがすいてるの。笑い事じゃないわ」
「わかったわかった、食べ物は戸棚の奥に入ってる。だから、フライパンを下ろしてくれ、そんなもん叩かれちゃあ儂みたいな老いぼれにはひとたまりもない」
「本当?!」
私は戸棚の奥に手を入れ、手前にあった物ごと引きずり出した。ビスケットの缶を握っていた。蓋を開け、中の物を二つ取っていっぺんにかじる。しつこいくらいに小麦の味がした。
口の中で湿ったビスケットの滓を舐りながらお爺ちゃんに聞いた。
「ていうかさ、お爺ちゃん。なんで昨日から電気も付けないで、食べ物も食べないで、雨漏りも直してくれなかったの?」
「……雨漏りは先月からだ、アテネ……」
「そっか。で、なんで昨日からこうなの?」
お爺ちゃんは窓の外を指差した。外には飛行船より何十倍も広くて大きな地面が浮かんでいる。地面に向けられた風車が、雨なんか降ってないように勢いよく回っている。あれをお爺ちゃんは『空中都市』と呼んで時々、いつになったらあそこへ行けるのだろうか――。と呟いている。
「じきに、儂らは空中都市に連れて行かれる。ここへ戻ってくることもないだろう。当分前から電気代を払うのをやめていた報復が、つい昨日回ってきた」
「ふぅん、お爺ちゃんってけちなんだ」
「お前も世帯を持って、カネを稼ぐようになったらわかるさ」
その時だ。何度も家屋の戸を叩く音が聞こえた。お爺ちゃんも私も、その音が来客を示すものだと瞬時に理解した。
お爺ちゃんは少しの間身構えていたが、窓の外をちらりと見るなり、ほっとしたような顔をした。
「お爺ちゃん、今来た人は?」
「こっちの国の軍人さんだよ。儂らのような民間人を、空中都市へ連れて行くために来たのだろう」
お爺ちゃんは玄関の戸に手を掛けた。錆びてきた蝶番がきい、と鳴る。
戸の奥には赤色の帽子(お爺ちゃんは『我がライサルト国家を象徴する偉大なる軍帽』だとか言っていた。私には意味がよくわからないけど)の縁に指を掛け、胸ポケットの下に金一色のブローチのようなものを下げた、軍服姿の男の人が立っていた。
男の人は耳元に指を添え、もの静かな声で言った。
「ライサルト北部テスゥイタの町で難民を発見。指示を」
お爺ちゃんの言う『軍人さん』の使う言葉はよくわからない。だけど、お爺ちゃんには何を言っているのか伝わったらしい。ひざまずいて、お祈りするように言った。
「あなた方の助けを待っておりました。お願いです。私の孫を保護してくだされ」
「えぇ、もちろんです。そのお孫さんというのは?」
「今、部屋の奥にいるのです。アテネ、こっちへ来なさ――」
私が横だおしになった机から顔を出したとき、お爺ちゃんの話し声が止まった。それだけじゃない。重い石を何かにぶつけたような、そんな音がした。その音が聞こえると同時に、顔にぺったりとひっついている生暖かいものに気づいた。鉄っぽい匂いだけれど、いつも鉄の工具を握っていて油臭い、お爺ちゃんの手の匂いとは違う。しかも、お爺ちゃんはさっきまで玄関の扉の前で立っていた。顔に垂れている赤黒い雫の正体を知るのは、もう少し後になる。
『軍人さん』は消えていた。その代わり、空の雲より真っ黒な布に金色の糸の刺繍がついたローブを着た男の人が、人差し指を上に向けて突っ立っていた。
お爺ちゃんは微かな呻き声を出して、床に倒れている。ローブの男の人はまた耳元を指で触れ、言い放った。
「こちらライサルト北部テスゥイタ、先刻の住民――ロス・ユリウスを処理しました。子供の方は如何なさいますか? ――始末、ですか。あぁいえ、決して慈悲などでは」
何故お爺ちゃんが倒れているのか、さっきの『軍人さん』は何処に行ったのか、何もわからないまま、私はお爺ちゃんに駆け寄った。頸元を押さえているお爺ちゃんの手からは血が垂れ、止まりそうにない。
「お爺ちゃん! ねぇお爺ちゃん!」
お爺ちゃんはいよいよ声も出せなくなっているみたいだ。息が深く、荒くなっていく。
私は男の人に向かって叫んだ。
「ねぇ、私のお爺ちゃんに何をしたの?!」
男の人の立てた人差し指がこちらに向くと、目には見えない何かがほっぺたの横を通った。擦れたところは、まるで鉄板を押しつけられたように熱い。擦れただけでこんなに熱くて痛いのなら、お爺ちゃんはもっと熱くて痛い思いをしたに違いない。
早くお爺ちゃんを助けないと。でも、この男の人はそう簡単に見逃してくれるわけない。とすると――。
私は思わず、階段状のタンスに置いてある、使えもしない拳銃を手に取った。
「物騒な子供だ!」
またもや男の人が持つ『それ』が飛んでくる。当たったのは私の握っていた、お爺ちゃんの拳銃。黒光りしていた銃身は間抜けな音を立てて、ばらばらになってしまった。
「案ずるな。直ぐに老人と同じ所へ逝ける」
そう私に語りかけた男の人は指を立てる。この後も必ず、よくわからないものが飛んでくる。私はそう感じていたけれど、一歩も動けない。男の人の指は私の情けない鼻面を捉えている。男の人を見上げる私と、私を見下ろす男の人の間の空気がぴんと張り詰める。
こうなると、もう私は涙を流すことしか出来なかった。死ぬのが怖い、というより、お爺ちゃんを助けられなくなるかもしれなくなることで涙が溢れてきた。
私は食べたものを吐き戻すように口を開いた。
「死んじゃ嫌だ……死んじゃ嫌だ……死んじゃ嫌だ死んじゃ嫌だ死んじゃ嫌だ死んじゃ嫌だ――――死んじゃ嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
私が叫ぶのに合わせて、背中から風が吹いてきた。今まで感じたことのないくらい強い風だった。
爆発、光、ガラスの破片。後ろから男の人に向かっていった。『割れたガラスは危ないから絶対に触っちゃならん』とお爺ちゃんは言っていたけど、飛んでくるガラスのことは何も喋ってくれなかったから、私はどうすればいいか分からなくて身体を縮こめていた。その時。がらがら、お家の屋根のレンガとか壁が崩れ落ちた。その時。
――私のヒーローが、そこにいた。
「動くな!」
大人の男の人の声だ。そんな風に命令されたのは初めてで、私は床にダンゴムシみたく身体を丸めた。
私の後ろから、背の高い、軍服を着た人が出てきて、ローブを着た男の人に近寄って、腕をきつく縛った。握っているのは、お爺ちゃんの拳銃みたいに黒く光っているものだ。だけど、お爺ちゃんのよりずっと大きい。軍人さんは耳に手をあてて喋っている。
「天外省の『持つ者』を拘束。大本営まで連れて行きますか? ――反抗した場合の射撃許可は自由、と。了解。」
そう言うと軍人さんはローブを着た男の人を立たせて、壊れた家の壁から出て行こうとした。
私は助かった、のか。……でも、お爺ちゃんはどうなるの?
「ね、ねぇ、待って」
「……ん?」
軍人さんはゆっくりと振り返る。
「助けて、ほしいの――お爺ちゃんを」
「……。――こちら、ライサルト北部テスゥイタ。女児一名、老人一名保護。老人は『持つ者』の魔法を受けて致命傷、女児は……なぁ、嬢ちゃん。何歳だ? あと、自分とお爺さんの名前も」
「――アテネ・ユリウス。10歳。お爺ちゃんはロス・ユリウス」
私の名前を聞いた軍人さんの目はどきっとしていた、ような気がした。直ぐさま耳に手を当て、大事そうな話をしたあと、溜息をついて、私に向き直った。
「嬢ちゃん。悪いが、俺にはどうすることも出来ない。衛生兵、っつっても、子供にはわかんねぇか。お爺さんの傷を治してくれる連中を呼んでおいた。あとはそいつらに任せておけ」
「その衛生兵、って人はいつ来るの」
「……さぁ、なるべく早く来るよう呼びつけたが……何日後になるか」
「……! そんなにかかったら、お爺ちゃん死んじゃうじゃない!! 今すぐ連れてきてよ!」
「それは出来ないんだ、ほんと、子供には苦しいことだと思うが……」
「なんで!」
私は軍人さんに掴みかかりそうになった。お爺ちゃんも救われると思ったのに、なんで、なんで……。
軍人さんは苦しそうな顔をして――でも、目は元気なときのお爺ちゃんみたいに厳しかった――、私の両肩に手を置き、言った。
「痛いほど分かる、その気持ちは。だけどな……、もういないんだ」
「……え?」
「何度も経験してるせいで、分かっちまうんだ。死んでるかどうか」
私は後ろを向いた。お爺ちゃんが倒れている。赤い赤い、血を噴いて。横たわっている。
私は泣いた。声を出して泣いた。吐きそうな声で泣いた。わんわん泣いた。服をぐっしょり濡らすくらい泣いた。床の木がふやけるくらい泣いた。もうお爺ちゃんはいないんだ、というのは私にも分かった。分かってしまった。それを知ってしまって、さらに泣いた。軍人さんはその間、私の肩に手を置いてくれていた。
「嬢ちゃん。嬢ちゃんが大人になる頃には、俺みたいな奴が居なくなるといいな」
軍人さんが去り際に言った言葉。意味が分かるのは、今よりずっと後だ。