弐 父娘の話
あまりの土砂降りに、結局一刻ほどで屋敷に戻ることになった。
屋敷が近づくと、この雨で足止めを食らった民や行商人たちが、屋敷の入口である櫓門で雨宿りをしているのが見えた。奥にも人影が見え、一時的に厩付近も民に開放されているようだ。
そうして天を仰ぐ人々の中を多幸丸が帰還すると、近隣の民から声がかかった。
「おお、若殿様じゃねぇか」
「今日はえらい天気ですなぁ」
多幸丸もまた、彼らに笑みを浮かべて挨拶をした。
「伝八、久しいな。ごん兵衛も雨宿りか。お主のとこの末っ子はどうだ、元気か」
「いやぁ元気に元気で。もうよちよち歩きよりますけぇの」
彼らの様子には負の感情など感じられず、少なくとも、村人たちはこの雨を多幸丸のせいにしている様子もない。むしろ意外に距離が近く、良い関係が築けているようだった。
「若殿様ぁ、今度田んぼの様子を見てくれんですかいね」
「良いぞ。困り事か」
「水捌けが悪いところがあるんじゃけど、堤を一度崩さんといけんかもしれん」
「よし、必要なら人手を出す手配をしよう」
「おおよかった。ほいじゃあ、若殿様の承諾も頂いたし、俺達も帰ったら皆に相談してみますけぇ」
頼もしい様子に宗音は微笑んだ。
現領主興盛は、元服してすぐに大内氏に追従し、応仁の乱より続く戦に参戦して長らく京にてその武功を挙げたと聞く。
対して、領地は多幸丸の祖父が賢政を敷き、長年の騒乱の中でも安定した統治を敷いた久兼氏は、孫にもその精神がしっかり受け継がれているようだ。
(私は良い領主に仕えることができたのかもしれん)
宗音が様子を見守っていると、多幸丸だけでなく、家臣や下男たちも来訪者たちに色々話しかけていた。
久兼領は、往来の多い西国街道から外れた山間部に位置するため、行商人は貴重な情報源だ。文を持ってきた使者などは、歓待して幾日ももてなしながら、世間で起きていることをできる限り聞き出すことも多かった。山などの地形に閉じられた閉塞的な場所ほど、来訪者からもたらされる情報に価値がつけられた。世間話の中からも、有益な情報がないかを皆が探すのだ。
その中で、つい耳立てて聞き入ってしまう話があった。
「日和乞いの呪具を持て余している」
そのようなことを、厩で雨宿りしていた父娘が話していた。
この先の山の、そのまた山を超えた小さな村落で、長雨に悩んだ村民たちが日和乞いの呪具を作ったという。
日和乞いとは、晴天を乞う「晴れ乞い」のことで、雨を乞う「雨乞い」の逆の儀式のことである。
遠い昔に起こった長雨と冷夏による大飢饉の折、都で流行ったという晴れを祈願した呪術を模倣したものだというのだが、それがあまりにも効きすぎるのだ、というのだ。
「最初こそ晴れ間が見えて喜んだものの、不思議なことに雨雲は常にその村落を避けるように散り、日照りが続いて作物が育たなくなりました。呪物をお焚き上げしても効果はなく、その呪法を伝えた法師に手立てを請いたいと村を出たのですが…」
暗い顔をした男がそう言うと、横で娘が付け加えた。
「しかし、その法師の行方が知れぬのです…」
どうやらこの父娘はその法師を探す旅から帰る途中だったようだ。なんの収穫もなく帰郷することに項垂れている様子。娘も陰った表情をしていたが、色白で華奢な様子が美しい。この父娘を、特に可憐な娘の様子を憐れに思ったのか、家人の一人が「我が主に相談召されてはいかがだろうか」と提案した。
領主久兼興盛は、息子の多幸丸の厄運を祓うべく、あらゆる呪法、呪物を探していることで有名だったからだ。
さらには、雨に悩む多幸丸自身も、日和を乞う呪物の話に興味を持ったようである。
「その話、私も是非に伺いたい」
そう言うので、さっそく領主にお目通りすることに相なった。