漆 願い
そこには、顔を殆ど包帯で隠した男がいた。
千穐が駆け寄り支えてやると、やっとのことで立ち上がることができたが、顔だけでなく身体も包帯だらけで満身創痍だ。
「私は房丸殿と話がしたい。皆、席を外してくれまいか」
若頭は言ったが全員が首を振る。
「とんでもない!」
「この若造は得体がしれませぬ!」
口々に反対の声が上がるが、若頭は右手で制した。
「チアキ。お前だけがこの間で控えよ。老師も付き添ってくれている。大丈夫だ」
屏風の奥を覗き見ると、若頭がいう老師と思しき白髪白髭の老人が若頭の後ろに控えていた。
「皆、下がれ」
千穐が一声あげれば、全員が渋々その言葉に従い、退室していく。
房丸は千穐に促されて屏風の奥の間に進んだ。
部屋には布団が敷かれ、若頭と呼ばれる男がゆっくりとまた横になるところだった。
「房丸殿、相すまぬ。私はこのような身ゆえ長く座れぬのです⋯」
「いや、楽にしてくれてかまわない」
その痛々しい様子をよく見ると、包帯の隙間から赤く爛れた皮膚が所々垣間見えた。
「火傷か?」
思わず房丸が問うた。答えたのは横に控えている老師だ。
「そうじゃ」
苦々しい表情で目を伏せる。この老人は恐らく医者なのだろう。横に薬箱が置かれており、できるだけの処置を施したのだろうが、房丸の目から見ても若頭の状態は悪そうだ。むしろ、ここまで酷い火傷を負いながらもよく生きながらえているものだとすら思ってしまう。
「はは、情けない姿でしょう?これも因果応報かな。鉢屋はこの乱世で縦横無尽に駆け回り、世の常識も人の情けもかなぐり捨てて邁進してきた。その成れの果ては同族殺し。この身を焼いたは何者でもない、私の父、そして弟なのです。この滑稽な話を、行きずりの縁だと思って聞いていただきたい」
若頭は、名を鉢屋詠太郎と名乗った。
祖父は尼子経久に重用され、その名を世に轟かせた鉢屋弥之三郎。謀略の天才と名高い尼子に仕え、多くの戦で奇なる戦法を用いて勝利へ導き、鉢屋衆を尼子の忍軍として育て上げた男である。
その後を継いだのは父、鉢屋萬歳。祖父から引き継いだ忍軍のさらなる強化と発展のため、手段を選ばぬ男だった。
「ここにいる皆は、そんな父から見放された者たちです」
忍びは又の名を「草」とも言われ、彼等は「人」として扱われることはない。世の人々から指をさされながら暮らす非人にありながら、さらにその仲間内ですら命を軽んじられる扱いを受けてきたのだ。
萬歳は忍務遂行のために部下たちを使い捨てにしながら、弥三郎の上を行く忍軍作りに励み、尼子氏を陰に日向に支えてきた。
「しかし、私はどうしても父のように情を捨て去ることが出来なかった⋯」
包帯から垣間見える瞳は悲しい色を放っていた。如何に己が不甲斐ないかを嘆くようなため息が漏れる。だが、それを老師が「だからこそ皆は貴方様についてきたのですぞ」と打ち消した。
「詠太郎様と千穐様がおらなんだら、ここにいる全員は死んでおった。かく言うワシの息子もそうじゃ」
だが、そんな言葉に詠太郎は辛そうに「老師⋯」と言葉を濁す。
「いや詠太郎様。息子を助けていただいた恩、ワシは生涯忘れることはありませぬ。最期に言葉をかわすことが叶ったことで、ワシの心がどれだけ救われたか⋯あの子の安らかな死に顔も、詠太郎様と千穐様に救われたからこそ見れたこと。あの子もきっと、向こうで感謝しておりましょう」
老師の息子は、萬歳により捨て置かれそうになったところを詠太郎と千穐に救われたのだろう。残念ながらその命は儚くも散ってしまったが、それでも老師は最期に看取れたことを恩に感じているようだった。
「皆、苦楽を共にした仲間なのです。誰一人として、弔われずに野山に散っていい存在ではない。だが、そんな考え方を持つ私は、父にとって軟弱以外の何物でもなかったのでしょう。そもそも私は突出した才能もなく、父の期待に添えるようなことは何一つできなかった。そんな私が鉢屋を継げば、名を穢すことになりかねないと思われていました。まぁ、それは否定しないのですが⋯」
房丸は黙って聞いていたが、いつものおおらかな表情は消え失せ、口を真一文字に結んで拳から血の気が消え失せるまで固く握りしめていた。
これまでの旅の中で、生きたくても生きられなかった数多の人々の死に顔が頭をよぎる。真っ暗に落ち窪んだ幼子の双眸、もはや人の形を成さないほどに朽ち果てた誰かの背中。弔われることもなく、行き交う人の目に晒され、風雨に晒され、動物に食い荒らされることを、いったい誰が望むというのだろう。それでもそのような死しか許されなかったのだ。
この地獄のような現世において、何故、親が自らの手で子を焼き殺そうというのか。もはや世も末と言う他ない。
「私はもう、長くはありません」
詠太郎は天井を見つめながら穏やかにいった。
「詠太郎様、ワシが必ず治してみせます。気をしっかり持ってくだされ」
詠太郎の言葉に、老師がしがみつくような言葉を懸命に投げかける。だが、詠太郎は己の死期を既に悟っている。
「老師。ここまで生きながらえたのは間違いなくそなたのおかげだ。男衆も、私を担ぎながら里から逃げおおせるのは大変だったろう。ここから先は共に行けぬが、私の心はいつも皆とともに在る」
老師は「そのような⋯」と言いつつも言葉を濁した。老師も分かっているのだ。
そして詠太郎はくるりと房丸に向く。
「房丸殿。一番最初に貴殿のことを聞いたとき、驚きました。あのチアキが認めた方なのだな、と」
チアキとは、千穐のことらしい。ここでは全員が彼女を「千穐」として扱うが、詠太郎は妹をこの名で呼ぶ。
「『認められた』わけじゃないと思うが⋯」
房丸が戸惑ってそう言うが、詠太郎がくすりと笑う。
「気の強い妹が、男を私のところまで案内するなど初めてのこと。美しい娘だが、あれで並みの男より強いのです。私など、本当は足元にも及ばないほどの⋯。あの子なりに、房丸殿に何か感ずるものでもあったのではなかろうか」
詠太郎は楽しそうに目を細めて房丸を見た。すると、衝立の向こうで「こほん」と咳払いする千穐の声。何か申し立てがありそうだが、特段の発言はない。それがさも可笑しいと言わんばかりに、詠太郎はくっくっくっ、と笑った。
「私も思うたのです。衝立越しに貴殿の声を聞いたとき、なんと陽の気にあふれる御仁なのだろうと。気がついたら床から這い出ていました。お姿を見たなら、今度は話をしたくなりました。不思議な御方だ⋯」
そんな言葉に返答ができず、困った顔をする房丸だったが、それを見て詠太郎は微笑んだ。
「房丸殿。貴殿は『我等の為す次のことを見たい』とおっしゃられた。その御言葉通り、私のいなくなった鉢屋衆の行く末を見届けて頂きたく存ずる」
言い放った詠太郎からは既に笑みが消え失せ、強い意志が灯っている。これが詠太郎が房丸を呼んだ一番の理由なのだな、と房丸は悟った。
「お目汚しを失礼いたす」
詠太郎は身体を起こし、顔に巻いた包帯を解いていった。
「赤く爛れ、膿みを孕み、腐りゆくこの顔。醜いでござろう?業火に焼かれた肌は恨みを発し、今にも我が身を食い尽くそうとしておるようだ。これが、鉢屋衆そのものなのです。いや、私にはこの世そのものの縮図にも見えまする。痛みや苦しみは恨みを産み、そして全土を地獄に飲み込もうと渦巻いている」
あまりにも痛々しい顔の大火傷だが、房丸はしっかりと詠太郎の顔を見た。
「私の亡き後、妹は、チアキは、この業火の中で恨みに呑まれながら鬼と化してゆくでしょう。それだけの力がある。しかし、私はそれが不憫でならぬのです⋯房丸殿、無理な頼みと承知でお願いいたします。チアキの行く末、どうか陽の気あふれる貴殿に見守っていただきたい。どうか、私の大切な仲間たちを、見守って⋯」
詠太郎は最後まで言い切れず、ぐらりと傾いた。
「詠太郎様⋯!」
すかさず老師が体を支え、ゆっくりと床へ横たわらせる。
「もうお休みくだされ、あまり無理をされてはなりませぬ」
「すま、ぬ」
房丸はその様子を見守っていたが、詠太郎が横になり少し落ち着いたところで口を開いた。
「詠太郎殿。その願い、しかと承知した」




