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室町享禄妖奇譚  作者: 山縣十三
御家騒動
70/85

壱 たうふ

たうふ。

たうふ。


田楽たうふ。



人が賑わう市の真ん中で、人混みを避けながらようやくたどり着いた田楽豆腐屋。


「ぃやったぁぁ!ずっとこれが食べたいと思っておったのだ!」


子供のように顔をほころばせ、銭と交換して得た田楽豆腐。味噌の何ともかぐわしい香りに男が大げさに鼻を動かした。


「あんた、よっぽど食べたかったんだね」


豆腐屋が思わず笑ってしまうほど、男は嬉しそうだ。


「おう、稼いだ日銭で必ず買おうと思っておってな!」


そうして、美味い美味いと頬張る姿に、普段は無口な豆腐屋が珍しく話しかけた。

聞けば昨日この町にやってきた旅人だそうだ。手持ちがなく食べ歩きできなかったため、今日は荷運びなどで少しずつ銭をもらい、ようやく田楽豆腐を買うことができたそうな。


「そうかい、この辺は賑わっているから他にも行商が売り歩いていることがあるよ」

「そうなのか!他におすすめの食い物とかあるか?」

「そうさな。ひと山越えたところでやってるうどん屋は上手かったよ。魚介の出汁がいいんだな」

「へー」


色々話をしたはいいが、よほど田楽豆腐が気に入ったのか、残りの銭もはたいてさらに田楽豆腐を買っていった。


子糸房丸(こいとふさまる)

現在も気ままに旅をして回る、宗音(そうおん)の弟弟子である。



房丸はいつも、稼いだ銭をすべて食い物に変えてしまうため、毎度宿をとる金が残っていない。普段は親切な人の家に泊まらせてもらうか、寺院などで一晩世話になるのだが、今は気候が良いため野宿するつもりだった。


上機嫌で残りの田楽豆腐を立ち歩きながら噛みしめる。さて、今日はどこぞで休もうか。

そんな時だった。


ふと何かが気になって足を止めた。


なんだろう。口に田楽の串を含んだままきょろりと辺りを見渡すが、特段変わったものなどない。不思議に思って何気なく後ろを振り返った。すると。


過ぎ去ってゆく一人の女が目に飛び込んできた。


位置的にも、たった今すれ違ったであろう女の後ろ姿。だが、房丸は記憶にない。


(あの女、上手く気配を消している)


足音はしている。

不自然でないほどの気配を残しながらも、限りなく存在感を消しているようで、房丸はすれ違ったことすら認識していなかった。

だが、房丸はそれなりに武術を身に着けた上に、この旅路では何度も危険な目に遭遇していた。戦乱の世、たとえ武装した男であったとしても、一人旅は危険と隣り合わせだった。つまり、田楽豆腐を味わいながらも油断などするはずもなかったのだ。それなのに、その房丸の意識に留まらないほど気配を消して通り過ぎる女。


房丸は立ち止まってもう一度後ろ姿をよく観察した。

女にしては背が高く、羽織を肩から流しているのでその体型はあまり見て取れない。だが、艷やかな長い黒髪と、裾から伸びる細い足首。そして、歩く度にほんの少しだけ輪郭が分かるその尻の形はやはり女だと思われた。


(うーん、良い形だ)


遠ざかってゆく女の尻をひとしきり眺めて、房丸は同じ方向へ歩き始めた。

こうなったら顔を拝みたい。

あまりにも自然に通り過ぎていったからその顔は見ていなかった。だが、背格好や尻の形から見るに、美女のような気がしたのだ。


ほいほいと女の尻を追いかけることにした房丸の思考に、一瞬だけ師匠の顔が浮かび上がる。


宝積寺(ほうしゃくじ)同瞬(どうしゅん)。元は武芸者ゆえにそこまで戒律には厳しくなかったのだが、それでも僧侶としての離欲は何度も説かれていた。房丸は奔放な性格ゆえに、食欲をはじめとする「欲」まみれで、無論、その中で「色欲」に対する戒めもあった。


『こら、あからさまに女の尻を追いかけるでない!このたわけ!』


ほわんほわんと脳内に怒り顔の師匠が浮かび上がる。

さらにはその隣で軽蔑の眼差しを向けてくる真面目な兄者、宗音の顔も思い出されたのだが、房丸はそんな懐かしい二人の顔を手で払いのけるように思考を散らし、欲一直線にその尻を追いかけることにしたのだった。

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