壱 室町殿
最も鮮明に思い出される風景は、雪がしんしんと降りしきる真っ白な庭を、無心で眺め続ける御所様の背中だった。
粉雪が音もなく積もっていく様は、単調なようでいて、しかし飽きない。結晶のひとつひとつは大きさや形が違うし、降りそそぐ速度も一定ではないのだ。それが何十、何百、何千と地に落ちれば、いつしか一面を覆い尽くしてすべてを隠す。
そんな白の世界を「面白き」と眺める御所様の姿は、混沌とした御身周りの騒動から遠ざかり、まるで身を清めようとしているようだった。
真っ直ぐに正された姿勢が乱れもせず、時折見える白い息が雪景色に向かって吐かれるのを、阿与も息を殺してひたすら見守る。
(わたくしもせめて雪のように真っ白になって、御所様をお支えしたい)
気がつくと、御所様は同じように無心で雪を見つめていた阿与を振り返って微笑んでいた。
本来なら、その御身が凍えぬうちに然るべき世話をすべきところなのだが、一緒になって雪景色に見入るようなこの御末(下級の侍女)を、御所様は気に入っておいでだった。
「すぐ火桶を持って参ります…!」
慌てて頭を下げる阿与を、御所様は引き留めた。
「それより、近うよれ。あすこの氷柱、あれが見えるか」
そうして指をさすので、阿与は立ち上がって御所様の近くから指さす方角を見てみる。
「まあ、なんと大きな」
見ると、軒先の角から大きなツララがぶら下がっている。
「実はこの数日、あれを育てている」
と楽しそうに宣う。
「日が差す度に雫がつたい、大きくなってゆくのだが、この雪で寒さが増し、成長が止まった。さて、明日はどこまで大きくなるかの」
「楽しみでございますね」
くすくすと阿与が楽しそうに答えると、御所様はまた目尻を下げて優しく笑った。寒い日に生まれた身ゆえ、冬が好きなのだと仰っていた。
結局、火桶を持ってくるのも忘れて二人でツララを眺めていると、御所様は不意に阿与の鼻を指して笑った。
「赤くなっておる」
「あら、やだ」
思わず隠そうと両手で覆うが、御所様はまだ見たいとでもいうように阿与の手を下げさせて、そして驚いた。
「なんだ、指先まで冷たくなっておるではないか」
そう言う御所様の手は、同じように雪景色に晒されていたとは思えないほど温かい。
「これはすまぬ。さあ、温かな場所へ行くぞ」
「は、はい」
御所様は冷たくなった阿与の手を引き、ようやく火桶のある場所へ向かっていった。
御所様、もとい征夷大将軍に担ぎ上げられたこの20代の若者は、幼い頃からずっと政に翻弄され続けた人生だった。
次男としての生を受けた時は、兄の邪魔にならぬように還俗させられたのに、従兄弟の義尚が亡くなると途端に身辺が慌ただしく動いていく。
己の意思など皆無に等しいままに担ぎ上げられ、やれ烏帽子親は誰だの、政所執事が誰だの、周囲に散々引き回されて傀儡にされた。
だが、引き継いだこの血の尊さと背負うべき役目の重さは理解できる、と御所様は寝所で呟くように言ったことがあった。
御所様は、比べるべくもないほど身分の低い阿与を愛した。
我欲にまみれ、保身しか考えないような者たちを相手に、若いなりにも必死に抗い、なんとか己の責務を果たそうと戦い続けた御所様は、気位が高いだけの高慢な姫より、辛抱強く、我を出さずに寄り添うように側にいる阿与を好んだのだ。
気がつくと、阿与は身籠っていた。
産まれた子は男子。大層喜ばれたが、同時に危うい情勢に皆が眉を寄せる。将軍の地位を争っていた義稙が大内義興とともに上洛し、現在、御所様は地位を追われて近江国に逃れている身の上だったからだ。
しかも、この近江の守護、六角高頼の動向がどうも怪しい。敵方の義稙に内通しているという噂があった。
産まれた子の身を案じて、御所様は播磨国の赤松義村の元に阿与の子を送る手筈を整えた。同時に、1年早く産まれていた腹違いの男子もまた、阿波国の細川澄元の元に送られるということだった。
阿与は、乳飲み子と別れることになっても、御所様の側から離れることはなかった。
(赤村様の元ならきっとあの子は大丈夫)
御所様の尊い血が絶たれることは避けなければならない。しかし、政局に揺れる不安定な立場の御所様からは、わたくしだけは側に寄り添って差し上げねば。
阿与は結局、その時が来るまで御所様の元を離れなかった。




