参拾七 力量差
「父上、堀溝のことはお任せします」
興泰は、もはや言葉すら失った堀溝など目もくれず、言った。
「己にまつわることは譲らぬお主が珍しいことよ」
領主興盛も頷きながら、同じように堀溝ではなく、異様な殺気を放ち始めた人物を見た。
蘆屋蝦蟇虫。
確かに幾度か見覚えがある。この奉納試合にも紛れ込んでいたとか。
決勝戦の中で、妖しい術を使って不正に勝利を手にした者がいた、という報告を領主は聞いている。辺りに人を惑わす香の香りを漂わせ、審判も意のままに操ったという。
領主も無論その決勝戦は観戦していたのだが、声や香りが届かぬ場所から観るに、確かに相手の動きは途中から鈍くなったのは気づいていた。だがそれだけだ。決勝という大舞台で本領を発揮できぬことなどよくあること。それも含めて何が起こるか分からないのが醍醐味だとさえ思っている。
それでも重い腰を上げたのは、続けて近習からもきな臭い報告を受けていたということが大きい。
堀溝が所有する屋敷で使われていた下男が一人、助けを求めて逃げたというのである。たまたま居合わせた近習が事と次第を聞くと、その屋敷は久兼では見かけない男に貸し出されており、その者はそこで世にも恐ろしい呪術を使っていたようなのだ、と。
近習はさらに、この蝦蟇虫と堀溝が何やらこそこそと話をしていたという目撃情報も報告していた。逃げ出した下男の証言にも、男が試合に出ていたようだというものがあり、堀溝が何か画策しているに違いないと言っていた。
そこで、領主は宴を催す傍ら、それとなく堀溝に「興泰の様子を見てこい」と促した。この機に乗じて、何か事を起こすかもしれぬと思い、泳がせたのだ。結果、思った以上に大きな騒ぎが起こってしまったのだが…
堀溝はとんだ厄災を忍び込ませていたものだ。幸いなのは、相手が術使いであることが事前に知れていたおかげで、宗音は魔除けの札を何枚か用意していたことだろう。その札を使うと立ちどころに妖が霧散していくので、四本松城内の妖は速やかに制圧できた。
この陰陽師と名乗る妖術使いの処遇は息子と宗音に託すとしよう。
興盛は静かに兵に指示を出すと、腰を抜かした侍女と息子の嫁奈美、そしてもはや捨て置かれた堀溝を捕縛し、一帯を囲うように兵を配置した。
蝦蟇虫は、宗音が現れた瞬間から妖気に近い気配を放っていた。
「…この地を去る前に、小賢しい若僧だけは始末しようと思っていてな」
にやりと笑みを浮かべ、携えていた二刀を構えて宗音の方へまっすぐに向かって歩いていく。一方、宗音も興泰の側から一歩前へ出て、
「キヨゾ」
とだけ言った。
「儂は蘆屋蝦蟇虫じゃ。ド田舎の青二才とは格の違う陰陽師よ。目にものを見せてやる」
蝦蟇虫がにやりと笑って言い捨てるや否や、その異様な殺気が目に見えるのではないかと思うほど膨らんだ。
ー 百鬼夜行乱
おびただしい数の妖が蝦蟇虫の背から飛び出した。あまりの大群に兵たちは思わず構えるが、目標は蝦蟇虫と真正面で対峙する宗音のようだ。
「興泰様、お下がりください」
「宗音、無茶はするなよ」
迫りくる妖に興泰までも顔を強張らせる中、宗音は至っていつも通りの鉄面皮だった。
「承知」
たった一言そう言い置いて、宗音は迫りくる大群に斬り込んでいった。
「當願衆生 十方一切 地獄餓鬼畜生 八難之處 受苦衆生 聞錫杖聲 速得解脱」
経を唱えながらギュンギュンと錫杖で空を切り、牙を剥けて襲いかかってくる妖を打っていく。
打たれた妖は瞬時に砕かれて霧散していった。一振りで数匹、また数匹。宗音の進む道はいとも簡単に切り開かれているように見えるのだが、一部の隙もない軽やかな身のこなしに、見守っていた兵たちは舌を巻いた。
「…これほどとは」
あっという間に大群を切り裂き、蝦蟇虫の鼻の先まで突き進む宗音。だが、蝦蟇虫も笑みを崩さない。
「これしきで儂を倒せると思うてか!」
蝦蟇虫は両手の小太刀で十字を作り、宗音の錫杖を受け止め弾いた。
宗音もまた読んでいたようで後ろに弾かれながらも体勢を整え飛び上がる。背後から再び妖たちが飛びかかってくるのも、まるで後ろに目でもあるかのように見切っており、体を捻って躱しながらも蝦蟇虫から目を離さなかった。
蝦蟇虫もまた、奉納試合で曲がりなりにも決勝まで進む手練である。妖に襲わせながら己の小太刀で斬撃を放ち、宗音を四方八方から攻撃した。
「ちょこまかと小賢しい奴め」
攻撃を躱しつつ、それでも着実に妖を滅していく宗音。このまま襲い来るすべての妖は滅せられるかに思えたが、それでも蝦蟇虫は笑みを崩さない。
(やはり、宗音の武器はその身体能力と卓越した武術に頼るところが大きいとみた…)
鋭い牙や爪を持つだけの妖を滅する法力こそあるが、それだけで歴戦の術使いと対峙できるわけではない。
「ふはははは、己の修行不足をあの世で嘆け!」
蝦蟇虫はタンッと地を蹴って後ろに飛び退り、その勢いで塀に乗り上げた。
― 式神大太法師
蝦蟇虫がそう唱えると、城全体が大きく揺れて塀の向こうに巨大な影が地面から起き上がった。
闇夜に浮かぶ黒い影は、その陰影から人のような頭があり肩があり、そこから伸びた腕の先には手があった。その巨大な手が塀にのしかかると、バキバキと音を立てながら真新しい壁に亀裂が入ってゆく。
この光景に兵たちがどよめき、建物の中に避難していた女たちからは悲鳴が上がった。
「これが本物の陰陽師が使役する式神ぞ。とくと味わえ、ひよっ子め」
蝦蟇虫がさも可笑しいとばかりにそう言うと、巨大な人影の目が開いた。小さな頭には大きすぎる目玉が一つ、ギョロリと動いて宗音を見た。




