参拾弐 救援
シャン!
荒ぶる者達の奇声が一瞬のうちに静まった。
聞き馴染みのある錫杖の音であったが、一度鳴る毎にその威力が目に見えるようにこの場を支配していく。清らかな音色が瞬時に辺りを浄化するのだ。
シャン!
音が鳴るたび、妖たちは後ずさる。怯まずにその場にとどまり続けているのは肩で息をしながら殺気を放ち続ける山下角之進もとい曲者だけだ。
興泰はこの男に向けて刀を構えたまま、後方から歩み寄る者へ言葉をかけた。
「必ず来ると思っていた」
その言葉に宗音は応える。
「遅くなりました。今回は随分と遠い所まで飛ばされたようで難儀しましたが、奥方様からのお力添えを頂きました」
「奈美は無事か」
「無論のこと。お帰りを心待ちにしておられます」
「ならば早々に帰らねばな」
興泰のその言葉に宗音も頷き、そしてずい、と一歩前へ出た。目の前には一呼吸を置いて再び態勢を整え直した男がこちらを睨んでいる。
「…宝積寺同瞬の弟子、宗音。僧侶が何故鬼子に肩入れする」
男がぼそり、と問いかける。宗音は至って無表情に言い返した。
「山下角之進だな。鬼子とは懐かしい響きだ。私も幼い頃よくそう言われて石を投げられた。ここにいるということは、お主もまた「鬼子」と蔑まれた側の人間だろう」
男は「違う!!」と激高した。
「我は神も仏も信じない!人を殺すのは人だ!!地獄を作り出すのも人の所業以外にあり得ない!!!」
武将ですら進退の吉凶を占い、縁起を担ぐこの時代において、呪いや霊、神の怒りなどを信ずるのは一般的な世情だった。
だからこそ忍は極めて現実的な思考で仕事をこなす。それらに対する人々の忌避感や恐れを利用し、任務遂行の足がかりとすることも厭わない。例えば、呪いや妖怪の噂を流して人を遠ざけたり、敵の裏をかく、など。
つまり、忍にとっては「目に見えぬ恐ろしいもの」は利用する価値こそあれ、人々と同じように恐れる対象にはなり得ないのだ。
だからこそ、「視える」男は幼い頃からさんざんしごかれ、徹底的に「視える」ことを否定し続けてきたのだった。勘を鈍らせ、忌避感と戦い、誰も近寄らぬ真っ暗闇に両足を着ける。
「人が地獄を作り出す…か。否定はせん。だがな、お主が今まで見ぬふりをしながら散々集め続けてきた恨みや辛みがその背にのしかかり、今にも自重で潰れそうだ」
宗音は再び錫杖を鳴らした。
その瞳には、渦巻く黒煙に呑まれながら、憎悪を撒き散らして立つ男が映っている。周囲の妖たちも、その気に当てられて再び殺気を放ち始めていた。男が今まで貯めに貯めた人の世の恨みや辛みは、妖たちを呼び寄せ、昂らせているのだろう。
「このままでは『人』ではなくなるぞ」
宗音は言うなり錫杖をぎゅんと回して経文を唱えた。
「當願衆生 十方一切 地獄餓鬼畜生 八難之處 受苦衆生 聞錫杖聲 速得解脱」
だが、周りの妖たち、そして男はもはや錫杖の音にも経文にもたじろぐことはなく、むしろ一丸となって宗音に飛びかかってきた。黒煙が彼らを取り巻き、おそらく男もこの妖たちのように魔に呑まれていくのだろう。それを阻む宗音が攻撃対象だった。
宗音はたたん、と地を蹴って飛び上がり、襲いかかる妖たちを薙ぎ払った。ぎゅんぎゅんと空を切る錫杖が妖に触れると、途端にその部分が砕けるように散っていく。
地獄で罪人を取り押さえるほどの強さを備えた鬼たちに比べると、生き物から派生したような妖たちは随分と脆いように見えた。
形のない「思い」や「感情」から生まれる妖にとって、その思いの強さに比例して強靭さも変わるらしい。生き物の感情はどんなに強大でも単純で一筋縄だ。それに比べると、人の感情はずっと複雑で深く、知恵は甘美で魅惑的だ。妖たちがこの甘い果実を得ることさえできたなら、新たなる進化を遂げるだろう。
だからこそ、男の周りには無数の妖たちが渦巻き、隙を見て取り込もうと離れない。
(この男の動きを封じ、周りに群がる妖たちをどうにかせねば帰れぬな)
宗音は飛びかかってくる大小さまざまな妖たちの攻撃を躱しながら錫杖で払い、もはや妖気を漂わせ始めた男の攻撃を受け止め、流しては隙を探る。
「ソーオンさまぁ!ここは儂に任せてくだされぃ!」
そこで割って入る妖が一人。
お滋と藤吉の二人とともにいたことから宗音はなんとなくこの者の存在を察していた。仁左から話に聞いた「動く石」の妖で、どうやら味方のようである、と。
「どうするつもりだ」
「この者をここへ飛ばしたのは儂じゃ(オキヤスさま方を飛ばしたのも儂じゃが)。この場はなんとか諌めまする!ソーオンさまはオキヤスさまとお帰りくだされ!」
宗音は一瞬考えたが、第一に考えなければならないのは主・興泰の身だ。となれば、いち早く興泰が安全な場所へ戻るべきである。
「気をつけろ、その男は危険だぞ」
「承知じゃ!」




