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室町享禄妖奇譚  作者: 山縣十三
迷い石
57/85

参拾 悟り

長く更新途絶えていました…

今後、迷い石編完結までノンストップで更新予定です

ヒュッ


という風を切る高い音に素早く反応した興泰(おきやす)が側にいた(しげ)をかばいながら大きく右に避けた。同時に手裏剣が興泰の頰を掠めるように紙一重で抜けていく。


「そう何度も不意打ちの飛び道具など受けぬ」


そして後方を睨む。

(いし)もまた側の藤吉(とうきち)を庇うように一歩前へ出て、興泰と同じ方向を見つめると、そこには城で襲ってきた曲者、山下角之進(かくのしん)と名乗っていた男の姿があった。

だが、一瞬見間違うほど形相が変わってしまっている。


「人の皮を被った鬼子めぇ!よくも我を異界に引きずり込んでくれたなぁ!!」


その目は血走り、髪は振り乱し、あちこち傷だらけで、着物も引きちぎられている。


「あー…すまん。アンタを引きずり込んだのは儂じゃ」


石が弁明しながら先程の蛇のような妖術を繰り出して拘束しようと試みるが、男には軽々と避けられてしまった。


「妖怪を使役するか!若君の皮を被った魔物め!我が命を懸けてでも成敗してくれる!!」


もはやこちらの言い分など聞きそうにない様子である。興泰の方もわざわざ訂正する気もないらしく、刀を抜いて応戦の構えをとった。


「石、二人を守れ」


そう言い置いて前へ出る。男の方も腰の刀を抜いて切りかかってきた。


ガキィィイイン!


慄くほどの鍔迫(つばぜ)り合いの音が響き渡る。この男、もとい山下角之進もまた今回の奉納試合で決勝まで勝ち残った猛者である。両者の切っ先は鋭く相手へ斬り込まれ、弾き返されを繰り返す。


「…その若さで大した腕だ。(あやかし)に魅入られていなければ良い武将になれたものを」


男は興泰の剣を受けて少し冷静さを取り戻したようだった。


「お前は伊賀者か?」


一方の興泰は男の言を無視して問いかける。

「……」

無言の返答に、(やはり此奴が光次(みつじ)の言っていた者か)と心の中で呟く。


光次もそうだが、様々な暗殺術を会得した忍は剣術なども場数を踏んで相当に鍛え上げている一方で、武将が戦場で培う剣とはやはり違った。

それぞれに癖こそあれど、光次と交えた剣の手応えと似通うものを感じていた。


「雇い主は誰だ」

「…知ったところで何になる」


男は刺し違えてでも興泰を葬るという気迫があった。油断などできる隙もない。

だが、攻防を見守る三人から「興泰(おきやす)様!!」という叫びが新たな敵が現れたことを知らせた。


「ギシャアアア!」


二人の間を裂くように巨大な熊のような(あやかし)が怒り狂いながら迫ってきた。男の様子を見るに、この一帯の(あやかし)に襲われながら興泰を探して逃げ回っていた様相だった。つまり、(あやかし)を引き連れながらここまで追ってきたのだろう。


興泰は瞬時に身を翻し、男もまた軽々と避けては木の太枝に飛び上がる。

複数の(あやかし)が殺気に当てられて気色ばんでおり、次々と襲いかかってきた。


「逃げろ!!」


興泰の叫びに、石は子どもたち二人を抱えて岩肌がゴツゴツと隆起する地帯へ逃げ込んでいった。あまりに数が多すぎて、子供二人を守りながら戦うのは得策ではない。


興泰もまたそれに続いて後退するが、男はこの状況で尚も攻撃の手を緩めなかった。


「くっ!」


興泰が思わず渋い顔をするほど敵が多い。木々の影から次々に飛び出してくる(あやかし)だけでなく、その合間を縫うように男まで飛び道具を打ってくるのだ。


だが、(あやかし)は興泰だけでなく男にも容赦のない攻撃を次々と放ってきていた。一匹ならいざ知らず、四方八方から襲いかかってくる(あやかし)を躱しながら興泰を仕留めるのは、男にとっても至難の業だろう。

だが、己が傷つくことなど一切恐れる様子はない。飛びかかられて肉を引き裂かれ、血が飛び散っても興泰への視線は外さない。とにかく目の前の興泰を屠ることしか考えていないような狂気の色を放っている。


男は悟っていた。


目の前はいつも地獄がある、と。


それが人の世なのか、あるいは(あやかし)の棲む魔界なのかは関係ない。常に男の眼前に広がる景色には変わりがなく、いつでも非情で残酷だ。

男は何も持っていなかった。家族の記憶もなく、厳しい修行の中で次々と果てていく仲間を仲間だと思ったこともない。進むべき道もなく、帰るべき場所もなく、ひたすら上忍の命令をこなさねば寝る場所さえ失い野垂れ死ぬ。


そんな人生の中で男が悟ったのは、人の命も己の命さえも、取るに足らない粗末なものだということである。

男をこの場で突き動かすのは、空っぽの器の中にただ一つだけ残された、「今ある忍務を成す」ということだけだった。



一方で、興泰もまた悟っている。


目の前はいつも地獄がある、と。


それが人の世なのか、あるいは(あやかし)の棲む魔界なのかは関係ない。常に興泰の眼前に広がる景色には変わりがなく、いつでも非情で残酷だ。

興泰はあまりに重いものを数多く背負っていた。生まれながらに領主の跡取りとして土地を持ち、民を持ち、それらを守るための責務があった。進むべき道が決められ、この乱世の中でうまく立ち回らねば真っ先にはねられるのが興泰自身の首なのだ。


そんな人生の中で興泰が悟ったのは、なんとしてでも生き抜かねばならないという強い意志で活路を見出すことである。


興泰をこの場で突き動かすのは、このあまりに重い責務の中にある、見知った人々の顔、美しき領地の風景、そして妻の奈美(なみ)の顔。絶対に諦めたくないあらゆるものを守るために「必ず元の世界に戻る」ということだった。



すべてを捨てて邁進する者、

すべてを抱えて邁進する者。


相反する両者の動きは、やはり前者の方が軽く、後者の方が重くなる。だが、その意志の強さに引き寄せられる運命の輪は、重きに傾くのが必定かもしれない。

興泰のこの意志の強さ、引きの強さがこの状況を、ゴトンゴトン、と音を立てて動かしてゆく。



(あやかし)と男に阻まれながら逃げゆく興泰の瞳に映ったのは、見覚えのある鮮やかな「何か」が岩陰からはらはらとはためいている様子だった。

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