弐拾六 箝口
仁左は昨年の出来事を話した。
世にも恐ろしい二匹の鬼の存在と、魔界に迷い込んだあの一件。
彼等と対峙する興泰のこと。
藤吉、お滋との出会い、彼らの身の上。
領主興盛が宗音に命じた役割とその活躍ぶり。
「…これは他言無用に願います。殿の強い御意向によって一切を口にしてはならぬと厳命されております事ゆえ」
仁左の額には汗が滲んでいた。
興盛の命に背いている後ろめたさがあるからだろう。あの一件は当人たちと興盛以外には明かされていなかった。興泰はやはり次期当主に相応しくないと言い出す輩がにわかに騒ぐことが予想されたからである。
一方で、二人は意外なほど表情を変えずに聞き終えた。
「ふーん。あの坊さん、妖怪退治で引き立てられたってことかよ」
そう言うのは光次だ。自分の不在中に興泰の側近に成り上がっていた僧侶のことの方がむしろ気になる様子である。
対して奈美はというと、幼少の頃を振り返って石道でも「久兼の嫡子は物の怪憑き」なる噂が流れていたのだとため息をついた。
「口に戸は立てられぬ、ということなのでしょう。義父上様が箝口令を敷こうとも、こういった噂は何処からともなく伝わってくるものです」
幼い奈美自身が興泰を見て「菜の花の精」などと思っていたことは伏せたが、不思議な子だと思ったのは紛れもない事実だった。
そして奈美は「やはり興泰様の行方についてはなんとしても伏せなければなりませんね…」と拳を握りしめた。
本当なら人手をかき集めてでも探したいところだが、騒ぎになるのはまずかった。
おまけに奉納試合もまだ終わってはおらず、これがお開きになるのは領主の名にも傷がつくというもの。
さらには、光次の調べによると他にも不審の者は紛れている可能性があるので、こちらの状況を悟られるのは得策ではないだろう。
「我らのみで事態を収拾せねばなりません」
奈美は改めて覚悟を決めた表情で光次と仁左を見据えた。もちろん、二人も同じ表情である。
「承知!」
「よし。で、どうするよ」
「義父上様には曲者のことのみを報告せよ。興泰様のことは私がごまかします。何事もなく奉納試合を終え、興泰様には無事に帰っていただかねば…」
正直、興泰の無事が一番の課題であり、ここにいる三人にはどうにもならないことなのであるが、そこは仁左が太鼓判を押した。
「大丈夫ですよ、奥方様。興泰様は巨体の鬼に対してまったく怯まず、無事に戻ってこられました。幼少の頃より妖と対峙してこられたのです。必ずや帰ってこられますとも!」
その後、光次は奉納試合を観戦する興盛に曲者についての報告をした。
試合に出場していた山下角之進という男が興盛の命を狙ったこと。しかし取り逃がしてしまったこと。興泰は無事であること。他にも不審の者が紛れている可能性があること。充分に警戒すべきであること。
興盛は顔色も変えず報告を聞き、「奈美に任せておけば心配などいらぬな」と笑う始末である。
己も命を狙われている可能性もありながら、「そのような輩に取られるほど安い命ではないわ」と一蹴し、再び決勝戦の行方に関心を寄せる。
光次はその後に、試合場で状況を見張る宗音に興泰の消息についても伝えたが、慌てて戻れば興泰の身に何かあったと悟られることを踏まえ、その場に留まった。




