弐拾五 興泰の怪
奈美は一瞬だけたじろいだものの、目の前の複数人の姿が消えた後すぐさま背筋を伸ばして立ち上がった。
「仁左、光次!」
同じく状況に取り残されて呆けている二人を呼び寄せる。
「「はっ!」」
「今何が起こったのか分かりますか」
「…い、いえ…!」
「どーなってんのかさっぱりだ…」
「左様ですか。ではこのことは信の置ける者以外には気取られてはなりませぬ。興泰様のお姿が見えません。滋や藤吉もですが、このようなことが起こったと知れれば誰が何を言い出すやも分かりませぬゆえ」
「はっ!」
仁左は間髪入れずに頷いた。続けて言葉を連ねる。
「興泰様は必ずお戻りになります!お滋と藤吉を共に連れてお戻りになりますとも!」
仁左が確信に満ちた声でそう言うが、隣で光次は眉を寄せた。
「…あの曲者まで消えちまってるぜ?もしかして一緒ってことか?」
「…俺に分かるわけなかろうが。だが、興泰様は必ずお戻りになるのは間違いない!今までもそうだったからな!」
「今までも?」
そこで仁左と光次の会話に奈美が割って入った。
「ひとまずは城内をくまなく探しましょう。曲者のことも気になります。興泰様をお守りせねば」
「「はっ!」」
見ると、騒ぎで駆けつけた者たちがバタバタとやってきたので、奈美は毅然とした態度で皆に指示をした。
「曲者を取り逃がしました。厳重に警戒しなさい」
興泰のことは「また熱が上がったので用心のためにお部屋で休まれている」ということにし、居室から人を遠ざけた。また、奈美も看病のためとして居室に引きこもり、密かに興泰の行方を探し回る仁左と光次の報告を待つこととなった。
城は一時的に慌ただしく動いたように見えたが、奈美の采配で緊張感こそ漂うものの落ち着きを取り戻していく。
「奥方様」
仁左の声で、奈美はそっと戸を開けた。
「仁左」
「城内はすべて捜索しましたが、やはりどこにもお姿は見えません」
「左様ですか…」
奈美の表情から焦りこそ確認出来なかったが、やはり落胆の色が出た。
「俺は城外も見える範囲で探してみたけど、足跡一つ見つからねぇ」
そう言ったのは、奈美の背後、部屋の奥にいつの間にか佇む光次だった。
「なぁ仁左。そろそろ教えろよ。こんな馬鹿げたことが過去にも起こったのか?」
ぎろりと睨むようにそう言う。
一方、仁左は困ったように俯いて黙りこくってしまったので、奈美が先に口を開くこととなった。
「仁左、話してもらいましょう。私は薄々知っていたことですが、改めてしっかりと事実を知りたい」
そこまで言われて、仁左はようやく口を開いて話し始めた。
「…興泰様は、幼い頃から今回のように突然お姿をくらますことが度々ございました。それは興泰様にとって良からぬ事態になりかねず、口外せぬよう厳命がくだされておりました…」
仁左曰く、興泰が一番最初に姿をくらまし大騒動になったのは、僅か三つの頃だったという。
興泰の母、桂の方もすぐそばにいた時のことだっただけに連れ去りなども考えられず、幼い我が子が忽然と姿を消したことに桂の方は半狂乱で探し回ったという。
それから五日後、父の興盛は「もはや戻っては来ぬ」と腹を括り、やつれきった桂の方を宥めて暫く休ませようとしたとき、興泰は館内の納戸からひょこりと姿を現した。
五日間、納戸に閉じ込められていたとして、飲み食いを一切していないはずの幼い興泰はまったく衰弱していなかった。
足が煤だらけで随分と汚れていたが、それ以外は健康そのもの。父母は手放しに喜んだが、家臣達の中には首をひねって訝しがる者もいたようだ。
興泰本人も幼く、自身の身に何が起こったのか分かっていないようだった。
これ以降も、興泰は行方が分からないということが度々起こった。
家人たちは見失わぬように複数人で側につくが、それでも気がついたらいなくなってしまう。
館の中にいたのに、誰にも気づかれずに敷地の外を一人で歩いていることもよくあった。
この様子に、家臣達の中には物の怪が憑いているのではないかなどと言うような戯言が行き交い、久兼の後継ぎに相応しくないと言い出す者もで始めて、興盛は慌てて箝口令を敷いた。
「正直申しまして、私などは全くもって物の怪などを見たことはなく、幼い頃によくお隠れになったもの、ただ偶然が重なっただけだろうと思っておったのです。妖だ物の怪だと言う者たちは興泰様を悪様に言いたいだけだと…。しかし…」




