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室町享禄妖奇譚  作者: 山縣十三
帰省
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伍 兄の事

國光(くにみつ)は、私にとっても兄のような存在でした」


多幸丸(たこうまる)はそう言って、懐かしむように遠くを見た。


鈴屋(すずや)國光(くにみつ)

宗音(そうおん)にとっては、十も離れた兄である。物心が着く頃には、兄は既に元服し、父に従って家を空けることが多かった。だから、6歳までしか家にいなかった宗音の記憶には、ほとんど残っていない。父とともに家を出る兄の後ろ姿だけが一際印象に残っている、ただそれだけの存在だった。

だが、逆に多幸丸にとっては親しい人間だったらしい。


「國光は私の傅役(もりやく)として、文字書きから剣術まで、あらゆることを側で教えてくれました。人当たりがよく誰からも好かれ、私も國光を一等慕っておりました。有能な人物でしたが、その才能に似つかわぬ実直な性格は、最終的に死を早めたのかもしれません」


そう言って肩を落とす。


安芸(あき)国は応仁の乱以降、有力な支配者が不在のままに、長年に渡って大きな勢力にふりまわされ続ける不遇の地だった。


既に足利将軍家の権力は地に落ち、勢力を高めた地方の大名たちの傀儡(くぐつ)と化している。次期将軍の後継者争いという名目に、支配権を掌握したい誰かと誰かが争い続ける動乱が絶え間なく続いていた。


安芸国の国人(こくじん)たちもそう言った権力闘争に駆り出され、西の大大名(だいみょう)大内(おおうち)義興(よしおき)の号令の元、覇権を巡る争いに従軍することになるのだが、長い闘争の末に疲弊し、不満と怒りから裏切り、猜疑心(さいぎしん)が蔓延していった。

その結果、分郡守護(ぶんぐんしゅご)として近隣を治めていた武田氏は真っ向から大内氏に反旗を翻し、大内義興に従っている久兼(ひさかね)氏は彼らと交戦せざるを得なくなっていった。つまり、國光は日頃から付き合いがあり、よく言葉を交わした近隣の者たちとの争いの中で果てたのである。


だが、それは致し方ないことだとしか言えなかった。


今日の味方は明日の敵。

この国は、誰も彼もが欲に駆られてあらゆる不義がまかり通る地獄と化している。



「そのお言葉を頂けただけで充分でございます」


宗音は深々と頭を下げた。


「私にとっては既に遠い存在だった兄ですが、今日、ここに参って本当によかったと思いました。少輔(すないすけ)様、そして若様からもそのようなお言葉を頂ける兄であったこと、それは私にとってもこの上なき幸せにございます」


それは本心だった。

肉親と言っても、宗音にとっては言葉の通り、既に遠い存在になっていたはずなのに、このように近くに感じることができてよかった、と。そして、それだけでもここに来た価値があったのだ、と素直に思った。

だが、目の前の若君はそんな満足そうな宗音に対して、まだ何か言いたげにじっと見つめていた。


「宗音殿。実は、國光は最期のときまで貴方のことを気にかけておりました。この度お呼びだてしたこともその事があったからなのです」


「…と、申しますと?」


宗音はどのような話か見えずに問うた。


「國光は、貴方には伏せていたようではありますが、実はずっと宝積寺(ほうしゃくじ)同瞬(どうしゅん)様と文でやりとりをしていました。貴方の成長を喜び、私に幾度となく報告してくれていたのです」



―― 弟の宗音はたくましく成長しているようです。悩みだった怪異も、今では己の力で払いのけることもできるようになったと…


國光は嬉しそうに語っていた。

それは、同じく怪異に悩む多幸丸にも希望を与えてくれたのだと、多幸丸は語った。


―― 弟が私の代わりにここにいれば、さぞ若の心強い味方になったものを…しかし、身勝手にも家から出しておいて、必要になったからと呼び戻すのは、なんとも酷なことでしょう



國光は最期の出陣の前夜、己の死期を悟ったのか、父、久光に宗音の事を託していったという。


―― 私に万一のことがあれば宗音を呼び寄せてください。若君のお力になる者です




宗音は黙って聞いていたが、頭の中にはあれこれがぐるぐると駆け巡って恐ろしい速さでこれまでの経緯が繋がっていくのを感じた。



なるほど、お師匠様も人が悪い。

寺にお師匠様宛の文を送ってくる者は多かったが、きっとその中に兄の使者もいたのであろう。

一切語らず、今後のこともすべて私の目で見て、判断せよということだろうか。

そして、妖怪退治などという他国のよもやま話がここまで伝わっていたことも納得がいく。

さらに驚くべきことに、家族は、兄は、遠く離れた宗音のことをずっと気にかけてくれていたなどとは…



目の前を見ると、整った顔の若君が一層顔を引き締めて宗音を見ていた。


「ここからは私のお願い事でございます。宗音殿、この地に留まり、私を助けてはくださいませぬか」


そして、既に暗闇に没した中庭のその向こうを垣間見るようにして、多幸丸は再び口を開いた。


「私の祖父、そのまた曽祖父、我が先祖がずっと守り続けたこの土地は、乱世の中で誰にも荒らされることなく、今まで平穏に過ごせたのは幸いでした。しかし、今後ともそうとは言えません。

京の都はまだまだ荒れるでしょう。その度に兵を出し、その上でこの地を守っていくには、私にはまだまだ力が足りませぬ」


久兼の領地は、西の大内氏、そして安芸国の安芸武田(あきたけだ)氏の地と隣接する国境に位置している。

要所から外れてはいるが、今、安芸国は揺れている。


知勇に優れた名将と名高い分郡守護の武田元繁(もとしげ)は、隣国の周防介(すおうのすけ)大内義興(よしおき)に反旗を翻し、そして、恐ろしい速さで力をつけていく国人(こくじん)の毛利元就(もとなり)に破られたのは記憶に新しい。

この地は、これから間違いなく荒れるだろう。


「私は、ここに住まうすべての民を守りたい。不運、厄運と揶揄されるのはかまいません。しかし、そのせいで無辜(むこ)の民が巻き添えをくらうのは、あまりにも不憫ではないでしょうか。私のせいで、この地に火が放たれるなど、我慢のならぬことなのです」



―― どうか、力を貸してください



そして、ただの僧侶、宗音に深々と頭を下げたのだった。


「…若君」



宗音は驚きとともに、この若君の身の上を案じた。


客分として扱ってくれているにせよ、相手は一家臣の息子、しかも今はただの僧侶である宗音。一領地を束ねる国人の嫡子が頭を下げるなど考えられぬことだった。

だが、彼はこれまでの経緯より、己の不甲斐なさに打ちのめされてきたのだろうことは、宗音には容易に想像できることでもあった。


多幸丸の不運、厄運が如何なるものかは分からぬが、少なくとも、誰にも見えない(あやかし)が見える奇っ怪な嫡子を、周囲がどのように扱ってきたのかは、この身の低さから垣間見える。それでも次世代の領主として、この戦乱の世で受け継がれた地を守りたい。そのためには何でもする。そう、腹を括った面構えには闘志さえ見えた。


この方は、とうに命を懸けておられるのだ。


その瞳に宿った光を見てそう悟る。ならば、宗音もそれに応える道しか選べなかった。



「承知、(つかまつ)りました」


宗音もまた深々と頭を下げるのであった。

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