拾八 奉納試合【その六】
さて、奉納試合二日目。
その夜の出来事から語っていこう。
試合会場では粗方の片付けと最終日の準備が整えられ、久兼家家臣たちが各々の屋敷に引き揚げ終わった、薄暗闇のことである。
ある重臣がほんの一時、独りになった頃合いを見計らって男が目の前へ現れた。
「お待ち下さいませ、わたくしめにございます」
男は暗闇の中で敵意がないことを示すため、地面に這いつくばるようにして頭を垂れる。
名乗りこそしなかったが、重臣にはそれで分かるらしい。しかし、嫌悪感を露わにした声色で「下がれ無礼者」と一喝した。
「ご無礼は承知なれど、一度ご相談した方がよろしいかと」
男は這いつくばった状態で器用に後ずさりながらも引き下がらなかった。重臣は声音を沈めてもう一度言葉を吐き捨てる。
「ええい、誰が見ているやもしれぬところで。お主のような者と気軽に話が出来ると思うてか」
そして、重臣はその者を置き去りにして足早に去っていった。
男は「ちっ」と舌打ちして怒りを露わにする。
(おのれ、馬鹿にしおって…!)
そもそもはあの者の依頼から始まったことのはずなのに、何故このような仕打ちをされねばならぬのか。
男は怒りに打ち震えながらも、すぐに気持ちを切り替えた。
もはや自分自身の身の上にも関わる問題となっており、ここは独断で決着をつけねばならないと腹をくくったのである。
夜になると背中に受けた呪いの跡が疼くのだ。この恨み、如何様に晴らしてみせようか。
男は踵を返し、重臣から賜った屋敷に向かう。
この久兼の地に滞在するときはここを自由に使えと言われており、屋敷には下男が寝支度を調えて待っていた。
「おかえんなせぇ」
だが、男は下男を無視してずんずんと屋敷に上がりこみ、何やら支度をはじめてしまった。
「あ、あの…」
恐る恐る下男が問いかけるが、男は鋭く睨んで「お前はもう下がれ!」と凄むと、あまりの形相に下男が飛び上がって逃げていった。
男は貧民の着るようなボロ切れの衣服を脱ぎ捨てる。
すると、その背中には目を覆いたくなるような不気味な傷がジュクジュクと蠢くように這っていた。呪いの跡だ。
変装を解いた男は、百姓のように折り曲げた腰を真っ直ぐに伸ばしたが、この呪いのせいか身体が歪に曲がったままだ。顔も引き攣っていて動かない部分がある。
「…忌々しい!この呪いをなんとかせねば儂の命が危ういわ」
そして、顔や手足に塗った褐色の胴乱を拭き取り、漆黒の狩衣を纏って髪を結い直し、奥の間へ進んでいく。
そこには燭が灯され異様な光景が広がっていた。虫や蛇、蜥蜴などの生き物が籠や壺にに入れられて蠢いており、頭が痛くなるような濃い香が立ち込めていた。
男は、祈祷や占術を行う陰陽師を生業としている者だった。
だが、その内実は依頼主から請け負った対象者の呪殺を行う暗殺者だ。
数年前からあの重臣に依頼を受けて、鬼子と呼ばれる久兼の嫡子の呪殺を試みてきたが、如何せん守護の龍神の力が強く、殺し切ることができなかった。
故に、近年は護符と称した呪いを毎年授け、少しずつ弱らせて死に至らしめようと画策していたのだが、数年かけて放っていった呪いが一気に祓われてしまったのである。
(宗音とかいう若造め…)
当主とその妻を丸め込んで呪具を溜め込むよう仕込んでおり、あともう少しで術が完成する予定だったのたが、あの若造にすべて祓われてしまったようだ。
おかげで全てが術師に返ってきた。
強い守護を警戒して細々とした呪いだったのが幸いし、この陰陽師はまだ生きている。
だが、正直一刻を争うほど切迫していた。
この呪いをもう一度興泰に返してくれようぞ。
呪い返しのそのまた返し。
今度こそ失敗は許されぬ。
陰陽師は予め捕らえていた蝮を一匹取り出して、己の背中の傷に押し当てた。がぶり、と噛みつかれたのを確認した後、釣り針のようなものを顎に引っ掛け、身動きが出来ない状態にして火を放った。
生きながらにして燃やされる蛇がグネグネと苦しそうに悶える様子を愉快そうに眺め、懐から、髪の毛を一本取り出した。燃え盛る蛇に絡めるようにその髪を垂らし、炎で焼く。
「ほぉれ。お前を殺した者じゃぞ。久兼興泰、憎かろう。怨め怨め。死ぬまで怨め。死んだら怨みを晴らさにゃなぁ」
ついに息絶えて燃え尽きる蝮からは、ぶすぶすと黒い煙が舞い上がり、とぐろを巻くように宙に留まる。
「行け」
その合図に、煙は蛇のようにくねくねと宙をまいながら霧散した。昼間、四本松城に出入りする従者一人に、密かに印を付けておいた。呪いはその印を頼りに結界をくぐり抜け、対象者に到達する。
男は計算通りと言わんばかりの歪んだ笑みをたたえて闇夜を睨んでいた。
2024.06.25 少し加筆修正しました。




