拾七 奉納試合【その五】
引き続き奉納試合二日目のこと。
奈美から諭され欠席した興泰に代わって、この日は宗音が試合の様子を観、不審がないかも見廻ることとなった。
「今のところ不審はありませんな」
仁左は城に残ったので、今日は近習が宗音と共に試合会場へやってきている。
この奉納試合は、家臣たちにとっては数少ない娯楽であり、年に一度の楽しみだった。今年は何故か自分たちも参戦することになって慌てたが、終わってしまえば呆気ないものである。
領主たちのいる手前バカ騒ぎができるわけではなかったが、殆どの家臣は残り二日の試合観戦を存分に楽しむつもりでここにいる。
「やはり和字殿は群を抜いた剣術家じゃ」
「山南殿の試合を見たか?目が覚めるような技のキレで…」
興奮したような家臣たちの呟きがそこかしこから聞こえてくる。
近習も彼らと同じように純粋に試合を楽しみたかったが、興泰の指示通り、試合半分で会場に不審がないかを見廻った。
すると、目の前を複数人の従者とともにやってきた者が目に留まる。
家老の堀溝昌敬という。
宗音は関わりこそあまりなかったが勿論顔は知っている。
「これは宗音殿」
こちらに気がついた家老が呼び止めるので宗音もお辞儀する。
「興泰殿の具合はどうか」
「はっ。幸い大事には至らず、しかしながら用心を取って本日はお休みになられております」
「左様か」
ここまでは何のことはない会話なのだが、家老はふん、と鼻を鳴らして独り言のようにこう言った。
「かの奥方様はかなりの世話好きのようだが、次期当主をあまりに甘やかすのはいただけぬ。後々務めが果たせぬ腑抜けにされるやもしれぬしな」
そしてその言葉に後ろの者達がにやりと嫌味ったらしく笑うのだ。
宗音は無表情でただそれを見送ったが、横の近習は微かに肩が震え、怒りを抑えようと踏ん張っている。
彼等が去った後でようやく「ちっ」と舌打ちした。
「勝手にほざいとけっ」
近習は吐き捨てるように彼等に向かってそう呟く。
「御家老があのような方とはな」
宗音が感情を込めずにそう言うと、近習は「ええ、興泰様を快く思っておられません」と相変わらず納まりきってない怒りを滲ませながらそう答えた。
「興泰様の厄運を憂いて、当主に相応しくないとお考えのようで。まだ初陣も済ませておられないことも以前から不満げに言っておられました」
宗音はその言葉に「ふむ」と相槌を打つのみだった。
***
四本松城で大人しく過ごすように諭された興泰は、それでもずっと床に寝ているわけではなかった。
翌日、起きると矢の刺さった利き腕は腫れ、身体も熱を持ってだるかった。だが、光次を呼んでかの者と面会しに牢屋へ向かう。
「まあ、起き出してよろしいのですか?」
目ざとく見つけた奈美に呼び止められるが、「ああ、問題ない」と興泰が制す。
「あまり無茶をしないでくださいまし」
「大丈夫だ。仁左と光次もいる」
奈美は不承な顔をしつつも彼らの背中を見送って、そしてまた機織機のある部屋へ入っていった。
「でー、コイツだけど。たぶん“白”」
光次が大きくため息をつきながら牢に入れられた若者を指して言った。
太い格子を隔てた向こうで這いつくばって頭を垂れる者は、興泰を前に既に号泣である。
「申し訳ありませぬ!!私のこの首、いくらでも差し上げまする!しかしながら郷里に残した母だけは!!!興泰様!!何卒、何卒ご容赦くださいませ!!!」
そうして、顔から出るもの全ての水分を垂れ流して訴える若者に、興泰も眉間にシワを寄せざるを得ない。そんな興泰を尻目に、光次は調べ上げた事実を淡々と言い連ねる。
「名は門松六兵衛。尾叩の者だ。今年で十七。正直、弓の腕はからきしなんだが、尾叩は槍術と相撲に力を入れてるらしくて、飛び道具の使い手はあまりいないらしい。コイツも弓を使い始めてまだ四ヶ月のペーペー(未熟者)だってよ。恥ずかしいほどの腕前でよくあの場に出れたよなー」
そして横の仁左もまた付け加える。
「尾叩の巌流様からは『好きにせい』というお言葉を頂いております。処分は如何様にもされてよろしいと」
「…他に目立った不審点はないのか」
興泰が尋ねるが「ねえな」と光次が即答する。
「ざっと経歴を漁ってみたけどこれといって不審点は見当たらない。仮に尾叩に策略があったとしても、こんな奴を使う理由がねぇもん」
やはり、あの場で矢が放たれたのはただの事故なのだろうか。
興泰はため息を付いた。
妖が視えることによる怪異に晒され続けて約十六年。だが、それだけでは説明のつかない不運も沢山被ってきた。
(単に偶然や私の間の悪さで被る痛みだったんだろうか…)
とげんなりしている様子である。
かれこれ不運厄運には泣かされ続けた興泰だったが、前途多望な若者の首を刎ねる気にはならない人柄の良さには定評がある。
「お主の母を手に掛けることなどはせぬ。流石に現職には戻れぬが、郷里で母を支えるがよい」
こうして、不運な次期領主は未熟な家臣を放免することになったのだった。
***
その夜のことである。
いったん床につくと途端に寝息を立てて微動だにしない興泰だった。
心配になった奈美がその額を触ると、
(ああ、熱い)
と思うほどの熱である。
本人は起きないが静かに医者の手配をし、万が一に備えてあらゆるものを準備する。
加えて、奈美は井戸に水を汲みに行って廊下に桶を置いた。
冷水に浸した手ぬぐいを興泰の額にかけるためである。
これは奈美が幼い頃に実母がよくやってくれた慣習だが、それを興泰にも無意識にする。額に当たる冷たい感触が心地よかったのを、身体が覚えていたからだった。
そんな中、庭でかたり、と何かが動く気配があった。
普段はそんな物音に耳を傾けるほどではないのだが、興泰のこのような有り様に過敏になり、何事もないようにと、と廊下に出た。
庭は暗闇に没して真っ暗だ。
かろうじて木々の陰影こそわかるものの、地面の様子など分からない。だが、にゅるり、と動く何かが見えた。
形から言うと蛇のようだ。
だが、闇夜に映るほどの影となるとよほどの大きさである。
(いやだな…)
とっさに思った奈美は、なんと庭先に出て一抱えもある大きな石を抱え上げた。
(近づくな蛇)
というつもりでそれを闇夜の庭に放り投げたのである。
案の定、大きな石は振動を轟かせながら庭に「ごつん!!!」と転がる音が響き渡る。建物すら揺れたので興泰が起きてしまうほどだった。
「…奈美?どうした?」
戸をすすと開けて興泰が声をかける。
「あら、ごめんなさい。なんだか大きな蛇がいたみたいで…」
「蛇?」
興泰は庭を見るが、勿論暗闇で全く見えない。
「石を投げて追い払いました」
寝ぼけ眼でその言葉を聞き、興泰は「くくっ」と笑う。
「また石を投げるのか。あまり無茶をするなよ」
「ええもう、本当に。起こしてしまってごめんなさい」
しゅんとうなだれる奈美の肩を抱き、興泰はもう一度眠りについた。
今度はしっかり、隣に眠る奈美の温かみを感じながら…




