伍 八年と伍ヶ月
輿入れの支度には時間がかかる。
道具を揃えさせるだけでもかなりの時間が必要だろう。だが、それを一朝一夕で用意させようというのである。
ばたばたと、しかし着実に石道姫の輿入れ準備が進む中、興泰たちも一足先に帰って婚儀の準備を進めねばならなかった。
かと言って、今、同じ敷地内にいる二人が顔を合わせない道理などない。争いを繰り広げてきた間柄でもなければ、そもそも初対面でもなかった興泰と石道姫は、大内の取り計らいの中で一度会うことになった。
かれこれ会うのは八年ぶり、実質三度目の再会である。
珍しく、興泰は緊張した面持ちだった。
目の前で頭を垂れる石道姫が、あまりにも美しく成長していたせいだった。
勝ち気に棒を振り回していた幼い少女は、今では艷やかな髪を綺麗に束ね、美しい衣裳を纏って興泰の目の前にいる。
「久しいな、奈美」
奈美とは、石道姫の呼び名である。
奈美は頭を垂れたまま「本当に、いつぶりでございましょう」と返す。その声は間違いなく聞き覚えがあった。
「八年と五ヶ月ぶりだ」
正確な年月を即答する興泰に、奈美は思わずくすりと笑った。
「そのまめな所は相変わらずですこと」
そして顔を上げたその瞳は、かつて共に遊んだ少女そのままの色だった。きらきらと好奇心に満ちた明るい瞳。
これだけ美しく変貌しても、目だけが変わらずあの頃のままであることに安堵し、また込み上げてくる可笑しさに興泰は笑いをこらえることができなかった。
「くくっ。そなたも相変わらずのようだ」
人前で声を上げて笑うことなど滅多になく、これに驚いたのは興泰の家臣たちである。
一方、奈美もそれに習うように笑い声で返した。
「うふふ。しかし本当に不思議な縁ですこと。まさかあなた様の元へ嫁ぐ日が来ようとは思っておりませんでした」
「嫌か」
「滅相もございません」
奈美は特上のきらきらした笑みでまっすぐに興泰を見た。
「一族の命運が尽きたときがわたくしの最期だと思っておりましたのに、周防介(義興)さまに助けられ、このような輿入れ支度までしていただき、また芸州の地を踏みしめることができると思うと感慨もひとしおで御座います」
見ると一雫の涙が頬を伝う。
後ろに控えていた侍女などは肩を震わせて号泣していた。石道姫とともにその修羅場を駆けた者だろう。
城が落とされ、この姫を生かそうと一族の者が命を張り、追手に追い詰められながらも必死に逃げたという経緯を聞けば、その壮絶な出来事からの生還から、この度の婚儀に至る流れはまるで夢のような話かもしれない。
「…さぞ辛かったことだろう。この乱世だ。芸州はこれからもまだ揺れるかもしれぬが、今度は私がそなたを全力で守ると誓う」
神妙な面持ちでそう言い切る興泰。だが、対する奈美は涙を振り払って盛大な笑顔を向けた。
「あら、それならばわたくしはあなた様を全力で守ると誓いましょう」
その顔は自信に満ち、幼い頃と同じく勝ち気そうに眉をくい、と上げて男前に言い切るのだ。
二人は目が合った瞬間、かつてのように思い切り笑い合った。
***
息が白くなるような寒い日の早朝、石道姫の乗った輿が大内を出立した。
まだ朝日も見えぬ暗闇の中、前日に降った雪を掻き分け掻き分け、花嫁行列がゆっくりと進む。
掲げられた百もの松明が音を立てて燃えさかり、炎の列が大内の街を照らしていた。
こんな寒い日でも、花嫁の輿を一目見ようと見物人が集まりに集まり、それは賑やかな様子だった。
高い空が眩しい晴天であったが、山道をゆっくりと進み何度か休息処を介して久兼領に着いた頃には暗闇に包まれる時刻だった。雪がちらちらと音もなく舞い降りている。
こちらもまた総勢でのお出迎えだ。
道は煌々と篝火に照らされ、石道姫のために用意された別邸もくまなく燭が灯り、庭、諸門に至るまで照らし出された一帯は昼のように明るかったという。
そこから三日三晩、盛大な婚儀が執り行われた。花嫁にとっても過酷な儀であっただろうと思われる。
このように慌ただしく進められた婚儀であったが、それは大内義興のある種の焦りから発せられたものだった。
足利将軍の後見となって管領代の職に任ぜられ、周防・長門・石見・安芸・筑前・豊前・山城の7ヶ国を束ねてその名を天下に轟かせた戦国大名、大内義興。
やり遂げた偉業は数多く、中途のままやり残したこともまたあった。多くは次代の大内義隆に引き継がれるが、その生涯を閉じる前にできる限りの整理をつけたかったのだろう。
この冬、享禄元年十二月二十日。義興は本拠山口にて没す。享年五十二歳であった。




