参 あやかし
さて、困ったことになったぞ。
宗音は案内された一室であぐらをかいて考えていた。
まさかこんなことになろうとは思っていなかった。還俗する気はないとして、さっさと寺に帰ろうと思っていたのに、蓋を開けてみれば「還俗なぞせんでよい」との返答だ。
実家の後継ぎは後妻との子供、つまり宗音にとっての腹違いの弟がいるらしく、そちらに継がせるとのことだった。
しかし、妖怪退治の話など、よくもこの地まで伝わったものだと思ってしまう。
そもそも師匠である同瞬は、妖怪退治よりもかつての武人として有名だった。今でこそ頭の禿げ上がった好々爺だが、その昔は武術の達人として恐れられたらしい。
宗音はこの同瞬の元で武術を学び、心身を鍛えて己の力の制御を試みた。すなわち、法力を会得し、たぶらかしにくる妖を祓いのける術を編み出したのである。
そんな折、妖怪に悩まされているという近隣の村から寺に相談があり、同瞬の弟子として同行した。確かに、実質として妖怪を祓ったのは宗音だった。だが、それが多少噂になったとして、他国のこの地にまで聞こえてくるとは思わなかった。
宗音はため息をついた。
今日は既に日が暮れ始め、この屋敷で休みなさい、と部屋に案内された。実家に帰ったところで父の後妻には歓迎されまい。宗音は仕方なく一泊部屋を借りることとなった。
夕日がついに山の端に沈み、辺りが暗くなるのを見届けてから、室内の灯明に火を灯す。それから再びあぐらをかいて考えをまとめていると、膝の横付近の床板が、何やらもぞもぞと動く気配があった。
ネズミではない。虫でもない。
小さな何かが数匹うごめいている。
宗音は再びため息をついてちらりと床に目を落とすと、床板がゆらいでぽこん、ぽこん、と盛り上がった。
それは丸々とした奇妙な形で、よくよく見ると目がついていた。鼻はないが、口がある。幼児のような胴体もついている。
「わかぁ〜っておる、わかぁ〜っておーる。そなたがオサナいころからモノノ怪のぉ〜」
「たぐいが視える〜ことぉ〜。シュッケしたこと〜、しょおおおっち!しておぉ〜る」
それは奇妙な節で唄うように喋った。
雑鬼の類だろう。先程の屋敷の主の言った言葉を真似ているようだ。
寺は常に清められ、結界も張られて雑鬼などは湧かなかったが、ここは娑婆。数多の人間が行来し、生活する俗世間では、こういった雑鬼は虫のように沸く。
人の言葉を喋りはするが基本的には知恵はない。人真似をするのが精一杯だ。このような小さな雑鬼は脅威ではないが、数が沸くと鬱陶しい。宗音は己の意思に反して引き寄せてしまう質なので、数が増えないうちに対策をしなければならなかった。
(塩と酒をもらってこよう。簡易結界を張らねば、うるさくてかなわん)
そう思いながら、一匹の雑鬼を左手の人差し指でピシッと祓った。
雑鬼は、ぼんやりとした形になっているだけのホコリのようなものだった。散らしてやれば空気に混じって霧散する。
だが、その雑鬼は散らなかった。
「いたあぁ〜い」
宗音の人差し指が当たった額を、幼児のようなぷっくりした手で抑えながら泣いたのである。
大きなまん丸目玉からは大粒の涙さえあふれた。
「ひどおおおい!何をするこのクソボウズ〜〜」
「いじめだぁーーー、いじめだぁーーー」
他の二匹も慌てふためいてチョロチョロ、チョロチョロと宗音の膝下を行き交って抗議した。
「なんだお前たち、雑鬼ではないじゃないか」
よくよく様子を観察すれば、こいつ等には小さいながらも角があり、牙もあった。雑鬼ならば形はぼんやりと境界が曖昧だったりするのだが、手の先から足の先まで、しっかり形が保たれている。
小鬼か。
あまりに小さくて力はないようだが、弾いただけで霧散するような妖ではないようだ。
「ひどいぞおお、いたいぞおお」
「いじめだぁーーー、いじめだぁーーー」
「くっそボーーズ、くっそボーーズ」
あまりにうるさく騒ぎ立てる小鬼たちに、宗音は思わず「わかったわかった」と返事をしてしまう。
「打ったことは謝るから、そう騒ぐな」
「ちゃあーんとあやまれーい」
「そーだ、そーだ」
「くっそボーーズ、くっそボーーズ」
「悪かった。すまない。膏薬で治るなら塗ってやる」
小鬼の額にできたたんこぶに塗り薬が効くかは分からなかったが、自作の膏薬なら懐に入っていた。二枚貝の薬入れに、打ち身に効くものを練り上げて入れてある。
(なんでこんなことになったんだか…)
宗音は三度目のため息を小さくつきながらも、でかいたんこぶを抑えて涙目になっている小鬼に膏薬を塗ってやった。
「もっと、やさしくぅ〜」
小鬼は大人しく塗られている。ただ、果たして効くものなのか…
特に悪い気も感じない妖を問答無用で祓うほど非情ではなかった宗音は、言葉通り謝罪と手当をしてから「さあ、部屋を出ろ」と促した。
「とにかく、私は休みたい。今から部屋に結界を張るからお前たちはでていきなさい。でなければ閉じ込められるぞ」
そう言って、部屋の戸を指さしたとき、外で人の気配がすることにようやく気付いた。
「宗音殿。今よろしいだろうか」